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第五話

 婚儀の日。カペラは純白のドレスに身を包み、大鏡の前で裾を翻してポーズを取り、満更でもない笑みを浮かべていた。

 そんな様子を不思議に見ていたのは、副隊長のヴァルキリーだ。

「あんな男のどこが良いんですか……」

 副隊長はリットの姿を思い返してみたが、初恋のように理由もなく胸を躍らせるような男でもなければ、至らぬところに目をつぶり生涯添い遂げる男にも思えなかった。

「わからない。だが、やる気のない瞳。だらけた空気。人を舐めた態度。たまらなく心臓が脈を打つ。そういう男を、自分の力で変えてみたいとは思わないか?」

 カペラの笑顔に、副隊長は首を縦にも横にも振らなかった。

 ただ一言「ファザコンですか……」呟いただけだ。

「お父様は関係ない。全て私の意思だ」

「ですが、勢いで結婚を決めるものではないかと。首をはねたほうが早いですよ」

「そうはいかない。あの男の実績を知っているか?」

「いいえ」

「東の国にある光の柱を直した男だ。それだけならまだしも、闇の柱の大元を消した。そんな男の首をはねてしまえば、地上との関わりに支障が出る。私が犠牲になればいい」

「カペラ様……」副隊長は真っ直ぐカペラの目を見つめてから、大きなため息をついた。「いつもの思い込みですね……。たしかに上層天使の下着というのは、己の純白を証明する格式高いものであり、地上の者に見せるようなものではありません。我々には話し合いという手段も残されています」

「必要ない。逆にチャンスだ。闇を晴らした者の血を入れれば、天使族の格はより一層上がるというものだ」

 悲劇のヒロインを気取るカペラに、副隊長はどうしたものかと頭を悩ませた。

「たしかに思い込みも一つの恋の形態ではありますが……あまりに尚早な考えかと」

「もう決めたことだ。準備も整っている。あとは花婿を迎えにいくだけ。これ以上の進言は許さんぞ」

 カペラが母から譲り受けたグリム水晶のペンダントを首から下げると、副隊長のくだけた雰囲気は消えた。

 ピリピリと肌が痒くなるようなひりついた空気が流れる。

 いつもの鉄靴とは違う、革靴の音が響き、牢へと向かう。その音は、今日という日を祝う拍手のようだった。

 しかし、その音はざわめきにかき消された。

「カペラ様!?」

 カペラの姿を見つけたヴァルキリーが慌てて駆け寄ってきた。そして、道を塞ぐように立ちはだかったのだ。

「どうした? 持ち場を離れるな」

「カペラ様! お帰りください!」

「……それは私に命令しているのか?」

 カペラの威厳を込めた一言に、その場の全員が凍りついた。

 しかし、それでもヴァルキリーはおかえりくださいと続けた。

 さすがにただ事ではないと感じた副隊長は、様子を見に一人牢へと向かった。

 すると、そこには驚愕の光景が広がっていた。

 副隊長は慌ててカペラの元へ戻り、耳元で「脱獄です」と言った。

「また父上か? 放っておけ……。娘の婚儀にも出られぬような親は親とは思わん」

「いえ……二人ともです」

「なに!?」

 カペラはドレスの裾が汚れるのも構わずに、走って牢へと向かった。

 牢には誰もいない。しかし、鍵はかかったままだ。

「どうやって逃げ出した!」

「現在調査中です! 昨夜までいたのは確認しております!」

「この私に恥をかかせるとはな……。絶対に連れ戻せ。最悪首をはねてもかまわない」



 昨夜、リットの元に不思議な光が現れたのだった。何かを知らせるように、規則的に壁を反射させている。

「おい、アルデ。こっちに光がきたぞ。指輪をよこせ」

 リットは受け取った指輪に光を反射させた。どこに向かって反射させているのかはわからないが、何かしら反応があるはずだ。そう信じて繰り返していたのだが、規則的な反射は変わらずだ。それどころか、その反射の光さえ消えてしまった。

「リットを信じたおじさんがバカだった……」

 アルデがこれ見よがしのため息をついた時だった。

 リットの足元の床が虹色に光ったのだ。

 石レンガの隙間をまるで刃物のような光が伸びる。リットは思わず斬られたと身構えたほどの強烈な閃光だった。

 その光が何かと考える前に床はバラバラに崩れ落ち、リットは真っ逆さまに落ちていった。

 これは死んだ。と思うのは早かった。だが、リットは誰かに抱きかかえられて一命を取り留めたのだ。

「なんだ? こいつは天使じゃないぞ?」

「おじさんの客だ」

 リットの隣では、アルデが同じように堕天使に抱きかかえられていた。

「アルデ? また捕まったのか?? 落ちていった時は心配したんだぞ」

 堕天使はアルデを地面に下ろすと、ランプを高く掲げて渦を描くように腕を回した。

 すると、落ちていたレンガが浮かび上がり、元通り床を作ったのだ。誰もが見飽きた現象だとでもいったように目もくれなかったが、リットだけは床が元通り構築されていくのを見ていた。

