5 幸せで不幸な過去
▫︎◇▫︎
「あらぁ、セレス、今頃帰宅なの?」
「あぁ、ライバード公爵に挨拶してきたから遅くなった」
アリスティアはガイセル・グートハイルに腰を抱かれて、皇帝の部屋から出てきたばかりのセレスティアに話しかけてきた。お風呂上がりなのか湯気が立って石鹸の香りを香らせている。
「お初お目にかかります、セレスティア様、」
「名を呼ぶ許可を出した覚えはない、ガイセル・グートハイル男爵令息」
名前を呼ばれることにすら不愉快を覚えたセレスティアは、ガイセルの挨拶を途中でぶった斬った。
「俺のことをご存知なのですね!!」
「帝国貴族の名は全て覚えている」
「流石は『青薔薇の貴公子』と名高い皇女殿下です!!下々の者にまで目を配るとは!!」
「その呼び名、不愉快だからやめろ」
「なんと!!薔薇はこの国の国花ではありませんか!!」
わざとセレスティアを陥れるような発言しかしないガイセルに、セレスティアは眉を寄せた。
(あぁ言えばこう言う、うざったい)
ここにいては埒があかないと判断したセレスティアは不愉快を隠さない表情でガイセルとアリスティアを見やった。
「わたしはもう疲れた。部屋で休むから退いてくれ」
「どうやら俺が皇女殿下を不愉快にしてしまったようですね」
「またお会いしましょう」
「………もう会わないことを願っている」
セレスティアはガイセルに殺気を向けた後、軍靴の音をわざと大きめに立てて颯爽とその場を立ち去った。
(本当に、反吐が出る)
セレスティアはいつの日か嫌いになった、昔は大好きだった双子の姉に口の中だけで憎々しげに悪態をついた。
▫︎◇▫︎
「はぁー、はぁー、待って!アリス!!ごほっ、ごほっ、」
「遅いわよ!セレス!!早くしなさい!!」
胸の辺りまである真っ直ぐな銀髪を左右で編み込んでカチューシャのようにした青色の女の子らしいひらひらとした洋服を着た6歳くらいの少女が、同じくらいの長さのちょっとだけ癖のある金髪をこれまた同じように左右で編み込んでカチューシャのようにして赤色の色違いの洋服を着た6歳くらいの少女を必死に追いかけていた。
(あぁ、嫌な夢だ)
セレスティアは直感で夢であることを悟り、今となっては10年も前の幸せだった時期を眺めた。
「ダメでしょう、アリス。セレスはあんまり身体が強くないんだから」
「でも~、」
この頃のセレスティアはあまり身体が強くはなかった。事あるごとに風邪をひいて寝込んでしまっていた。
「アリスはお姉ちゃんでしょう?」
「ふぅー、もうセレスは大丈夫だよ。アリス、今度は鬼ごっこじゃなくて刺繍をしよう」
「えぇー、」
「お母様も一緒にやるからね?アリス、今度はセレスの番でしょう?」
「はぁーい」
仲良く手を繋いで室内にゆっくりと歩みを進めた3人は、幸せな家族の代表のような絵になっていた。
(………あの後、お母様は………、)
嫌なことを思い出し、セレスティアは首を振った。
「見てみて、かーさま、四葉のクローバーを刺してみたの!!幸せになれますようにって!!」
「お母様は鶴を刺したわ。意味は『長寿』、これはセレスにあげようかな」
「えぇー!!セレスばっかりずるーい!!アリスも欲しーい!!」
3人の手にはそれぞれの願いのこもった刺繍が握られていた。
四葉
鶴
そして、キンセンカ………
アリスティアはこの頃、ミシェルに淡い初恋を抱いていた。
だからこの刺繍を刺した、そんなことはセレスティアには分かっていた。けれど、セレスティアはこの刺繍にこの後起こったことに対していちゃもんをつけるしかなかったのだ。
セレスティアは夢の中でこれから起こる出来事を思い、ぎゅっと目を瞑ろうとしたが、運悪く夢では自分の身体は言うことを聞いてくれなかった。
「はい、セレス」
「ありがとう、かーさま、大事にするね!!」
「ふふ、嬉しいわ。アリスの分は次刺してあげるからね」
「うん!!」
本当に幸せそうだった。
だからこそ、これからあんなことが起こるなんて誰もが予測できなかった。
ーーーバン!!
「死ねえええぇぇぇぇぇ!!フロンティアぁぁぁぁぁ!!」
ーーーガシャーン!!
家族3人で楽しく笑い合っていた。王宮の限られた人しか入れないところで、団欒をしていた。なのに、あの女は侵入してきて、セレスティアの母親であるフロンティアに刃を向け、そして捕まった。
「あんたなんか死ねばいいのよ!!陛下は私のものだったのに!あんたのせいで!!あんたなんかのせいで!!死ねばいいのに!死ねばいいのに!!死ねばいいのに!!あんたのせいで、私は、私は、私はああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
耳にいつまでも残る、絶叫を残して衛兵に連れられて去っていった。
フロンティアは何かに耐えるように俯いていた。ずっとずっと俯いていた。この時のセレスティアは知らなかった。母が元々は父親と結婚する予定ではなかったこと、そして捕まった女が本当は父親と結婚する予定だったこと、何もかも、知らなかった。
フロンティアはその夜、毒を煽って死んだ。アリスティアもセレスティアも、夫たる皇帝もこの日は運悪くフロンティアと共にいなかったのだ。
だから、誰も彼女の最後を知らなかった。何もかも知らなかった。
(無力だった)
セレスティアはこの後、母親を忘れようとするかの如く、女らしいことを全て捨てた。大好きだった刺繍も音楽も、ドレスや装飾品も、何もかも捨てた。弱い身体を引きずって剣も振った。手に豆ができても、豆が潰れて血が溢れても、剣を振り続けた。そして、走り続けた。ずっとずっと走り続けた。
反対に、アリスティアは持ち前の男勝りなところを捨てた。フロンティアのように刺繍や音楽、ドレスや装飾品にのめり込み、走ることをやめた。武器を取ることをやめた。そして、自らを守るかのように我儘や理不尽になり、本心を隠すようになった。誰にも馬鹿にされないように、強気な少女になった。
(何もかもが変わった。わたしもアリスも自分を捨てた。最も大切なことを捨てた。自分らしさを捨てた)
セレスティアは心の中で本心を呟き、そして目を覚ました。
「っ、うぅー、う、っ、ひっく、ひぅー、アリスぅー、どうしてなの。………どうしてなの、アリスぅー、」
セレスティアの目から自然と大粒の涙が溢れた。いくらゴシゴシと夜間着の袖で乱暴に涙を拭っても次々と涙が流れてしまい、結局セレスティアはこれから1時間泣き続ける羽目になってしまった。
「………うぅー、かーさま、どうしてなのです、かーさま、うぅー、ひっく、かーさま、かーさま、かーさま!!」