2皇女は愛でる
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セレスティアとミシェルはライバード公爵家に向かって進む皇家の馬車の中で、向かい合って座って硬い声音で話していた。
「あの、皇女殿下、申し訳なさから婚約をして下さっているのならばまだ間に合います。どうか僕なんかとの婚約を破棄してください」
「………わたしは申し訳なさから求婚をしたわけではない。わたしが婚約をしたいと、君と結婚をして背中を預けたいと願ったから求婚をしたのだ。気に病む必要は何1つとして存在していない。それどころか、愚かな姉がすまなかった」
セレスティアは暴言を浴びせられる覚悟で皇女という肩書きを捨てて深々と頭を下げた。
「い、いえ、皇女殿下は我儘で理不尽な方でしたが、それは全部僕が悪かっただけですから」
「そんなことはない。全てアレの責任だ。………1ついいか?」
「何なりとお申し付けください」
「ならば遠慮なく。わたしはこういう場でないと謝ることすらできないような身分の人間だ。わたしに嫁ぐのが嫌ならば、身分も何も考えず、今はっきり言ってくれ。わたしは即刻婚約を破棄しやすいように動くこととする」
顔を上げたセレスティアはいつもの妖艶な微笑ではなく、表情の抜け落ちた無表情だった。
そんなセレスティアを見たミシェルは恐れ慄いたような表情をした。
「………もし、もしお断りしたらあなた様はあなた様の誹謗中傷をばら撒く気ですか?」
「そうだが何か問題でもあるか?」
セレスティアは心配したように眉を寄せるミシェルを不思議に思った。
(憎らしい女の姉であるわたしを心配する必要もないだろうに)
「皇女殿下は、どうしていつもこう自分を大切にしてくださらないのですか?」
「………わたしが皇女だからだ」
真っ白な手袋に包まれた指を弄びながら、セレスティアは皇家の勤めを頭の中で反芻した。
(皇家の人間たるもの貴族を含む、全ての民を守らなければならない。そして、そこに私情は必要ない。法を犯したものはどんな位であろうとも、正しい裁きを与えなければならない。国が乱れるからだ。……、)
「皇女殿下、ば、僕はやっぱり皇女殿下の隣に立てるような立派な人間ではありません。ですが、せせせ、精一杯頑張りますので、隣に立たせてください!!足を引っ張るかもしれないし、おんぶに抱っこになるかもしれません、ですが、………捨てないでください。」
最後の言葉を絞り出すように呟いたミシェルに、セレスティアは目を丸くした後、いつもとは違う暖かい微笑みを浮かべた。
「あ、あの、………殿下?」
「セレスティア、いや、セレスと呼んでくれ。君にはそう呼ばれたい」
「はい?」
自分よりも20センチ背が低い小動物のように愛らしい容姿に、ふわふわしたミルクティーの髪に、クリッとした空色の瞳を持つ婚約者をセレスティアは麗しい微笑みで愛でた。
「ほら、読んでみてくれ」
「せ、セレス様」
(うむ、可愛い。尊い。というか、涙目上目遣いで恥ずかしそうに名前を呼ぶなんて、これは反則だろう)
セレスティアは煩悩いっぱいの頭の中をひた隠しにして、普段は絶対にしない嬉しそうな微笑みを浮かべた。いや、真実心の中は絶叫したいくらいに舞い上がっているのだが。
「ミシェル、呼び捨てで構わない。言っただろう、わたしは君のことを気に入っていると」
「えっと、そのー、」
ミシェルは猛獣に睨みつけられたかのようにビクビクとしていた。そして、それをセレスティアは心底嬉しそうに眺めていた。
「ミシェル、君はわたしを呼び捨てにするのが嫌なのか?本当ならば、敬語も退けてほしいのだが………」
「せ、せせせ、セレスっ!!」
「うん、やっぱりいい響きだ」
「ひょえっ!!」
妖艶な微笑みを浮かべたセレスティアにミシェルは素っ頓狂な悲鳴をあげて震え上がった。
(そろそろ虐めすぎかな?)
