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第二十五話

「ところで……旦那。本当にそんなんで良かったんスか」

 ノーラが見ているのは、リットが勝手に浮遊大陸から持ってきた大きなランプだった。宝石オイルも地上では使い道のないものだった。

 つまりゴミ同然。魔女に渡せば、色々わかるかもしれないが、それを巡って騒動が起き、また尻拭いをさせられるのも嫌だと、グリザベルにも教えず棚に閉まってあるのだった。

「それが目的だからな」

「旦那の目的はお酒でしょう。まぁ、毒を抜けなかったんスから。持ってこれないっスけどね」

 ノーラは骨折り損のくたびれ儲けだったと、無駄に終わった冒険をからかって笑ったが、リットの考えはノーラと違っていた。

「本当にそう思うか?」

 リットは意地の悪い笑みを浮かべると、棚からランプを下ろしてテーブルに置いた。

 そして火屋を外すと、中から秋の夕暮れの太陽のような、はちみつ色の液体の入った瓶が出てきた。

 周りを囲むカラフルな宝石オイルは見た目だけで、着色ガラスが使われた偽物だった。

「これは……宝石オイルっスかァ?」

 ノーラははちみつ色の液体が入った瓶を、くりくりした瞳でじっと見つめた。

「いいや……違う。毒素のそのものが原因じゃなくて、魔力あたりが原因だって知ったからな。キラービーが駆除される前に、とりあえず持ってきた。デルージみてぇに、そのうち魔力が抜けるかも知れねぇしな。グリザベルに聞……いや、アイツに聞くとうるせぇな……。まぁ、魔女弟子でも捕まえて、そのうち保有魔力量をチェックさせる」

 リットはオイル壺を元通りに戻すと、着色ガラスの隙間へハチミツの入った瓶を隠し入れ、火屋をはめると棚へと戻した。

 チルカの力では火屋を開けることは出来ないし、物珍しい形はインテリアだと言えば他のもの興味もなくなる。堂々と棚に飾ることが出来る。

 たまにその棚へ視線をやり、いつ頃飲めるのか考えるのが最近のリットの楽しみだった。

「旦那のお酒コレクションも増えましたねェ……いつ飲むんスかァ?」

 リットが今まで集めた酒は、どれも癖の強いものばかりだ。今すぐにでも飲めそなものは獣人の酒だけだった。

「オレがじじいになる頃には飲めるだろうよ。今はただ眺めるのも悪くねぇ」

 そう言って、リットは酒の入ったグラスを傾けた。

「あれ……そのお酒……。パパさんの形見っスかァ?」

「ありゃもうランプに使っただろう。これは別もんだ。瓶もグリム水晶じゃなくて、ただのガラスだ。だから早く飲めとよ」

 リットが傾けているのはメディウムから、娘と仲直りをさせてくれたお礼にともらった酒だ。

 その酒を飲み、リットは亡き父親ヴィクターを思い出す。

 思い出の輪郭が次々と浮かび上がり、幸せな気持ちを残して消えていった。

 それはリットだけではなかった。期せずしてヴィクターを思う者がいる。

 それも二人だ。

 一人はミニー。ディアナに戻り、空を見上げてヴィクターを思い出していた。

「どうしたんですか? 明かりもつけずに」

 燭台のランプに影を伸ばしてミニーの部屋を覗いたのは、獣人の『ピースク・ハッシュ』だった。

「思い出に浸っていたのよ。たまには一緒にどう?」

 ミニーはコップにお酒を注ぐと、サイドテーブルに置いた。

 普段はお酒を飲まないピースクだったが、いつもとは違う儚げな雰囲気を感じ、ミニーがどこかへ消えてしまいそうだと勘違いしたので、お酒に付き合うことにした。

 コップに口をつけて一口喉へ流し込んだピースクは、顔を真赤にしてすぐにふらつき出した。

「さぁ、私は飲みましたよ。さぁさぁ話してみてください。さぁさぁさぁこのお母さんに」

 たった一口で酔っ払ったピースクは、壊れた振り子のように左右へ不規則に揺れながら、しまりのない表情で腰に手を当てていた。

「もう話したでしょう。久しぶりに世界一幸せな女の子になってきたのよ」

 ピースクは「ほえー……」と言ったっきり黙ってしまった。

 酔ったことにより、思考が回らずになにも言葉が思い浮かばなかったのだ。

 ミニーはもう一度。浮遊大陸でどういう体験をしてきて、今自分がどういう心持ちなのかを話したのだが、酔ったピースクはいつも以上にオーバーリアクションなので、話をちゃんと聞いているのかどうか怪しかった。

 しかし、それでも良かった。同じ男を好きになったという数奇な運命を共にしたはずが、今では同じ幸せを胸に抱き、これから一生をかけても話しきれないほどの友情を育んでいる。

