6 皇女の朝
▫︎◇▫︎
「それで?セレスはなんで泣いていたのかな?」
「………………」
今セレスティアは、泣き止まぬうちに訪れてきたミシェルによって、優しい質問に見える文面でその実逃してくれぬ響きの声で尋問をされていた。
「ぐすっ、ミシェルには、関係ない」
「あぁー、擦っちゃダメだよ。お目目がうさぎちゃんになっちゃうよ」
「?」
未だにぽろぽろと溢れる涙をまたもやゴシゴシしようとしたセレスティアの手を、ミシェルがガシッと掴んでもう片方の手で優しい手つきで拭った。
「ミシェルは、きっく、優しいな。実の双子の姉を、ひっく、陥れようとしているわたしとは、ひっく、大違いだ」
「………僕はそんなにできた人間ではないよ」
ミシェルは困ったように弱々しい声で肩をすくめた。
「………それでもわたしには眩しい、ひっく、」
太陽を見た時のように、セレスティアは紫水晶のような空虚にも感じられる紫色の瞳を細めた。
「それはお互い様だね。だってセレスは僕をきらきら照らして導いてくれる大きな大きな美しいお月様だもの」
「ミシェルは、ひっく、………わたしの大切な癒し係だ」
「むぅー、それは僕はセレスに比べたらちっちゃいけどさー、」
「………わたしは小さいものが、というか、可愛いものが好きだ。ひっく、君の容姿や仕草は、ひっく、ドストライクなんだよ」
ずっと男らしくあったセレスティアは、久方ぶりに女の子らしい本当の好きなものを他人に明かした。
そして、告白を受けたミシェルは顔を真っ赤にして口をパクパクと開閉させた。
「ねぇ、セレス。今のもしかしなくても、無自、覚………?」
「? 何が、ひっく、言いたいんだ?」
小さくしゃくり上げながらも、少し調子を取り戻したセレスティアはぎこちない微笑みを浮かべて聞いた。
「………無自覚、だね。にしても、役得だな~………」
セレスティアにはミシェルが何を言っているのか聞き取ることができなかったが、今自分がものすごく恥ずかしいことになっていることに今更ながらに気がついた。真っ白なほんのちょっとだけレースがあしらわれた涙によって透けてしまっている薄い夜間着を、ブラもつけずに身につけて、その格好でミシェルに寄り掛かっているのだ。しかも、泣きじゃくってしまって目は赤くなっているだろうし、長い銀髪は櫛を通しもせず、無造作にベッドに広がっている。
「み、ミシェル、出てって」
「え?」
「み、身支度をしてなかったから、出て行ってくれ。着替えたら話す。今更だが、この格好は恥ずかしい」
「うん、そうだね」
耳まで赤くしたミシェルがぷいっと横を向きながら答えた。
(こいつ、知っていて黙ってたな!?)
「隣の応接室で待たせてもらうよ。着替えが終わったら出てきてね」
「あぁ、」
セレスティアのベッドから立ち上がったミシェルは、無言で応接室の方に歩みを進めた。出る足と手が同じになっていて、緊張しているのが目に見えて分かる。
「ミシェルの馬鹿、ひっく、」
セレスティアの文句は、か弱い少女のような座り方に格好、ウサギのように赤くなった目元と、しゃっくりによって全くもって説得力のないものとなってしまっていた。
▫︎◇▫︎
「すまない、ミシェル。待たせたな。朝食はもう摂ったか?」
「うん、摂ってきた」
「そうか………、では、菓子でも持って来させよう。何がいい?」
「………ケーキ」
「分かった」
セレスティアは部屋の前に控えていた侍女を呼び、朝食と色とりどりの宝石のようなケーキを山盛り持って来させた。
「わぁー!!ケーキ!!」
「好きなだけ食べるといい。足りなかったらまた持って来させよう」
目を爛々と輝かせて嬉しそうな歓声をあげるミシェルに、セレスティアは妖艶で麗しい笑みを浮かべて言った。今日の服はグレーのスラックに薄手のブラウスという簡潔なものだったが、足を組んでソファーに深く腰掛ける姿は、背後に大輪の青薔薇が舞っているようだった。
「う、うん」
