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第六話

 リットの二日酔いと中毒症状は、浮遊大陸の雲に陰ることのない太陽のおかげでかなり緩和されたが、だからといって気分爽快とはいかない。

 リットの目の前には、今にも怒り出しそうな表情のエミリアが仁王立ちしているからだ。

「それでどうするつもりだ?」

 エミリアはリットをこれまでにないくらい睨みつけて言った。

「簡単だ。こいつを医者と植物学者がいる『ラット・バック砂漠』に落とす」

 リットはアルデを指した。よだれを垂れ流して、水気の多い汚いイビキをかいていた。

「私は真面目に聞いているんだ」

「オレも大真面目だ。うちの庭に落ちてきて怪我の一つもねぇんだ。天使が上から落ちてきて死んだ。なんて話を聞いたことあるか? 多分大丈夫だろう」

「私にその理屈が通用すると思っているのか?」

「じゃあ、どうすんだよ。そっちも兵士を待たせてるんだろう? こっちも追われる身だ。時間はねぇぞ」

「マックスに頼みます? 浮遊大陸には天使族の他にハーピィもいますし、手紙は風のように早く届きますよ」

 ノーラはスリー・ピー・アロウのことも考えると適任だと付け加えるが、リットはどうしたものかと思っていた。

 マックスがいれば白装束のことは協力的になるが、肝心の密造酒となれば別だ。エミリアと結託して、違法な酒は廃棄する。という流れになるのが目に見えている。

 かと言って、ここにいる堕天使達は光の階段も使えない役立たずだ。移動手段を考えると、マックスが適任だった。

「どうしたもんか……」

 悩むリットに、ノーラは「任してくださいな」と親指を立てた。

 リットはノーラの笑顔を眺めながら「どうしたもんか……」と同じ言葉を呟いた。

「旦那ってば、もっと私を信用してくださいな。目的が一致してるんスよ。邪魔は絶対にしませんて」

 ノーラの目当てもハチミツだ。ハチミツの毒を排除出来るのなら、エミリアに隠れてリットに協力するのに何の問題もない。

「私の前で堂々と悪巧みか?」

 エミリアは聞こえているぞと釘を刺すが、マックスと結託さえしなければいい。リットはマックスに助けを求めることを決め、手紙を書くことにした。

 ディアナでは、リットの妹の『シルヴァ』がしょっちゅう手紙を出すお得意様なので、『ビードルド・ウルエ運送』というハーピィとケンタウロスがやっている運送屋を利用できる。

 高額な運送料が安くなるわけではないが、優先して運んでくれるため手紙は一日もかからず届けてくれる。

 陸の悪路はケンタウロスのファスティー・キューックが、空からはハーピィのシルキー・アップダウンが。どちらも種族の中で最速と言われる人物だ。

 なので、リットの二日酔いが完全に治る頃には既に手紙が届き、このハズレ島にも光の階段が架けられた。

 しかし、やってきたのはマックスではなく母親のミニーだった。

「もう! ますますあの人にそっくりになっちゃって……男盛りね!」

 ミニーはリットの姿に若い頃のヴィクターの面影を見つけると、まるで長年離れていた恋人のように抱きついた。

「……なにしに来たんだよ」

 リットが冷たくあしらうと、ミニーは不満に頬を膨らませた。

「そういうところは全く似ないのね……。腰に手を回して、強く抱きしめ返すのが礼儀よ」

「オレはマックスを呼んだんだよ。マックスを寄越すのが礼儀なんじゃねぇのか?」

「恋文かと思って勝手に読んだら、リットからなんだもん。サキュバスの一人でも連れてくればいいのに……」

 ミニーはマックスがあまりに奥手なので、心配になってため息をついた。

「やめてやれよ。母親が出しゃばると、余計頑なになるだろうが」

 リットは帰ってマックスを呼んで来てくれと言おうとしたのだが、ミニーは素早くリットから離れてエミリアに抱きついた。

「あらあら……あなたがリットと結婚する天使ちゃん? 羨ましいわぁ……キレイな髪ね」

 ミニーに髪を撫でられたエミリアは硬直してしまった。

 彼女がディアナの重役であることを知っているからだ。

 ヴィクターが王だった頃は、全員が王妃と呼ばれていた。

 今は息子のモントが王になり、妻のソアレが王妃の座についた。

 ヴィクターの死後。四人の妻達は時折、まだ政治に疎い未熟な子の手伝いをしながら隠遁生活を楽しんでいたのだが、ミニーは刺激を求めていた。

 というのも、息子のマックスは立派に成長して、魔族の地との外交を進めているので、母親としてやることが少なくなってしまったのだ。

 代わりに過去を思い出す時間が増え、ヴィクターが浮遊大陸から自分を連れ出してくれた時のことを思い出していると、まるで過去の思い出に誘われるかのようにリットから手紙が届いたのだ。

