第九話
根が枝のように壁から伸び、そこにはいくつかの寄生植物が花を咲かせていた。
充血した目玉の血管にも思える赤い葉脈の大きな葉や、イモムシを裏返してお腹を見せたような多肉葉など、地上で見かけるような植物は一つもない。
リットが悪魔に案内された部屋では、そんな植物がイキイキと育っていた。
しかし、リットが目を奪われたのは植物ではない。
天秤にガラス管。フラスコに小型の炉。大釜もあれば薬草を粉砕する薬研もある。
これらから導き出される答えは一つだった。
「ここはガルベラの研究所か?」
「そうだろうな。こんな道具を使うのは人間くらいだ」
「結局師匠を追いかけて空へ来たってわけか……。空で生涯を終えるのも真似するとはな」
リットは今となっては、古臭いものへと追いやられてしまった道具たちに触れながら言った。
「オレにはわからん。なんの研究をしていたのかもな。ただ、溶かした鉱石をオイルに混ぜる技術だけが受け継がれてきたんだ。他のものはなにも引き継がれてないと思うぞ」
リットは「かまわねぇ」と肩をすくめた。
ランプ屋としては、魔女の知識よりも錬金術の知識のほうが理解しやすい。オイルの抽出方法が錬金術の技術だからだ。
ガルベラは人間ということもあり、同じく人間のリットも安心して使えるものだが、別種族が使っている技術となると厄介だ。
ノーラのようにドワーフの女だけが持つヒノカミゴの力や、天使族が使う光の階段といった力など、そういう力が関係してくると、人間の無力さが浮き彫りになる。
だから人間は様々な技術を取り入れようとする。それが魔女の力であり、錬金術の力だ。
見たところ道具は地上のものであり、安全性は高そうだった。安全だと言い切れないのは、見たことのない色のオイルが抽出されているからだ。
砂漠の枯葉を伝う朝霧の雫のように、一滴一滴ゆっくりと液体がフラスコに落ちていく。
「なんだよこの緑色のオイルは……」
リットは抽出中のオイルを見て、眉間に深いシワを作った。
「なにって………。エメラルドを溶かしたオイルに決まってるだろう」
「エメラルドを溶かすってな……。宝石を溶かすのに、どれだけ熱が必要になるのかわかってんのか?」
「なにを言っている……。それを可能にするのが錬金術の力だろう? そう言い伝えられてるぞ」
「そう言うなら……どうやって溶かしてるのか見せてもらおうか」
リットは緑のオイルが入ったフラスコから視線をずらし、いくつも複雑に繋がっているガラス管を目で追っていくと、最後は銀皿に乗せられたエメラルドに辿り着いた。
「どうだ? 嘘は言ってないだろう。ここでは何一つ変えることなく、昔の方法を使っているんだ。なにせ教えた魔女は死んでるからな。余計なことをすると二度と作れなくなってしまう」
「嘘を言ってくれてたほうがマシだった……」
リットがため息交じりに言った理由は、エメラルドが液体になる理由が全くわからなかったからだ。
だが、現実は目の前で液体になりガラス管を流れている。ガラスにエメラルドが反射して色付いているわけではない。確実な液体となって流れ落ちている。
液体はねっとりとしていてスライムのようだが、特徴的な形のガラス管を通るたびに性質が変化したかのように、流れる速度は変わっていた。
「人間ってのはわがままだな……」
悪魔は無茶を言うなと顔をしかめると、他にも色々あるぞと棚から箱を取り出し、蓋を開けて中の宝石を見せた。
宝石はどれか決まったものというわけではなく、ルビーやエメラルド、トパーズなど様々な種類があるが、そのどれもがちゃんとした宝石だ。
つまりカットや研磨されることにより、輝きを持っているということだ。
「ここには宝石売りがいるのか?」
「いないぞ。買いに来る奴がいないからな」
