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4.二つの選択


「私が……結婚?」


 そんなある日の事だった。

 話があるのと呼び出された先で、アイリーネは言葉を失った。


「ええ、そうよ。お父さまが探してくれたの。あなたにぴったりのお話だって」

 現れたフェルミナは、喜びが隠し切れない顔をしていた。


「相手は王都の大商人よ。まあ、ちょっとお年を召していて、かなり太っていて、とんでもなく醜いらしいけれど。それに、奥さんも四人いるんですって。あなたはその五番目というわけよ」

「私は、そんな……」

「言っておくけど、断れる話じゃないのよ。わざわざ向こうから申し込んできたんだから」


 正確に言えばこの村の女をだけどと付け加え、ふふっと笑う。


「小麦の取り引きをする代わりに、この村出身の娘がひとり欲しいそうよ。その点、あなたならうってつけでしょう? 小麦作りに携わっているわけではないんだし、恋人に捨てられたばかりで……あら、ごめんなさい」

 わざとらしく口元を押さえる仕草に、アイリーネは唇を噛んだ。


「……そんなこと言われても、困るわ。私には好きな人がいるの」

「もしかして、あの方のこと?」

 フェルミナの目に意地の悪い色が浮かんだ。


「それなら心配いらないわ。あなたの代わりに、あたしが彼を慰めるから。あたしたちって、お似合いでしょう? アイリーネあなた、最近あの方と会ったかしら。放っておかれてるんじゃないの?」

「それは……そうね、お忙しいみたいだけど」

「忙しい? いいえ、あたしといる方が楽しいからよ。あの方からそう言われたの。あんたはもう用済みなのよ、アイリーネ」


 フェルミナは自信たっぷりに告げた。

 連日のアプローチが実ったのか、青年はフェルミナを連れ歩くようになっていた。相変わらずアイリーネとの噂は消えないが、いずれ下火になるだろう。なんといっても、フェルミナは華やかな娘なのだ。


 青年は愛の言葉を口にしない。けれど、フェルミナに落ちるのは時間の問題だ。そうなったら、とフェルミナはほくそ笑む。


 目の前の娘はどんな顔をするだろう。

 それを思い浮かべるだけで、愉快でたまらなかった。


「……あなたはいつもそうね、フェルミナ」

 アイリーネが目を伏せて囁いた。


「彼はそんなことおっしゃらないと思うわ。あなたが勝手に言っているだけでしょう」

「なっ……」

「図星ね」


 顔を赤くしたフェルミナに、アイリーネは静かな声で言った。いつも伏せていた水色の目に、決意のような色が宿る。その強さにフェルミナはたじろいだ。


「あの方と結婚するなら、ラウルはどうなるの? あなたは彼の婚約者なのよ?」

「もちろん一緒に連れて行くわ。そうそう、あんたの夫になる大商人の家は、あの方のお屋敷の近くなのよ。あたしが彼の妻になったら、毎日顔を見に行ってあげる。汚い中年男のものになったあんたを見たら、ラウルはどう思うかしらね?」


「……その話はお断りするわ。私はあなたの召使いじゃないし、結婚を強要される(いわ)れもない。好きでもない人の五番目の奥さんになるなんてまっぴらよ」

「そんなこと言っていいのかしら、アイリーネ」

「どういう意味?」

 フェルミナは厭らしい笑みを浮かべていた。


「あんたが断ったら、ラウルを不幸にしてやるわ」


「!!」

 はっとアイリーネが息を呑んだ。


「ラウルだけじゃない、彼の家族もよ。あたしを婚約者として受け入れなかったあいつらなんて、不幸になってしまえばいい。あんたが断ったら、村で暮らしていけないわよ。追い詰めて追い詰めて、破滅させてやる」


「ラウルのご両親はあなたの方がいいと言ったはずだわ」

「嘘に決まってるじゃない。ほんとに腹の立つ連中だったら」


 苛立たしげに舌打ちし、眉間にきつくしわを寄せる。思い出すのも嫌だという表情だった。


「ラウルだってそうよ。あんたみたいな地味な女に熱を上げて、あたしの思い通りにならなかった。だから脅してやったのよ。あたしと婚約しないなら、アイリーネを村から追い出してやるって。そうしたらようやく折れたわ。まったく手間がかかるったら」