 そんな彼女達と暮らすこの城での暮らしも悪くはない。

 ピースクの話はいつの間にかミニーの心配から、息子スクィークスの話に変わってしまっていた。

 ずっと寝ていて家族交流の時間が少なかったというのに、起きるようになってからも母と子が一緒にいる時間は少ないままだった。

 現在ピースクは王となったモントの補佐に走り回っている。城にいなければならないモントの代わりに、あちこちへ顔を出しているのだ。

 その寂しさはミニーも同じだった。マックスが一人前と自信をつけるのはそう遠くない未来だ。

「本当……手がかからなくなるのはあっという間ね……」

 ミニーは頬に手をつくと、酒で温まった体温を逃がすかのような熱っぽい吐息を漏らした。

「寂しいですぅ……」

「大丈夫よ。男も女も、親の手の届かないところへ飛んでいくの」

「ミニーは寂しくないんですかぁ? 私は心と体が強張って涙が止まりませんよ」

 ピースクはチーンと鼻を鳴らして鼻水を拭うと、流れる涙はそのままに嗚咽をあげた。

「私も寂しいわよ。……でも、成長して立派な姿を見るのも悪くないものよ」

「まぁたそんなこと言います……。想像すると泣いちゃいますよ……」

「私はスクィークスじゃなくて、リットのことを言ってるのよ。スクィークスが一人前になるのはまだまだよ」

「それは聞き捨てなりません……。スクーイちゃんはとてもいい子です」

「それはわかってるわよ。でも、マックスも同じ。そのうち立派になるけど、今はまだ子供よ」

「それじゃあ話が繋がりませんよ……」

「だからリットの話だって言ったでしょう。ヴィクターが生きてたら、きっとリットを連れて世界を回っていたわ。どうだ、いいだろう! 息子が相棒だぞ! なんて言ってね」

 聞こえるはずのないヴィクターの「ガハハ!」という笑い声が、ミニーの脳内には響き渡っていた。

「それも聞き捨てなりませんね……。私達という存在もあるのに、リットちゃん一人を選ぶのはとても不公平だと思います。全員連れて行くべきです」

 ピースクは人差し指を立てると、眉間にシワを寄せて「めっ!」とミニーに怒った。

「私に怒っても仕方ないでしょう。それに心配をするなら、亡きヴィクターじゃなくて、リットを心配したほうが良いわよ。勝手に息子を連れ出して、大人にして返してくるんだから……」

 ミニーはまったくと頬を緩めた。ヴィクターの死後。自分達家族の時間を動かしたのは、間違いなくリットだったからだ。

「それは大丈夫です!」ピースクはえへんと胸を張った。「スクーイちゃんには、知らない大人についていっちゃいけませんって、子供の頃から教えているのです!」

「自分も知らない男について来たくせに」

 ミニーがからかうと、ピースクは短い手足を心外だとバタバタさせた。

「私はしっかり知り合ってからついてきたのです! ディアナに!」

「なら問題ないわね。ママがしっかりものだと、子供もしっかりするもの」

 ミニーはさらにからかって、小さなピースクを子供扱いした。

「ムキー! 私のほうが歳上なんですよ! 年上は敬うべきです!」

「わかってるわよ。マックスを生んだ時に、ずいぶん助けられたわ。ピースク――あなたがいて良かったわ」

「そうです。そうなのです。素直なのが一番ですよ」

 ピースクは自分の偉大さがわかったかと、ぷるぷると背伸びをしてミニーの頭を撫でた。

 その不器用な撫で方は、なぜかミニーの心までも撫でていた。

「やだ……もうなんか泣いちゃいそうよ……」

「いいんですよ。浮遊大陸で大変だったんですから……妻の時間も、母親の時間も、今日はもう終わりです。残りはあなたの時間ですよ。親友同士ゆっくり話しましょう」

 ピースクはお酒だけじゃなくお茶も飲もうと、部屋を出ていった。

 すると倍以上の影を引き連れて戻ってきたのだった。

 ケンタウロスの『ハイヨ・クリゲイロ』に、ウィル・オー・ウィスプの『メラニー・モエール』。それに人間の『セレネ・ディアナ』。全員がヴィクターの妻だった女性だった。

 それぞれが軽食や飲み物を持ち寄っているので、ミニーはおかしくてたまらなかった。

「やだ……これってパジャマパーティー? なんだかこの城に来た時みたい」

 ミニーがふざけて言うと、メラニーが悪ノリで乗っかった。

「あら、ラッキー。私まだ処女ですわ」

「嘘つく女の持ち寄り品は、あら……ワインね。見たことな銘柄」

「でしょう。ウィル・オー・ウィスプでも酔うお酒ですって。怪しげな露天商だったけど、おもしろそうで買っちゃいましたわ!」

 メラニーが「いえーい」とワイン瓶を掲げると、ハイヨも間延びした声で「いえーーーい」とテンションを上げた。

「ちょっと……大丈夫なの?」

 ミニーは怪しげなものは飲まないほうがいいと忠告したのだが、メラニーに年を取って保守的になったと言われると、年甲斐もなくテンションを上げてコップ一杯を飲み干したのだった。