 そんなミニーの思いつきは、リゼーネの兵士であるエミリアにとって困り事でしかなかった。

 エミリアが緊張に怯んだのに気付いたリットは、これはマックスより使えると判断した。なぜならミニーは面白いことが好きであり、自分の味方になるはずだからだ。

「ちげぇよ。手紙に書くとマックスが卒倒しそうだから書かなかったけど、相手は上層のヴァルキリーだ」

 ミニーはエミリアの頭を撫でたまま「あの人の息子ねェ……」とリットの顔を見て、熱い吐息を漏らした。「ヴァルキリー……それも上層住みに手を出すだなんて……」

「出してねぇよ。パンツを見たくらいだ」

「上層天使の下着を見るというのは、その中を見るのと同義よ。古臭い考えだけどね」

「それで困ってんだよ。手紙を盗み見たんだろう? どうなんだよ……どうにか出来そうか?」

 リットがマックス宛に書いた手紙には最低限の内容しか書かれていなかったが、周囲を見渡してミニーは現在どういう状況かすぐさま理解した。

「頼られるのは嬉しいけど……。これは難しいわよ……」

 ミニーが睨みつけたのは堕天使達ではなく、ブンブン羽音を鳴らして飛び回るミツバチだった。

 ミツバチの役割というのは、花の蜜を集めるだけではなく、果実を実らせる受粉も行っている。地上ではよく見かける当たり前の光景だ。

 しかし、浮遊大陸は高度が高すぎて普通の虫は生息していない。なので虫媒花ではなく、鳥媒花という鳥を媒介して受粉するのが浮遊大陸の植物なのだ。

 浮遊大陸の植物が特殊な形や派手な色をしているのは、鳥を惹きつけるためだ。

 そこへミツバチを持ち込んだとなると一大事だ。浮遊大陸の大地は、大地同士が急接近することもあるので、その時に今いるハズレ島のミツバチが他の大地へ移動する可能性は高い。

 つまり植生が乱れてしまうことになる。ミツバチによって、次々に変異を起こしてしまうのだ。

 浮遊大陸は魔力と雲からの水分の他に、植物の根によって支えられている部分もあるので、変異を起こし根が細くなったり脆くなってしまっては、浮遊大陸が墜落してしまう。

 ミニーがそのことをリット達に説明すると、堕天使達はそれこそが狙いだと、ミードの入ったコップを掲げて乾杯した。

「それを全部安全にクリアする問題はないかって聞いてんだよ」

 リットは執拗に酒を勧めてくるアルデを足蹴にしながら言った。

「あるわ。その為には……鳥を猿に変えて、杉の木を海の波に変えるの。あとは……そうね、空を地面と変えたら完璧ね」

「そりゃ無理ってことだろうよ」

「それくらい無理難題ってことよ。浮遊大陸の伝統って言うのは、それだけ根深いのよ。上層じゃなくても、まだ服は白が基本だなんて場所よ」

 ミニーは言いながら、エミリアの着ている白装束をいじり始めた。裾をまとめてるように腰紐を結び直し、へそから上は空気を入れるようにゆったりとした着心地へと変えた。

「申し訳ない……こちらの装束は着慣れないもので……」

 エミリアは自分の着こなしが間違っていたと思い、失礼をわびて深々と頭を下げた。

「いいえ、いいのよ」

 ミニーがニッコリ笑うと、リットがため息を落とした。

「おい……嘘を教えるなよ……」

「あら、本当よ。白い装束なのは、太陽に照らされて体の影を出すためのなの。ね? このほうが魅力的でしょう?」

「言っておくぞ。そこにいるエミリアはな。リゼーネの兵士でも将来を有望視されてる存在だぞ。こうして、浮遊大陸に派遣されるくらいにな。子供達が頑張ってる世界各国との外交をふいにするつもりか?」

「本当……無風流な男なんだから……。女の体のラインが見えたら、普通の男は暴走するものよ」

「そっちは立場上遠慮されてるけどな。こっちは立場上遠慮なしに説教されるんだよ。それで、本当に方法はないのか?」

「あるとしたら、リットがヴァルキリーと結婚して、内側から価値観を変えるのよ。あの人がディアナでやったようにね」

 ミニーは頑張りなさいとリットの背中を叩いた。

「そうはいかねぇよ。浮遊大陸がどうなろうか知ったこっちゃねぇが酒は欲しい。どうにかするぞ」

「お手並み拝見かしらね」ミニーはリットがやる気を出すのを見て頬を緩めたが、すぐに真顔になった。「でも、このミツバチはどうにかしたほうがいいわよ。植物だけじゃなく、虫も環境によって変化するものだから。浮遊大陸に適応したら大変よ。私は絶対にかばい切れないわ」

