第三話
「助かったぞ。リットが罪人を連れてきてくれたおかげで、浮遊大陸に良い顔が出来そうだ」
エミリアは何か心の重荷を下ろしたかのように、ほっとした笑みを浮かべた。
それには大きな理由があった。リゼーネは多種族国家であり、宗教もばらばらだ。対して、浮遊大陸の天使族達は、皆同じ神の元で同じ宗教。あまりリゼーネに良い印象を持っていないのだ。
それが今回のことで、一歩浮遊大陸の懐に入れるチャンスなので、リゼーネはリットを歓迎したのだ。
なので、浮遊大陸への同行も簡単に許された。もちろん、ただの付き添い人だ。政治のことに口出す権利は一つもない。
リットにとっては願ったり叶ったりのことだった。余計なことをせずに、ただ目的の為に動ける。
リットは「そりゃよかったな」と、エミリアから視線を逸らすように地上を見下ろした。
現在『光の階段』という天使族が持つ力で、地上から浮遊大陸へと移動しているのだが、今回は罪人の輸送と護衛のため特別な乗り物で移動していた。
それはペガサスが牽引する大型の馬車だ。
おかげで長い距離を歩くこともない。馬車が斜めになることもないので、実に快適だった。
「こんなものがあるなら、翼はいらないな」
アルデは両手両足につけられた枷をかちゃかちゃ鳴らしながら、のんきな大きいあくびをした。
「あったほうがいいと思いますけどねェ。隣町までひとっ飛びっスよ。ご飯のバリエーションも増えるってなもんですよ」
「そんなに速く飛ばねぇよ。そんなに便利ならマックスを手放すか」
リットもアルデにつられてあくびをした。
今馬車にいるのはリットとノーラ。それにエミリアと兵士が数人。それにアルデだ。
リゼーネ側は罪人の輸送ということもあってピリピリしているが、リット側は観光のようにのんびりしてる。
そして、エミリアの目には、リット側にアルデがいるように見えていた。
「……目的はなんだ?」
エミリアはリットに寄り添うように近付くと、どんな答えが返ってきても他の兵士に聞かれて、心配をかけないよう小声で聞いた。
だが、リットは「なんもねぇよ」と普通の声で返したので、兵士は全員リットの方をチラッと見た。
「もっと状況把握に聡い男だと思っていたが……私の思い違いか?」
エミリアはこれでは小声の意味がないとため息を落とした。
「今の状況か? そんなにくっ付いてきたら、乳くりあっているように思われんぞ。オレとデートしたいわけじゃねぇなら離れろよ」
リットはエミリアに詰め寄られると、ポロッと計画を口走ってしまう可能性があると思い、なんとか遠ざけようとしたのだが、それは逆効果だった。
何かあると確信したエミリアは更にリットに近づいてきたのだった。
「ならば、デートでもしよう。全て吐くまで付き合おうではないか」
「おい……オレは浮遊大陸に行こうと思えば、ディアナ経由で行けるんだぞ? わざわざ口うるせぇ小娘付きの空の旅に出たがると思うか?」
「だからおかしいと思っているんだ。自分がなんと言って輸送に動向したか覚えているか?」
「覚えてるぞ。最後まで見届ける義務がある。オレの庭に落ちてきたんだぞ? なんかおかしいところあるか?」
「おかしいところだらけだ」エミリアはため息を一つ挟むと、リットにばかり構っていられたないと兵士の方を向いた。そして、背中越しに言葉を残した。「言っておくが、くれぐれも変なことはするな。私達が向かっているのは、浮遊大陸の『上層』だ。一つのジョークも通じない場所だと思え」
「わかったか? ノーラ」
リットは作戦通りに頼むぞとノーラに視線を送ったが、「はいな」と言う適当な返事が返ってきたので不安になった。
それからすぐに、周囲の空気が変わった。疎いノーラでも浮遊大陸の上層に入ったと理解した。
風は冷たく、どこか針のように刺してくるせいで、嫌でも背筋が伸びる。聖域という言葉がしっくりきた。
大任を背負ったリゼーネの兵士達はリット以上にそれを感じていた。心臓までが萎縮して、指先に血液を送るのをやめたかのようだ。まるで氷のように冷え切っている。
エミリアの顔は面白い具合に強張っているが、リットでも茶化せる雰囲気ではなかった。
ただ一人。アルデだけが、酒場でツマミを待つように落ち着いていた。
そして、馬車が止まるのと同時に「ご苦労」というヴァルキリーの声が重く響いた。
馬車から出されたリット達は、男女に分けられ裸になるように言われた。