「なんだ……今のは?」

「なにって……なんだ?」

 堕天使はもう一人の堕天使と顔を見合わせるが、気にしたことがなかったと肩をすくめ合った。

「どう考えたって、魔力が関係してるだろう……。なにをしたんだよ」

「あぁ……そうだった。魔族が作った特殊な炎だ。浮遊大陸の魔力を書き換える力がある。天使は知らない力だ」

 そう言うと堕天使は、どこからともなく取り出した酒をリットに飲めと渡した。

「そんなことして大丈夫なのか?」

 リットは疑問に思いながらも渡された酒に口をつけた。まさかこれが探していた堕天使の密造酒だとは思いもしなかった。

 ハチミツを発酵させたミードはすっきりとした味わいだった。アルコール度数は高くなく、口当たりの良いまろやかな風味だ。

 飲みやすいこともあり、リットはもらったコップ一杯をすぐに飲み干してしまった。

「大丈夫だろう。そもそも、オレ達は上層を崩壊させようと暗躍する堕天使だからな」

「そりゃいい」とリットは上機嫌に言った。

「上層のヴァルキリーは、下から見上げないから知らないんだ。あの牢の下にはもう"大地がない"ことをな。オレ達は床をこじ開け、捕まった堕天使を助けて、仲間に引き入れているんだ」

 堕天使は二人とも物騒なことを話しているのだが、なぜかリットはそれが当然の考えだと思っていた。それどころか協力しようとさえ思っていた。

 それなら話が早いと、堕天使は隠れ家に案内するとリットを仲間に引き入れた。

 ここまで来るのもそうだが、隠れ家に行くにも『ハズレジマ』という浮遊大陸の中でも小さな島々を経由する必要がある。地図にも残さないような島なので、ヴァルキリー達の目も欺けるのだ。

 だが、堕天使達は風切羽を切られてしまっているので飛ぶことは出来ない。堕天使となってしまったので光の階段を利用することも出来ない。

 では、どうやって移動しているか。それは意図的にハズレ島を動かして移動しているのだ。それを可能にするのが、魔族が作ったランプの特殊な魔力の炎だ。

 と言うのをリットは説明されていたのだが、どうにも頭に入らない。頭が考えることを抑制しているような感じだ。

 胸もズーンと重くなっている。肺を皮袋に例えるのなら、水が半分ほど溜まったような重さだ。だが息苦しさはない。それどころか足取りは軽やかだった。雲を歩くようなふわふわとした足取り。風に吹かれては体が押し戻される。枝にすがりつく一枚の葉になったかのように、体は頼りなさをなくした。

