10 手と手を取って
セレスティアは1度深呼吸をした後、初恋暴露事件を頭の端に追いやった。
「アリス、ちょっとだけ耳を貸せ」
セレスティアはこれからの楽しい楽しい余興のために、コソコソ話をしたが、アリスティアの顔は話を聞くにつれて、怒りによって真っ赤に染まり始めた。
「ねぇ、悪いけどクソ野郎を1発殴ってきてもいいかしら?」
「その言い方は全くもって悪いとは思っていないな」
「愛剣を持ってパーティーに臨んだヤツには言われたくないわね。あんたはクソ野郎をぶった斬る気なんでしょう?」
アリスティアはセレスティアに向けて小悪魔のような満面の笑みを浮かべ、セレスティアも全く同じ笑みを浮かべた。昔の仲の良かった頃に戻ったような双子の姉妹の風景に、皇帝は柔らかい表情を浮かべた。
「………あーあ、グランハイム公爵は終わったな」
「アリスとセレスはちょっとだけお転婆だからな。くっつけると大変なことになる」
ミシェルの独り言を目ざとく拾った小悪魔な双子の姉妹の父親の疲れ切ったような言葉に、ミシェルはピッと背筋を伸ばした。
「も、申し訳ございません」
「気にするな。公爵の終わりが決定したのは事実だからな」
ミシェルは皇帝の言葉に苦笑した。
「どこまでご存知で?」
「全てだと言っても過言ではないと思うぞ」
「『影』もつけていらっしゃったのですね」
「大事な娘を守るために必要なことだからな」
皇帝は愛娘を溺愛するあまり、異常なレベルの警備を敷いているというのはこの帝国では有名なことだった。そして、セレスティアがそれを振り切って戦場で最前線に立ったり、賊を1人で捕縛しているのもこれまた有名なことだった。
「できればお前には、セレスティアの手綱を握ってほしい」
「どんな無理難題をおっしゃっていらっしゃるかお分かりで?」
ミシェルはあまりに無茶なお願いに持ち前の小動物な弱々しさを捨てて、引き攣った笑みを浮かべた。
「お前ならばできる。その小動物系癒しキャラを生かせ」
「………………………」
(この家族は揃いも揃って僕を小動物扱いする………)
「不服か?」
「………イエ、オホメニアズカリコウエイニゾンジマス」
ミシェルは揃いも揃って突飛な一家に、激しい目眩を覚えた。
(僕、お婿に行くお家間違えたかな………?)
「ミシェル、何をぼーっとしているんだ?最後の仕上げに入るぞ」
「………メインディッシュの間違いではないですか?」
ミシェルは悪戯っ子の笑みを受けべて手を伸ばすセレスティアと、真っ赤な扇子で口元を隠して不機嫌そうに佇んでずんいるアリスティアを見て、苦言を呈しながらこれから起こることに覚悟を決めた。
「ミシェル」「ミシェル・ライバード」
「今行きますよ、殿下方」
ミシェルの歩みは、思っていたよりも圧倒的に軽やかで、身体は羽のように軽かった。
「メインディッシュは上手にお料理できそうですか?」
「誰に聞いているの?」
「2人がいれば問題ない」
ミシェルの質問に、アリスティアは好戦的な笑みを、セレスティアは花が綻ぶような笑みを返した。
「「グランハイム公爵、出てきなさい!!」」
仲が悪いことで有名だった一卵性双生児の姉妹が手と手を取り合って、一寸の狂いもなく悪の元凶の名を叫んだ。
名前を呼ばれた瞬間に動いた影を、この国で2番目に強いセレスティアは見逃さなかった。
「ぐはっ!!」
バルコニーの方に走って逃げようとしたグランハイム公爵を思いっきりよく投げ飛ばした。
「セレスには手加減という言葉を学ばせるべきね」
「………………」
アリスは自分とは関係のない他人事のように蔑みの視線をグランハイム公爵に向けて、セレスに向けてどことなく呟いた。ミシェルは終始苦笑していた。
「くそぉー、馬鹿力め!!」
(ははは、セレスの強さはここ3日で嫌というほどに実感したから簡単にわかるけど、それでも十分に手加減しているんだよ、グランハイム公爵)
ミシェルはセレスティアそっくりの妖艶な笑みを浮かべて、救いようのない男を見やった。