「そりゃそうだ」一度は納得したリットだが、宝石を輝かせるのは装飾品のためだ。それでは話が変わってくると、再び思い直した。「待てよ。じゃあなんだ。そこの宝石は」
悪魔はため息をつくと「エメラルドだろう? 会話の内容を覚えてないのか?」と呆れた。
「そうじゃねぇよ。なんで宝石を溶かすのに、一度カットしてるんだよ」
「そりゃあ――そりゃあ……。なんでだ?」
「もっと話が通じる奴はいねぇのか……」
リットは誰に聞いたところで同じ答えが帰ってそうだと諦めつつも、再びエメラルドが抽出されているガラス管を観察した。
ガラスはただのガラスではない。触れてみた冷たさから『グリム水晶』だとわかる。
グリム水晶といえば、現在は浮遊大陸で採掘が禁止されているもので、目の前にある管やフラスコなどの一セットは、小国くらいなら買えるほどの価値がある。
リットが突っ立って悩んでいると、悪魔は「ツレを呼んできてやる」といなくなった。
その間リットは光と魔力の関係について考えていた。
光と魔力は似たような性質を持っている。魔女が作り出した魔宝石という魔力を宝石にこめる技術も、光が宝石の中を何度も反射するように、魔力が何度も反射して閉じ込められているからだ。
もっと言えば、光の反射で魔法陣を描いている。なので、魔宝石の保管には特殊なケースが必要になるのだ。
浮遊大陸の財産とも言えるグリム水晶とて例外ではない。
それどころか大きな役割を担っている。
リットが過去に解決した『闇に呑まれる』という現象も、ディアドレが魔宝石を使った魔法陣で『エーテル』という新たな元素を作り出そうとし、失敗したことから始まった。
そして、その魔宝石を使って魔法陣を作るのに、グリム水晶は必要不可欠なのだ。
グリム水晶はレンズのような役割を果たし、魔力を収れんさせる。つまり、太陽の光をレンズで一点に集めて火をつけるようなこと。
魔法陣の点は魔宝石であり、それを繋ぐ線がグリム水晶。
だが、目の前にあるのは魔法陣ではない。だが、グリム水晶の効果というのは失われていない。
なにか別の使い方がある。そう思ったリットは、部屋の中をくまなく観察することにした。
と言っても、あるのは土壁に土天井。いくつか見たことのある魔女道具はあるが、使われた形跡がないので今回は関係がない。
「おじさん……せっかく飲んでたのに……」
悪魔に連れられてきたアルデは、不満を隠すことなく部屋へと入ってきた。
「どこでも飲んでるな……」
「人のこと言えるのか?」
「今は言える。なんか気がつくことはあるか?」
「あるとも。おじさんは眠い」
アルデは仰向けに寝転がると、ハマりの良い場所につくまで、ゴロゴロと何度も寝返りを打った。
「誰のために働いてると思ってんだよ」
「自分の為だろう? 堕天使の密造酒を安全に飲むため」
「そうだった……話が壮大になってすっかり忘れてた。余計なことは考えずに、さっさと毒を抜く方法を考えるか……」
リットが背中を向けた瞬間に、アルデは「お?」と声を漏らした。
「吐くなら部屋の外へ行けよ」
「今光らなかったか?」
「そりゃ、ここにあるのはグリム水晶で、ランプで部屋を照らしてるからな」
「その奥だ」
「そこだよ……」
リットは壁に近付いて見るが、光は見えなかった。
「おじさんをからかってるのか? すぐ隣だろう」
「すぐ隣って言ってもな……」リットはガラス管の位置を変えないように、手をついて壁を覗き込んだ。すると、ついた手の影が光を作った。「本当だな……。よくこんなの見えるな」
「天使だぞ。浮遊大陸で育ったなら誰でもわかる。それくらい光と生きてる」
「今は光の届かねぇ闇の中だけどな」
リットは情けない今のアルデの姿に例えて笑っていたが、不意に笑いを止めて壁を見つめた。
「どうした? 吐くなら外に行ってくれ」
アルデは言い返して満足だと、酔いに任せてウトウトし始めた。
「この壁の向こうってのはあの雷雲か?」