 酒に酔ったという一言では説明出来ない現象が、リットの体の中で起こっていた。

「――起きろ。――起きろ。リット! 起きろ!」と体を揺さぶられてまぶたを開けたリット。その目には、怒りに目を三角にするエミリアの顔が映し出されていた。

「……なんだ……夢か。おかしいと思ったんだよ。バカな女に結婚を迫られる夢だ」

 リットは立ちあがろうとするが、足がなくなってしまったかのように力が入らなかった。転んで顔を打つ前に、エミリアに抱き止められた。

「バカはリットだ……。なにをした? 手配書が出回っているぞ……」

 エミリアは大きな葉に書かれたリットの人相書を見せた。太陽に透かすと、はっきりとリットの顔が映し出される。

「勘弁してくれよ……まだ目的の酒も飲んでねぇんだぞ……」

 リットは人相書をぐしゃっと握りつぶそうとするが、それをする力もなかった。眠る赤ん坊のように、エミリアの腕の中で抱かれたままだ。

「なにを言っている……。散々飲んで来ただろう。揃いも揃って何だこの様は……」

 エミリアのため息の元はリットだけではなかった。ここにいる堕天使全員が、リットと同じように力なく倒れているのだ。

「旦那ァ……覚えてないんスかァ? この隠れ家には私とエミリアの方が早く着いていたんスよ」

「隠れ家だと?」

「それも覚えてないとは……随分と楽しい脱獄計画だったみたいだな」

 エミリアはしっかりしろとリットの背中を叩くが、リットはそのまま死んだように地面に倒れ込んでしまった。

「相当酷い二日酔いみたいっスねェ……昨日浮遊大陸を滅ぼしてやるって騒いでたのも忘れたんスかァ?」

「オレが? なんのために?」

「私が聞きたいっスよォ。昨日は怖かったスよ。全員が殺気立っちゃって……。本当に戦争でも仕掛けるのかと思いましたよ」

 リットが本当かと視線を送ると、エミリアは黙って頷いた。

「それも覚えていないとはな……自分の置かれた状況をわかっているのか? 扇動したとバレたら結婚どころじゃないんだぞ」

「結婚も戦争もする気はねぇよ……。んなことより……吐きそうだ」

「仕方ない男だ……。ちょうどいい。ここにハチミツがある。二日酔いに効果があるぞ。義兄上の二日酔いにも、水に溶かして飲ませている」

 エミリアはハチミツをスプーンですくうと、リットに食べさせた。

 それっきりリットの記憶はない。目を覚ますと、エミリアが頭を抱えていた。

「起きたか……。原因がわかったぞ」

「原因? なんの話をしてるんだ」

「そうだな……半裸で私に膝枕をされている原因だな」

 リットはパンツ一枚の自分の姿を確認すると「驚いた……」と呟いた。「なにがあったんだよ……」

「あのハチミツは危険だ。二度と口に入れるな。おそらく幻覚作用がある」

「たかがハチミツだぞ」

「私も詳しくはないが、ここにある花は毒性のある花ばかりだ。ハチミツにも毒が蓄積されている可能性が高い。安心しろ、ここのことは上層に報告する。危険なハチミツもすぐに廃棄されるだろう」

 リットは最初そうだろうなとしか思わなかったが、しばらくしてそのハチミツは密造酒に使われてる可能性が高いと思って慌てた。

「待てよ、報告だって!?」

「そうだ。ここにいる堕天使達全員だ。全員がその密造酒を飲んだ途端に、攻撃的な思想になった。いずれ火種になるものを放っておけるか」

「おいおい! なんの為に浮遊大陸に来たと思ってるんだよ」

「罪人を輸送するためだ。どっかの誰かが逃したようだがな」

 エミリアは死んだように眠るアルデを指して言った。

「ちょっと待てよ。密造酒と言えども、これは立派な文化だぞ。地上にいるエミリアが勝手に決めていいことじゃねぇだろう」

「私の膝の上で、それだけ吠えられれば立派なもんだな」

 エミリアは子供をあやすように、からかってリットの額を撫でた。

 手を払い除けようにもまだ体に力が入らず、リットはされるがままになっていた。

「旦那ァ……過去最高に情けないですよ……」

「そう思うなら、水でも持ってこいよ。飲んで小便で流せばいい。二日酔いの対処と一緒だ」

「バカなことを言うな。安静にしてろ」

「こんな格好でか?」

「体に力が入らないのに、どうやって用を足すつもりだ? ……私は持たないぞ」

「わーったよ……とにかく話し合いだ。それまで結論は絶対に出すなよ」

「話し合いというが、どうするつもりだ。このハチミツの危険性は自分が身をもって知っただろう」

「知り合いの植物学者と医者に、毒を排除できないか聞いてみる。それくらいいいだろう」

「旦那がそんなに粘るとは珍しいっスねェ。甘いの苦手なのに……そんなに美味しかったんスか?」

 ノーラに聞かれて、リットは黙って頷いた。

「エミリア! 旦那を信じましょうよ!」

「ダメに決まっているだろう。連絡を取るのにも時間がかかるんだ。そこから更に毒を調べる時間ななどあると思うか? だいたいヴァルキリーに追われている身だろう? それに、ここでのことを解決したら、婚約は解消されるかもしれないぞ。酒よりも大事なことだと思うが?」

「そもそもオレは結婚を了承してねぇよ。……そうだ! 白装束だ!」

「この衣装か? 無駄な出費だ。誰かのお陰でな」

 エミリアとノーラは、リットの婚儀に参列するために発注した白装束を着ていた。

「違う。スリー・ピー・アロウを繋ぐヘル・ウィンドウの地下洞を封鎖してる白装束。あれは上層の天使族の仕業だ。そう言うのって何かに違反してるんじゃないか?」

「なんとも言えんな……。国同士の取り決めだ。口は出せん」

「わかった……。そこまで頑固を貫くなら、オレも切り札を出すぞ。……パッチワークに聞け」

 リットは過去に、流通が滞ったスリー・ピー・アロウの品を、エミリアの部下であるパッチワークという猫の獣人に送っていたのだ。

 これでリゼーネとは関係がないと言い切れなくなったエミリアは、リットの体調が回復するのを待つしかなくなってしまった。






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