不要なものを持ち込んでいないかチェックするためだ。浮遊大陸とは違い、この上層部はあらゆる“もの"の持ち込みが禁止されている。
そのものとは植物の種や胞子だ。
上層部では新しいものはない。全て昔のまま『はじまりの地』が、文字通り始まった時のままの植物だけが形成する世界なのだ。
「おひねりのないストリップショーか……損した気分だ」
リットは体の隅々まで調べられるので、嫌気が差していた。
ヴァルキリーは淡々と「黙っていろ」と注意をすると、慣れた手つきで男の体を調べ終えた。
問題なしと下され、服を着ることを許されたリットは先に進んで待っていろと言われた。
そこでは、すでにエミリアとノーラの二人が残りを持っているところだった。
「旦那ァ……信じられます?」
「信じられねぇよ。玉の裏まで見やがった」
「違いますよ。エミリアの胸。また大きくなってたんスよ。お肉を食べないと、肉をつけようと体が反応するんスかねェ」
「二人とも口を慎め……来るぞ」
いつの間にか残りの兵士も集まっており、長い通路の奥からカツカツと規則正しい足音が聞こえてきた。
大きな純白の翼が太陽に輝いている。まるでキュモロニンバスの天空城の城壁のような輝きだ。
如何にも責任者だと思われるヴァルキリーは、白銀の兜をしたまま明らかにこちらの立場が上だという雰囲気で「大義であった」と言った。
声からして女性。それも、意志の強そうな声だった。
リットは口を挟まず、エミリアの交渉が終わるのを待った。
前は向いたままぼーっと考え事をしていたら、エミリアに脇腹をつつかれた。
「貴様か? 裏切り者を見つけたのは?」
ヴァルキリーは首枷を引っ張って、アルデを前に立たせた。
「そうだ。うちの庭に落ちてきた」
「落ちてきた状況は?」
「さぁ」
リットが肩をすくめると、お付きのヴァルキリーが槍先を突きつけた。
「隠すと為にならんぞ」
殺気のありありヴァルキリーだったが、隊長が片手を上げあるとすぐさま殺気を引いた。
「わかるか? この手を下ろしたら、私はもう止めないぞ。言え」
大人しくしていようと思ったリットだったが、あまりに高圧的なので一言言ってやりたくなってしまった。
「こっちは日がな一日な、浮遊大陸にいる天使のパンツを見ようと空を見上げちゃねぇんだよ。そっちはどうだ? 日がな一日、地上の立ちションを上から覗いてんのか?」
エミリアはバカなことを言うなと慌てて止めに入ったが、隊長は意外にも口元に笑みを浮かべた。
「闇を晴らしていた男と聞いていたが……なるほど常識破りな男だ」
闇に呑まれるという現象。浮遊大陸では『闇の柱』と呼ばれていた。上層部も突然光を奪われる闇の柱には困っていたので、リットのある程度の無礼は許そうと威厳を見せ付けたのだった。
こうして難を逃れた――ハズだった。
突然アルデが「なんだパンツを見たかったのか」と隊長の腰あたりを指でいじると、金具が溶け落ちたように鎧が脱げてしまった。そして、鎧に引っかかったズボンまでがずり落ちてしまい。
リットの目の前には隊長の純白の下着が、晒されることとなってしまった。
「引っ捕らえろ!!」
隊長が命じた対象は、アルデではなくリットだ。
リットは反論することもできないまま、ヴァルキリー達に組み敷かれてしまった。
これはまずいと、エミリアは「待って頂きたい!」と声を大きくした。
「話はない。この不届き者は、こちらで処分する。それともことを荒らげたいか?」
隊長が片手を上げると、次から次へとヴァルキリー達が飛んできて、それぞれ武器をエミリア達に向けた。
「しかし!」
「反論はなしだ。せっかくの交渉の機会を無にするつもりか」
隊長の言葉に思わずエミリアは息を呑んだ。返答次第では、すぐに殺されると思ったからだ。
そんな緊張が漂う中、ノーラは肘でエミリアの太ももを突いた。
そして、目が合うと口には出さず「大丈夫っスよ」と笑みを浮かべた。
エミリアはリットを見るが、リットも頷いたように見えたので、ここはひとまず従うことにした。
「わかりました。ならば、交渉を進めさせて頂きたい」
「決めるのはこちらだ。日時は追って知らせる。下層で待っているがいい」
隊長は馬車にエミリア達を押し込むように部下に命じると、もう話すことはないと背を向けた。
最後にリットの顔を見ると、すぐに視線を逸らして早足で去っていってしまった。
そして、現在。リットとアルデは牢に入れられているのだった。