 ミニーの言うことは尤もだった。交渉しようにも、ミツバチの被害が出てからでは遅い。密輸した堕天使達は当然のこと、リットも幇助の罪に問われる可能性もある。

 リットは浮遊大陸の牢獄暮らしよりはマシだろうと、妖精の『チルカ』の力を借りることにした。

 妖精は虫と話す事が出来るのと、ハチミツも好きなので上手いこと誘いに乗らせれば、このハズレ島の外に出ないよう命令できるかもしれない。

「ノーラ……頼めるか?」

 リットは自分で頼むより、ノーラから頼んだ方がチルカの協力を得やすいと思った。

「がってんっスよ。頼ってくださいって言ったじゃないっスか」

 ノーラは美味しいハチミツが食べられるのならと、ミニーが架ける光の階段でリゼーネの迷いの森へと向かうことにした。




「さてと……エミリアはどうするんだ?」

「どうするもなにも、部下が浮遊大陸に残っている以上。私一人地上に戻るわけにもいかない。それに、この惨状をどうにかしなければな……」

 エミリアはこんなに酷い光景は見たことがないと肩を落とした。

 酔いつぶれるだけでも酷い光景だが、中毒症状なのか嘔吐を繰り返す者もいれば、うわ言をずっとつぶやく者もいた。

「このまま放っておけないだろう」とエミリアはため息を落とした。「リットこそどうするんだ」

「オレはだな……。起きろ、アルデ」

 リットは胸ぐらをつかむようにして、酔いつぶれているアルデを起こした。

「おじさん……もうなにも考えられない。酔って頭はふわふわ。まるで空を飛んでいるようだ」

「ハチミツを持ってラット・バック砂漠に下りるぞ。だから怪我せずに落ちてく方法を教えろ」

 リットは庭に落ちてきた来た状況を教えろと、アルデを揺さぶった。

「あぁ……そんなことされたら……おじさん……おじさん吐いちゃうよ……。あぁ……」

 アルデは一度多く息を吸うと、耳にこびりつく嫌な嘔吐音と、吐瀉物が地面で弾け散る音を響かせた。

「リット! なにしてるんだ!」

「吐かせて、少しでも正気に戻させてんだよ。さっきも言ったけど時間がねぇんだ。ラット・バック砂漠の上空についたら、すぐに下りねぇと間に合わねぇよ」

 リットは島の縁まで歩いて行くと、根をしっかり掴んで地上の様子を見た。

 今のところは全く知らない風景が広がっている。

「ラット・バック砂漠に行くのは無理よ。風向きが全然違うもの」

 ミニーは雲の動きを読んで確信した。雲から地上を見下ろす風景などもう何年も見ていなかったが、子供の頃からの習慣だ。浮遊大陸に戻った時から、世界の見通し方を取り戻していた。

「よくわかんねぇよ……」

 リットは目を凝らしてみるが、先ほどと変わらず知らない風景が広がっているだけだった。

「人間は地上を見下ろすって経験がないものねぇ。覚えたら便利よ」

「そんなに用はねぇよ、浮遊大陸にはな。酒を手に入れたら、もう一生来なくていいくらいだ」

 リットは作り物のように広がっている、遥か遠くの地上を見て身震いした。

 下りるとは言ったものの、たとえ安全だと確証されても相当覚悟がいる距離だ。

「私もよ、勢いに任せて浮遊大陸に戻ったものの。どんな顔をしてればいいかわからないわ」

 ミニーは地上ではなく、空と雲の空平線を見ていた。

 マックスは祖父に会ったが、ミニーはヴィクターについて地上に降り立ったきり、一度も父親に会っていないのだった。向こうが自分をどう思っているかわからないし、自分もどう思っているのかわからなくなってしまっていた。

 ただ若さの行動力を悔いているわけではない。幸せであったし、今も幸せなのは確かだからだ。

 過去にマックスを連れ出した張本人のリットは、ミニーの表情の意味を理解し、なんと声をかけていいのかわかなかった。

 気休めを言うには、あまりにミニーと父親の『メディウム』が過ごした時間を知らなすぎるからだ。

 リットはあえて無視して「リゼーネには降りれそうか?」と、過去ではなく未来。これからのことを聞いた。

「そうねぇ……リゼーネはどの辺だったかしら?」

 ミニーが首を傾げると、エミリアはすぐさま地図を取り出して説明した。

 二人が地上から伸びる光の柱から位置を計算している間。

 リットはエミリアに聞かれないうちにと、酒瓶を抱えて横たわるアルデの頭をつま先で小突いて起こした。

「おい、このミツバチってのはどこから仕入れたんだ? オマエら光の階段がないから、地上に降りられないだろう?」

「おじさんが知るわけないだろう。ここでは新参者の堕天使だぞ」

「そもそもコイツらなんの集団なんだよ……」

 リットは十人はいる堕天使達を見て、それぞれに声をかけてみることにした。

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