 すると不思議な感覚に襲われた。胸に穴が空き、そこがぬくもりに満たされる感覚だ。

 自分の呼吸のすべてが愛の言葉になっているかのような幸福感。

 ミニーは鼻を抜けていくハチミツの香りに気付いたが、すぐにどうでもよくなった。あまりに笑顔に囲まれているせいで、その異変を小さなものだと心の扉に鍵をかけて、鍵を捨てることにしたのだった。

 


 ディアナ城の一室から幸せの笑い声を夜空に響かせている頃。

 メディウムは闇に黄昏れていた。

 ランプもロウソクもない部屋。だが、部屋は月に照らされ青く光っていた。

 メディウムは「今でも覚えているぞ……」とおもむろに口を開き、思い出と語り合っていた。

「あの夜もこんな青い夜だった。宝を探しに来たと言っていたな。私がそんなものがないと言うのに、オマエは居座った。不思議な男だった。まさか人間が浮遊大陸の上層に来るとはな……。はっきり言えば迷惑な男だ。だが……この愚痴でさえ、きっと笑って聞いているのだろうな。今日、屋敷を見てきたよ。上層にある屋敷だ。オマエがやってきた屋敷だ。オマエが折ったランムツリーはそのままだった。ツリーと呼ばれているが実際は茎だ。葉が一枚出ると、茎もわずかに成長する。何年もかけることにより木質化した立派なランムツリーへと成長していたのだ。わかるか? それだけ苦労をかけて育てていたんだぞ。だが……改めて育てる気力もなくなってしまった。折られた理由が、枝の上は娘との逢い引きの場所というのだから、尚気に食わん。まだあるぞ。割られた食器に、汚された廊下。無理やり引っ張られ、ハズレジマへ連れて行かれた時は、年甲斐もなくはしゃいでしまったな。……あの時痛めた膝は、今になって痛むことが増えた。オマエとの思い出と一緒だな。痛んでばかりだった……。だが、礼を言う。ありがとう、娘を幸せにしてくれて。ありがとう、孫を正しい男に育ててくれて。私の知らない歴史は、孫と娘が伝えてくれた。不思議なものでな。二人の話を聞いていると、まるでオマエが側にいたように感じていた。晴れた日。夏の木漏れ日に混じって、私は光の階段をディアナに下ろす。オマエの好きな浮遊大陸の酒を小脇に抱えてな。そして、マックスの成長を見るのと同時に、家族が増えているのを知るんだ。そこで、私はこう言う「いい加減そろそろ。落ち着いたらどうだ?」と。オマエはきっとこう返すだろうな「ガハハ!」とな。一見笑い飛ばしているだけのように思えるが、オマエの笑顔がなによりの答えになっているのも事実だ。――そういう思い出を考えるようになった。私は知ったよ。人々が繋ぐ魔力で浮遊大陸は存在し、また人の愛もそういうものだと。この歳になって、エロスの名に恥じない男になれた。……ヴィクター。重ねて礼を言う。ありがとう、娘を幸せにしてくれて。ありがとう、孫を正しい男に育ててくれて。ありがとう、私のつまらない意地を捨てさせてくれて。おかげで、オマエと同じ愛を胸に抱えて死を迎えられる。――風のような男に乾杯だ」

 メディウムはコップを窓の外に向かって掲げると、緑色の宝石オイルの入ったランプに火をつけた。

 風はコップに吹き付け、鈍い乾杯の音を鳴らした。

 その音はランプからの風に乗ると、不思議なことにリットの家まで届いていた。

「ありゃ……なんか落としましたかね?」

 ノーラはテーブルの下を覗き込むが、吹き残したホコリが丸まっているだけだった。

「風だろ」

「あー季節の変わり目で風が強いもんスね。閉めますかァ」

「そうだな……。いや、そのままでいい」

「そうっスねェ……。絶対その方がいいと思いますよ」

 ノーラは笑顔のリットを見て呆れていた。顔を真赤にして、ひとり酒ですっかり出来上がってしまっていたのだ。

 少しは夜風にでも当たって酔いを覚ましたほうがいいだろうと思い、リットを残して自分は寝室へ向かった。

 リットは窓枠に背を向けて座り直すと、コップをしっかり握り直し、小さな鐘の音のように響く乾杯の音に耳を澄ませた。

 空では相変わらず雲が浮かんでいた。

 そのどれかには、白装束を身に纏った浮遊大陸が混ざっている。地上からでは、どれが浮遊大陸かはわからないままだ。

 雲は何も変わらない。空は何も変わらない。

 だが、それを見上げる心は少しだけいつもと違っていた。






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