顎に手を当てて考えたセレスティアは、今まで浮かべた表情の中で1番ミシェルが警戒していなかった淡い微笑みを浮かべて、本題に入ることとした。
「ミシェル、これからについて君には先に話しておこうと思うのだが、良いだろうか?」
「は、はい」
「………わたしは皇位を継承しようと思う」
「はい?」
「ははは、驚くのも無理はない。わたしは今までずっとアリスの邪魔にならないようにしていたのだからね」
「それが、何故………?」
セレスティアは腹の中に渦巻くどろどろとした怒りの、憤怒の蛇を必死に飼い慣らしていつもと違わない妖艶な微笑みを浮かべた。
「賢い君なら分かっているだろう?ミシェル」
「………、今日の婚約破棄の一件で我慢の糸が切れた、ということでしょうか?」
「さぁ、どうだろうね?」
目に怯えを孕んだミシェルに、セレスティアはこれ以上は秘密だと言わんばかりに、悪戯っ子の笑みを浮かべた。
(これ以上は彼を巻き込めないからね)
心配故の行動だと理解されなくても構わない。ただ、自分の初恋の人を巻き込みたくないという願い故に、セレスティアは口を閉ざすことを決めた。そして、婚約という形で巻き込むことを決めておきながら、傷つけたくない、迷惑をかけたくないと思うなど馬鹿げていると分かっていながらも、口を閉ざし続けるという行動に、自嘲もした。
「セレス、僕は巻き込んでほしいな。だめ、かな?」
「うぐっ、」
セレスティアの弱い表情で尋ねたミシェルの瞳には穏やかな色が宿っていた。元々はそれなりに芯のしっかりとした男だ。アリスティアという我儘かつ自由気ままな暴君に婚約者という立場で縛り付けられて、萎縮して、自己犠牲と自信が持てなくなってしまっているが、それでもあの女を常識の範囲内のまともな皇女に見えるように支えてきたとても賢い男なのだ。
「………セレス、僕の覚悟は決まったよ。セレスは僕を捨てないでくれる気がする。だから、僕は僕の女王様のために精一杯働かせてもらうよ。だから、守ってね?」
「………わたしは、………わたしは失うのが怖い。だから、巻き込んでおいてなんだが、深くは関わらないでほしい」
「それは無理なお願いかな」
いつの間にか敬語を使わずに話していたミシェルに、セレスティアは弱々しくてぎこちない微笑みを浮かべた。
「君は母后の事件は知っているかい?」
「うん、知ってるよ?」
覚悟を決めたミシェルはびっくりするぐらいに清々しい表情をしていたし、何を聞いても微笑みを崩さずに、セレスティアの言葉を聞いていた。
「わたしもアリスもその事件からおかしくなった」
「そういえば、そう、だったね。皇女殿下はその頃から我儘で理不尽になったからね」
「アレは彼女を守る盾なんだ」
セレスティアは遠い目をして思いを馳せた。
(母上は優しすぎた。優しすぎて自分を責めてしまった。そして、………命を絶ってしまった)
「でも、セレスは皇女殿下を許す気はないんだよね?」
「勉強をサボったのは他ならぬアリスの選択だ。自らの行いには自らで償わなければならない」
「分かった。僕にできることはやるよ。君は僕を捨てないでくれるんだろう?」
こてんと首を傾げた愛らしくて計算高い婚約者に、セレスティアは安心させるように勝気な微笑みを浮かべた。
「あぁ、もちろんだ。わたしには、君が必要だからな」
「僕は無能で屑ですぐにぐずぐずしてしまうよ?」
「それでも、わたしは君がいい」
セレスティアは花が綻ぶような優しい笑顔で言い切った。
(ずっと、ずっと、彼の背中を追いかけてきた。彼の隣に立つのがたとえ双子の姉だとしても、彼が皇帝の婿になるのであればどうにかして支えたいと願い、騎士として剣を振るってきた。そんな彼がわたしの旦那になってくれると言って、わたしのことを見てくれている。わたしのことを信用してくれている)
セレスティアは拗れてしまっている初恋が叶ったことに、人知れずウキウキとしていた。
「皇女殿下、公爵家に到着いたしました。」
御者の言葉に、セレスティアは自ら馬車の戸を開けて地面に降り立った。
「お手をどうぞ」
「えっと、セレス、それも男女逆」
「そうなのか?」
「そうだよ」
優しげな表情でミシェルが言った。周りからする鳥の飛び立つ音にビクビクと身体を震わせながら、セレスティアの手をとって馬車を降りる姿に、セレスティアは微笑ましい小動物を観察する気分に陥った。
「大丈夫だ。アレはコウモリの飛び方だからね。ミシェルは怖がりなようだ」
「………セレスは強いんだね」
「あぁ、強いとも。なんて言ったて、近衛騎士団で最年少で部隊を持った神童だからね」
一切の躊躇いもなく自慢したセレスティアに、ミシェルは苦笑した。
「だから、そんなふうにビクビクと怯えなくてもいい。何かあってもわたしが必ず守り切る」
「セレス………」
「ミシェル………」
お互いに頬を淡く染めてセレスティアとミシェルは見つめあった。
「ごほっ、ごほっ、あぁー、お熱いところにお水を差してしまいすみません」
「「!!」」
「お、お父君に、あああ、挨拶に行こうかぁ!?」
御者の咳で我にかえり、途端に恥ずかしくなったセレスティアはまたもやミシェルをエスコートしようと手を伸ばした。
「だからそれは僕の役目だって」
「そ、そうであったな」
ギクシャクと頬を染めて屋敷に向かって歩みを進める恋に不慣れな若者2人は、この後甘ったるい雰囲気をダダ漏れの状態で屋敷に入り、屋敷のメイドや下僕たちから生優しい視線を受けながら、公爵家の最も良い応接室へと案内されることとなったとさ。