 バカな男、と鼻で笑う。アイリーネは思わず口を押さえた。


「ひどい……」

「あんな頑固な男、もういらないわ。きつい鉱山で働かせてもいいし、嗜虐趣味のある貴族女の婿にするのもいいわね。彼は家族想いだから、あたしの命令には逆らえないわ」

 どうするの、とフェルミナが指を突きつける。


「あんたには二つの選択肢があるわ。醜い中年男の妻になってラウルを助けるか、彼の家族全員を不幸にするかよ。どっちを選んでも構わないわ。どっちでも面白そうだもの」

「……どうしてなの……?」

 アイリーネはかすれた声で聞いた。


「どうしてあなたは、私から何もかも奪おうとするの……?」


 ラウルだけでなく、幸せな未来も、この村での生活も、いつか訪れるかもしれない結婚相手も。


「私が何をしたっていうの。どうしてここまで嫌がらせするの?」

「何もしてないわよ。ただの暇つぶしだわ」

「だからって、こんなことまでするなんて――」

「ラウルとの婚約は解消するわ。だけど、そうなったらあなたたちは結婚するでしょう? それは嫌なの。だって面白くないじゃない」


 だから、邪魔してやろうって決めたのよ。

 フェルミナの口元には笑みがあった。ゆがんだ笑顔のまま、アイリーネに選択を迫る。


「さあ、どうするの?」

「――――……」


 アイリーネは凍りついたように立ち尽くしている。

 その目が苦しげに伏せられるのを、フェルミナは楽しそうに見つめていた。



    ***



 領主が王都に戻ると告げたのは、それから数日後の事だった。


「せっかくだから、花嫁を連れて行こうと思ってね」

 薄い笑みを浮かべた青年は、二人の少女にそう言った。


「それでいいね、フェルミナ」

「もちろんですわ」

「アイリーネも、本当にいいんだね?」

「……はい」

 アイリーネは青白い顔をしていた。それを見てフェルミナがふふんと笑う。


「君がこの話を受けるとは思わなかった。言っておくが、無理にじゃない。それでも気持ちは変わらない?」

「……はい、変わりません」


 彼に助けを求める事も考えたが、すぐにあきらめた。フェルミナに厳しく口止めされたのだ。

 もし約束を破ったら、アイリーネが親しくしていた人々を首にすると言って脅された。

 そんな事になれば、彼らの生活が立ち行かなくなるだろう。ラウルや彼の家族だけが助かればいいとは思えなかった。


「それにしても、驚きましたわ。まさかあたしが花嫁に選ばれるなんて」

「そんなことはないよ。君こそ、本当にいいのかい?」

「もちろんですわ。こんな古臭い村、いつか出て行きたいと思ってましたもの。王都で暮らせるなんて、本当に夢のよう」

「やめるなら今のうちだよ。今ならまだ引き返せる」

「何があろうと、そんなことにはなりませんわ」


 フェルミナが自信たっぷりに宣言する。彼はそう、と言って微笑んだ。

 アイリーネはうつろな顔でそれを見ていた。


 どうせ王都に行くのだからと、二人の娘は同じ馬車に乗る事になった。そうしてほしいとフェルミナがねだったのだ。領主も話を聞いているらしく、快く承諾してくれた。


 アイリーネは森の管理をフェルミナの父親に頼んだが、彼はぞんざいな態度で応じただけだった。おそらく聞いてはくれないだろう。だが、もうどうする事もできない。


 旅立つ日、大勢の見送りが訪れた。

 その中にラウルの姿はなかったが、アイリーネはむしろほっとした。

 どんな顔をして会えばいいのか分からなかったし、顔を見るのが怖かった。フェルミナはもはやラウルへの興味を失ったようで、その事だけは安堵した。


 いずれアイリーネの嫌がらせのために思い出すのだろうが、今はアイリーネが醜い男の妻になるというだけで嬉しくてたまらない様子だ。美しいドレスに身を包んだフェルミナは、幸福な花嫁そのものだった。


 アイリーネも服を着替えていたが、その心は重くふさがれていた。

 足りないものは王都で買いそろえるため、フェルミナは荷物のほとんどを置いていくようだった。そろって馬車に乗り込むと、フェルミナは思い出したように言った。


「そうだわ、アイリーネ。今ここで渡してくれないかしら」

「……何を?」

「結婚のお祝いよ。青いものを頼んだでしょう。相手が変わってしまったけど、あなたからもらいたいわ」


 その目はアイリーネの手首に注がれていた。

 そこにあったのは腕輪だった。

 糸で編んだ素朴な品で、ラウルの家族が渡してくれた。遠い地にあっても幸せが訪れるようにと言いながら、手ずから結んでくれたのだ。それをフェルミナも見ていたはずだ。

 何も装飾品はないが、せめてこれだけはと思ってつけてきた。糸の色は青。アイリーネの瞳の色に似た、華奢な腕輪だった。


 アイリーネは無言で腕輪を引き抜いた。


 腕輪を取り上げたフェルミナは、しばらくアイリーネに見せびらかしていたが、効果がないと見るや否や、早々に鞄に放り込んだ。自分でつけるにはみすぼらしいし、取り上げても泣かせる事ができないなら意味はない。そんな声が透けて聞こえるようだった。

 アイリーネは何も言わず、ただ窓の外を見つめていた。

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