#2 第1話 母の愛
洸たちが教室で卒業式を待っていたころ、皐月久愛の自宅近くにある公園では飼い猫のタマヨリが子猫のコタマを連れて散歩をしていた。
この時代は本物の動物を飼うには法規制が厳しすぎるため大半の家庭はAIペットを飼っている。タマヨリたちのような生きた猫を飼う家庭はごく僅かだ。
タマヨリはスコショと呼ばれるスコティッシュフォールドとアメリカンショートヘアのミックス。水色の毛並みと青縞模様が特徴的なカワイイ猫だ。かつてのAI暴走事件で活躍し人類を救った英雄の一人(否、一匹)だが、今では母猫として娘猫のコタマを育てている。
──コタマちゃん、今日は久愛姉さんの卒業式なのよ。
──卒業式って何にゃ?
──高校生活が終わるのよ。おめでたい日なの。
──そうなのにゃ。めでたいにゃー。
時折道草をしては母タマヨリを追いかけていくコタマ。母より淡い水色の毛並みの猫だが、青の縞模様はしっぽに少しあるだけで体にはない。首に青いリボンをつけてもらっている。
──コタマちゃん、今日は私からあまり離れないでね。遠くへも行かないで。
──なんでにゃ? あたしはもう子猫じゃないにゃ。
──そうじゃなくて。なんとなくいやな予感がするの。だから私のそばにいてね。
──わかったにゃぁ。そばにいるにゃ。
いぶかしそうに頷くコタマはまだあどけなさの残る猫だ。一方、すっかり母猫らしくなったタマヨリは、コタマと話す際、語尾に「にゃ」をつけなくなった。
──地震でも嵐でもない。今まで感じたことのある天変地異の予感ではないのよね……。
──あたしは感じないにゃ……。
桜の咲き誇る並木道を親子でてくてくと歩きつづけながらも、タマヨリは、動物特有の第六感で今朝から得体のしれぬ不安感、焦燥感を覚えていたのだ。
タマヨリとコタマが公園から出ようとしたときだった。突然、あたりにまぶしい光が生じるや否や激しい音が鳴った。そして同時に起こった凄まじい衝撃波でふたりは体をふっ飛ばされた。
──ギャッ。
──ニャッ。
突如現れた人型機械が街を破壊しながら歩行している──といっても、タマヨリとコタマにはそれがロボットのような容姿であることさえ分からない。そのため、彼女たちからすれば、何かによって街が破壊されているという認識がやっとのことであった。
パニックに陥った人々の悲鳴や金切り声がタマヨリだけでなくコタマの耳にも届く。
──まずいわ。やっぱり。ただごとではないわ。コタマちゃん、ひとまずウチに逃げるわよ。私から離れないで。
そういったのも束の間、タマヨリとコタマが背にしていたブロック塀が崩れてきた。タマヨリは反射的にコタマへ体当たりをする。その弾みでコタマは30センチほど飛ばされた。
──痛いにゃ。ママ……。
タマヨリの方を向いたコタマの目には信じられない光景がうつった。
──あああぁ、ママぁああああ。ママあぁあああ。
崩れてきたブロック塀に後ろ足を挟まれてしまったタマヨリ。それを目にしたコタマが泣き叫ぶ。
──ママ、ママ、大丈夫? ママ、ママぁああ。
タマヨリが痛みに呻きそうになるのを堪えながら振り返ると、自身の体躯を優に超えるブロック塀が後ろ足を押し潰す様が目に入った。タマヨリは一転、その顔から曇りを消し、コタマに不安を与えないよう優しく声をかけた。
──大丈夫よ。コタマちゃん、先に久愛姉さんの家に帰りなさい。
──いやにゃ。ママを置いていくなんてできないにゃ。
コタマがタマヨリを助けようとブロック塀に頭突きや体当たりをする。だが、無情にもブロック塀はピクリとも動かない。周囲には粉じんも立ち込め、小石や砂利がぱらぱらと雨のように降り注ぎ始めていた。
──コタマちゃん、お願いだから、逃げて。
──いやにゃ。ママといっしゃじゃなきゃいやにゃぁあ。
泣き叫ぶコタマ。今迫っている危険のことは頭に入ってこない。ただママを助けたいというその一心で、ブロック塀に頭突きと体当たりを続ける。
──コタマちゃん、あなたももう立派な1歳の猫なのよ。私を助けたいなら、なおさらウチに帰って久愛姉さんたちに伝えてきてちょうだい。それならできるでしょ?
コタマは泣きながらタマヨリの言葉に頷く。
──わ、わかったにゃ、だれか呼んでくるにゃ。ママを助けてもらうにゃ。
──そうしたら私も助かるからね。早く行きなさい。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、コタマは一生懸命、家へ向かって駆けだした。メロスのごとく、ただ無我夢中に走る。久愛か誰か、人を呼んでくれば助けてもらえる、そう信じて──。
──はやく、はやく、ママを助けるにゃ──
コタマが公園から離れて一つ目の角を曲がった直後のことだった。
シュン──。
突然出現した、得体のしれない穴に吸い込まれるようにコタマは消えた。
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