「衛兵!縄で縛り上げて中央に運べ!!」
『はっ!!』
セレスティアの命令に警備に当たっていた兵が動き、グランハイム公爵は決死の抵抗も虚しくあっという間に連行された。
「………この国の衛兵の主人はいつから皇帝の私ではなく、今日皇太子に就任したばかりの第二皇女になったのだろうな」
「………………」
質問されたミシェルは、そっと視線を外した。今回のグランハイム公爵の不正を暴く際にも、セレスティアがなんの躊躇いもなく大量の衛兵を好き勝手に動かしていたからだ。あの調子から考えると、セレスティアが衛兵を好き勝手に使っていたのはだいぶ前からだろう。そして少なくとも、操った回数は1回や2回ではない。
「セレスは本当にすごいですね。我婚約者ながらいつも驚かされます」
「………お前、3日間一緒に行動しただけで大分常識が麻痺してないか?」
「ははっははははっはははは、」
「………………」
皇帝の言葉に空笑いを浮かべたミシェルに、皇帝は心の底から同情した。
(我娘ながら、2人とも全くもって常識というものを知らなさすぎる。というより非常識だな)
「そなたは常識というものを努々忘れるな」
「………アリスティア皇女殿下のお陰様で、少しは一般人よりもシビアになっていると思いますので、ちょっとやそっとのことでは常識はお空の遠くに飛んでいかないと思います」
ミシェルの無表情での言葉に、皇帝は居心地が悪くなった。そして、今度無鉄砲な娘2人に幼い頃から振り回され続けた彼に美味しい酒でも振る舞おうかと思ったが、セレスティアが激怒すると考え直した。
「皇帝陛下、10年越しの罪と新たな罪の断罪を始めてもよろしいですか?」
「好きにせい、次期皇帝、セレスティア・ルクセンブルク」
「はっ!」
セレスティアは意志の強さを感じさせる生真面目な表情で、真っ直ぐと皇帝を見据えてから、淡い水色の複雑で豪奢な銀糸の刺繍を施されたマントを翻した。
「アリス、ミシェル、準備は良いか?」
「誰に聞いているのかしら?」
「セレスが良いなら構わないよ」
「じゃあ、始めるしようか」
「えぇ、」「うん」
3人の次代を担う若者は、今代を巣食う真っ青な顔で震え上がった諸悪の根源を鋭い目つきで睨みつけ、各々の思いをぶつけるべく、セレスティアの指示のもとでミシェルの両親や皇城の衛兵をこれでもかというほどに使って3日間で集められた大量の証拠書類を、武器のように堂々と構えた。
「じゃあ、わたくしから行かせてもらうわ!!
わたくしが発表するのは10年前のお母様の自殺事件の真相についてよ。せいぜい耳をかっぽじって一言一句聞き逃さないように必死になって聞き取ることね!!」
書類を彼女の最大の武器たる扇子のようにぱらりと開いたアリスティアは、怒りに染まったアメジストの瞳でグランハイム公爵を睨みつけた。
「このお母様の自殺事件は、お父様の元婚約者だったあなたの妹がお母様に罵詈雑言を吐いたことによって、気が病んでしまったお母様が毒を煽ったということで片付けられているのは当然ご存知よね?」
「っ、」
「あぁ、返事は要らないわ。その汚ったらしい口はもう一生閉じておきなさい。気持ち悪いから」
アリスティアはここ数年で腕を上げた毒舌をこれでもかというほどに総動員させた。全ては自分の母親たるフロンティアの命を奪った愚か者への制裁の為だ。ちょっとでも多くの苦痛を味わわせたい。苦しめたい。自分が味わった以上の絶望を………。
「でもねこの事件、1箇所重大な問題があるのよ。何かわかる?」
「………」
口を開こうとしてアリスティアに睨まれた公爵は、慌てて口を閉じた。
「毒の入手先よ」
唄うようにアリスティアが呟いた言葉に、会場内にざわめきが轟いた。皆が長年感じていた違和感の正体に、一歩近づいたような気がしたからだ。
「ここに毒を持ち込むことはとても難しいことよ。ましてや登城してきた商人以外から買い物をしていなかったお母様であれば尚のことね」
アリスティアは獲物を見つけた猛獣のように、目をすぅっと細めて強気に微笑んだ。