リットはアルデに構っていられないと悪魔に聞いた。
「当たり前だろう。何を見てきたんだ。キュモロニンバスの天空城のように、幽玄な大地が広がっているとでも思ったか?」
「広がってなくて助かった……」
リットは光った壁を手で擦り始めた。長い年月をかけて埃が接着剤となり、土埃と合わさって土壁になってしまっていたが、これは壁ではなく窓だ。それも、グリム水晶で作られた窓。
窓の向こうは絶景ではない。真っ黒な雲と、それにヒビを入れるような細い稲妻が流れている。
リットがこれだと思った瞬間。外で思わず目を塞ぐほど大きく光った。
雷だとすぐにわかったが、轟音は聞こえない。
目を開けたリットの視界に入ったのは、明らかに先ほどとは違う流れ方をしている緑色の液体だった。
倍の速度で流れる液体は、リットだけではなく悪魔をも驚かせた。
「おい、どうやったんだ! いつもは小瓶いっぱい貯めるのに、半年はかかるというのに……」
「魔女は適当なところに研究所を作らねぇからな」
最初リットが考えたのは太陽の光だった。雲の上に大地があり、一年中晴れている浮遊大陸。だが、空からの光は他にもある。星や月もそうだが、一瞬だが強烈に空気を響かす雷という光。
名が売れたのは錬金術だとしても、ガルベラは元々魔女だ。そして、その師匠はディアドレ。エーテルの為に雷の力を利用しようと考えるのは、自然な流れだ。
その技術は魔法としてではなく、錬金術としてここで受け継がれた。
浮遊大陸の地層から取れる原石に元々魔力がこもっていたのか、魔女のように宝石に魔力をこめられる種族がいるのかはわからない。
リットが確信を持っているのは、目の前で起こっているのは魔女による錬金術ということだ。
雷の力がグリム水晶に流れることにより、魔力は形状変化を起こし、魔宝石が液体となった。それで、オイルと混ぜることが出来るようになった。
「まさかこれを飲むつもりか?」
悪魔は信じられないと言った顔をした。
「飲むかよ。なんとなく理解は出来たけどよ……」
リットは言葉を止めた。この仕組みが理解出来たところで、なんの役にも立たないからだ。
これが正真正銘の錬金術だとしたら、毒を取り除く方法が見つかったかもしれないが、魔宝石を溶かしてオイルにしたところ今回の目的とは違う。
「まぁ、ゆっくり悩め。久々の客だ。こっちは歓迎するぞ」
悪魔が言うと、アルデは寝たまま拳を上げた。
リットはその手を床に下ろさせて「そうもいかねぇ」と呟いた。
「どうしてだ?」
「ちょっと時間がねぇんだ。戻って相談もしてぇけど、そんなことも出来ねぇくらいにな」
「それなら、簡単だ。また戻ってくればいい。何度だって歓迎するぞ」
「だから言ってるだろう。時間がねぇって」
「だから言ってるだろう。戻ってくればいいって」
悪魔は棚からオイルの入った小瓶を取り出すと、リットに投げ渡した。
オイルの色は現在作られているものと同じ緑色だった。
「どうしろってんだよ……。土産か?」
「こっちへ来い」
悪魔はリットだけを誘うと、最下層まで連れて行った。
するとそこには鎖に繋がれたハズレジマがあり、空の見える穴の上をぷかぷか浮いていた。大人一人が横になれるほどの大きさで、リットにはちょうどいい大きさだった。
「まさか……あのランプの光で動かせるのか?」
「察しがいいな。その通りだ。オレ達は『雲島』と呼んでる。伝えられている話だと、魔力というのは色分けが出来るらしい。緑は風の元素と相性がいい。雲を風で流せば、陸もついてくる。大型のものを動かそうとするのは無理だが、これだけ小型のハズレジマなら楽勝だ。ランプを向けた方向に風は進む」
「そりゃ便利だな。……魔女には知られるなよ。また浮遊大陸が空に打ち上げられるぞ」
リットは試しにランプを向けて、ハズレジマが動くのを確認すると、アルデを置いて一人ユニコを出発した。