「まったく……計画が台無しじゃねぇか」
「ヴァルキリーのパンツを見たんだ。死刑くらいなんだ。地上の男でヴァルキリーのパンツを見た男なぞ、片手で数えられるくらいしかいないぞ。おじさんだって、上層にいたのに全然見てないんだ」
「そういや……裏切り者って呼ばれてたな。……なにを隠してる?」
「なにも隠してないぞ。なにも聞かなかっただろう。おじさんはここで働いていたんだ。それも、一番のお偉いさんだ。凄いだろう」アルデが笑うと「おっと……笑みが溢れたら、屁も出たてしまった」と、その自分で放った悪臭を手であおいで散らした。
「おいおい……軽く言ってるけどよ。よく牢屋で済んでるな。なにを裏切ったかしらねぇけど、その場で首を落とされても文句は言えねぇ立場だろう」
「娘はそこまで冷徹じゃないってことだな。おじさんの教育の賜物だな」
「待てよ……あれ、アルデの娘なのか?」
リットはヴァルキリーの隊長を思い出していた。
「そうだ。よく育っただろう。あの尻を見たか? 本当に見事に育った。母さん似だな」
「オレの周りにダメ親父がまた一人増えたってのか……。待てよ……。なら、娘に頼めば簡単に出られるじゃねぇか」
リットはそれで脱獄したのだと思っていたが、アルデは首を横に振った。
「無理だ。『カペラ』は私を監視下に置いておきたいんだ。余計なことをしないよう見張る為にな」
「カペラってのは娘の名前か?」
「そうだ。まだまだ手のかかる可愛い娘だ。なのに、酒を飲んでだらだらするのはいかんとさ。まったく困ったものだ」
「アルデに味方してやりてぇのは山々だけどよ。どこでもトップってのは、それなりの責任が必要なんじゃねぇか?」
「それは当然だ。だがな……カペラは思い込みが強過ぎるんだ。この上層を物凄い厳粛な場と勘違いしている」
「違うのか? オレもそう聞いてるぞ。信じられる情報主からな」
リットの言う情報主とは、ダークエルフであり、リットに冒険者としての知識を与えたクーのことだ。
「そういう時期もあったというだけだ。生態系のことを考えると、下界の植物を持ち込まないと言うのには賛成だ。だが、大地が空に昇り何百年経ったと思っているんだ」
「歴史を大事にしてんだろう」
「歴史というのは、変わるから歴史なんだ。何も変わらないなら、歴史と呼ぶ必要はない。歴史を知らない者は、現在の危機を受け入れることが出来ない」
アルデはやるせないとため息を落とした。
「酒が抜けたら、まともなことも言うじゃねぇか」
「まともにもなる。ここ数年、堕天使として下界へ赴く天使が増えているのを知っていたか?」
「いいや、アルデが初めてだ。普通に天使が下界で暮らすのとは違うのか?」
リットは家族に下で暮らしでいる天使がいるぞと言った。
「もちろんそれもいる。堕天使となるのは、なんらかの罰を受けたものだ」
「罰ってのは?」
アルデは一瞬言っていいものどうか考えたのだが、すぐに考えるのがめんどくさくなり「魔族との取り引きだ」と答えた。
「あぁ……そりゃまた……聞かなけりゃよかった……」
リットは腹違いの弟のマックスを思い出していた。天使族であり、今まさに魔族の地と外交をしようと張り切っているからだ。
「誤解するな。リットが思うような争い事はない――現代ではな。だが、魔族の地の魔力は、浮遊大陸と相性が悪いと考えられている。過去にも魔族の地から勝手に輸入し、浮遊大陸を落とす事件があった。だが、魔族の魔力があれば、やれることが増えるのもまた事実。若者似は下界憧れを持つものが多い。浮遊大陸は冒険や商人がやって来るだろう? 若い者にどれも魅力だ。白以外のおしゃれが出来るんだからな」
リットは以前浮遊大陸にきた時、羽を染めている若い天使がいたことを思い出した。浮遊大陸の伝統は白という色だ。古くから浮遊大陸で暮らすものは苦言を呈している。
そして、リットはもう一つ思い出すことがあった。
「待てよ……もしかして魔族の地の、ヘル・ウィンドウの地下洞を封鎖してた白装束ってのはアンタらか?」
「アンタらじゃない。娘だ。魔族のものは全て悪と決めつけ、スリー・ピー・アロウから余計なモノを運ぶ商人が来ないように封鎖しているんだ」
「あそこで危ないのは光だぞ。それもあそこ限定でしか使えねぇもんだ」
「言っただろう? 思い込みが激しいんだ」
そう言ったきり、リットが何を話しかけてもアルデは反応しなくなった。代わりにいびきがグースカと響いた。