ミシェルはぽーっと頬を染めて頷いた。そんなミシェルに、セレスティアは満足そうに頷き、野菜でいっぱいのヘルシーな朝食を食べ始めた。
「………………………」
「………………」
この場に流れたカトラリーを使う音と咀嚼する音だけの空気は、一見居心地悪そうに見えたが、当の本人達にはふんわりした穏やかな空気に感じられた。
「………セレスはいつも1人で支度をしているの?」
「あぁ。わたしの支度は見ての通り簡単だからね」
青い髪紐で今日は低い位置に括られた髪を揺らしてセレスティアは答えた。
「今日はポニーテールではないんだね」
「ミシェルはポニーテールがお好みかな?」
「ううん、いつもポニーテールだったから、下の方で括っているのが新鮮なだけだよ」
不安そうに質問したセレスティアに、ミシェルは首を振ってから微笑んで答えた。
(よかった)
朝食を終えたセレスティアは未だにケーキを食べ続けているミシェルに話の続きをした。
「自室にいるときだけは下の方で括っているんだ。上の方で括ると髪が重たく感じられてね」
「へぇー、そういうものなんだね」
「そういうものだ。というか、本当はバッサリと切り落としてしまいたい」
うざったらしそうに髪を弄びながら、セレスティアは言った。
髪が長いと水に濡れた後乾かすのにも時間がかかるから時間を無駄にしてしまうし、何より剣術や体術、弓を扱う時に邪魔なのだ。
「それは、………嫌だな」
(!? ミシェルは長い髪が好みなのか?)
セレスティアは真意を探ろうと、弱々しい声で上目遣いに嫌だと言ったミシェルをじっと見つめた。
「………セレスの髪、………綺麗、だから………」
「!? ………あ、ありがとう。では、このままでいるとしよう」
セレスティアは耳まで赤くして横を向いた。ミシェルの赤い顔を見ていられなかったのだ。
「ま、まぁどのみち、バッサリとは切ることができないのだがな」
「? ど、どうして?」
「ほ、ほら、わたしは貴公子などと呼ばれているが、実のところは女だ。お、女の短髪は虐待だと勘違いされてしまう場合がある」
「あぁ、確かに。そ、そういう風潮があるよね」
「そ、それに、侍女長が許してくれない」
「………あの人頭固いもんね」
「み、ミシェルから見てもそうなのか?」
「う、うん、あの人は厳しい方だと、お、思うよ?」
お互いにお互いの顔を見ることができない2人は、つっかえながらも会話を続けた。
だが、話している内容には一切の甘さは存在していなかった。
「そ、そういえば、ミシェル。今日は何故早朝から登城してきたのだ?」
「あ!忘れてた!!」
ミシェルは目を見開いて慌て始めた。
「はい、婚約の書類。これがあったら、もしアリスティア皇女殿下が何かの弾みに心変わりしたとしても、大丈夫でしょう?」
「………そう、だな」
セレスティアは少しだけ顔を顰めてから侍女にペンとインクと紙と蝋燭を持って来させ、寝室に自分の紋章が彫られている判子を取りに行った。
「アリスは皇位に就くためならば、君との再婚約を望むかもしれないな」
「うん、でも僕は何があったとしても君の隣に居たいんだ。だから、この書類」
部屋に戻ってすぐに、書類をしっかりと読み込んでからサインをしたセレスティアは、皇帝に対して書簡を書いて蝋印を押した。
(昨日の今日だから、いきなりでも割と簡単に謁見の許可は出るだろう)
「エミリー、この書簡を皇帝陛下の側近に」
「承知いたしました」
セレスティア専属の優秀な侍女は命令を受け、すぐさま部屋を出て行った。
「アリスティア皇女殿下の侍女と違ってとても優秀だ」
「だろう?アリス、あんなに優秀な子を自分に指図したからってだけで即刻首にしたんだぞ?」
「信じられないよ」
「あぁ、だから拾った」
「犬猫じゃないんだから拾ったじゃないでしょう………」
にやりと悪い笑みを浮かべたセレスティアに、ミシェルは弱々しく注意した。ちょっとは強気になったと思っていたが、誰かに注意したりするのは昨日今日ではあまり上達しないらしい。
「まぁ、いいではないか」
「良くはないよ、良くは」