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第二十話

「はぁ……どうしようかしら」

 勇んでホワイトリングまで来たミニーだったが、ホワイトリング中心にある穴まで来ると足を止めてしまった。

 ホワイトリングとはドーナツ状の島であり、穴を挟んで街が存在している。

 目当てのバストナ・イスは歩けば時間が掛かるが、目の前の穴を超えればすぐだ。

 だが、その穴を目の前にした途端に、体はほてり心臓は不規則な動悸を始めた。頭の中にモヤがかかったかのように思考はまとまらず。

 もう息を吸っているのか吐いているのかさえわからなくなっていた。

「なんなら近くの酒場で時間でも潰してやろうか?」

 見られたくない姿だろうと気を使ったリットだったが、ミニーはリットの手を握った。

 それはいつものように余裕のあるものではなく、迷子の子供に手を握られたかのように脆くも強い力だった。

「いえ……そばにいてくれるだけでいいのよ」

 その声もいつものミニーの声ではない。まるでヴィクターに連れ出された少女の時のようになっていた。

「助言をするなら、一旦間を置いたほうがいいな」

「ダメよ。決心が鈍るもの」

「その格好でか?」

 リットが言っているのはミニーが普段着だということだ。王族ということもあって立派なものだが、それはあくまで地上の話だ。

 そして、ミニーがリンスプーに見立ててもらったドレスを持ってきていることを知っていた。

 リットがドレスの入ったケースに肘を突いて言うと、ミニーは「そうね……」と一旦近くのエージリシテンの街へ向かうことにした。

 リットは一度来たことのある街であり、道に悩むことなく宿へとつくことが出来た。

 ここの宿は部屋ではなく小屋だ。人数ではなく小屋一軒の値段。安いが料理も酒も出ないので、他に食べに行く必要がある。

 リットは前払いを済ませると、小屋を出ていった。

 戻ってきた頃にはミニーは着替え終わり、再び決心がついているだろうと思っていたからだ。

 だが、それは長い時間だった。

 ここのお酒は甘いものばかりで、リットの好きなお酒はバストナ・イスの酒場まで行かないとないのだ。暇で暇で時間が長く感じる。

 気持ちの良い太陽。柔らかい多肉質の芝生。そして木陰。リットはそこでぼーっと過ごすはずが、その心地良さから眠ってしまった。

 不意にまぶたの向こうが暗くなったのを感じ、夜まで寝てしまったのかと目を開けたリットだったが、夜ではなく人の影に浸され太陽を遮られていただけだった。

「食べる? 薪パン」

 リットに話しかけたのは、ミニーではなくメディウムの孫娘のラージャだった。

「ここはバストナ・イスじゃねぇぞ」

 リットは寝ている間に勝手に連れてこられたのかと思って辺りを見回すが、目をつぶる前と全く同じ光景だった。

「追い出されたのよ、おじい様に。リットはなにしてるの?」

「オレも同じだ」

「追い出されたの? おじい様に?」

「女の着替えにだ。この時間じゃ終わっちゃねぇな……まだ」

 リットは太陽を見上げた。太陽の位置から考えるに、大して時間が掛かっていない。

 ミニーが決心を固めて、浮遊大陸の白装束を身に纏うとは思っていなかった。

「へぇ……デート?」

 ラージャは興味があるという表情を隠しもせずに、リットの隣へ腰掛けた。

「良いことを教えてやる。デートってのは二人いるから成立すんだ」

「え? ……やだ」

 ラージャは頬を染めると、恥ずかしそうに身を捩った。

「あのなぁ……デートの約束をしてねぇだろう。だいたい小娘を口説くかよ」

「じゃあ誰を口説くの?」

「そうだなぁ……」リットはしばらく考えてから「人妻」と答えた。

「地上の恋愛観ってそんなに爛れてるの!?」

「んなわけねぇだろう。だとしたら人妻って言葉自体存在しねぇよ」

 リットの言い回しに、ラージャは「相変わらずね……」とため息をついた。

「そっちは変わったな。若さゆえの反抗ってのは終わったのか?」

 リットはラージャの純白の翼を見ながら言った。以前は祖父への反抗に羽先を染めていたのだが、今ではすっかりそのあとは消えていた。

「別の方法で反抗するって決めたからいいの。例えば……突然恋人を作るとか」

 ラージャーがいたずらな笑みを浮かべると、リットはまたかと顔を歪めた。

「浮遊大陸っていうのは、今発情期なのか? どいつもこいつも色恋沙汰ばっかりじゃねぇか」

「そういう言い方はどうかと思うけど……。そもそも恋をするのに時期なんて関係ないでしょう」

「オレにはねぇよ。でも、オマエにはある」

 孫娘まで浮遊大陸を飛び出してしまったら、メディウムは立ち直れないほど落ち込むだろうとリットは思っていた。

「もしかして、リットまでおじい様みたいなことを言うわけ? オマエには関係ない。オマエはこうしろ。私が成長しても周りが成長しないなら意味ないわ」

 ラージャは出せる限りの低い声でメディウムの声を真似すると、つい先ほどまで言われていた小言を恨み節でぶつけた。

 リットは「待てよ……」とラージャの話を遮った。「客が来て追い出されたのか?」

「そう言ったでしょう。ムカつくからわざわざ遠出をして、エージリシテンまで来たのよ。気分転換になると思ったけど……ねぇ?」

 ラージャはせっかくリットを見つけたものの、気分転換にはならないとため息をついた。

 地面を見てまるまるラージャの背中に、リットの手が置かれた。

「気分転換してぇなら。ぴったりのものがあるぞ。ついてくるか?」

「……地上の人ってそうやってナンパするの?」

「オレが悪かった……はっきり言うべきだったな。連れていけ。言っとくけど、これは命令だからな」

「まさか……リットを連れて穴を飛べって言うの?」

「そう言ってんだろう」

「絶対嫌。重いし、男の人と抱き合って飛んでるとこを見られたらなんて言われるか」

「抱き合わねぇよ」リットは言うのと同時に、ラージャの背中に体重を預けた。「しっかり背負って飛んでもらうぞ」

「ちょっと重い……。普通女の子にいきなりこういうことする?」

「早くしねぇといいとこを見逃すぞ。オレだって見てぇんだ。早く行けよ」

「そう思うなら、せめて穴の前でおぶさってよ……」



 リットとラージャが言い合いをしてノロノロ移動している頃。

 メディウムの屋敷では、まるで闇の柱を通っている時のような異様な空気が流れていた。

「何度も言うが、話すことはなにもない」

 メディウムは窓を見たまま言った。その背中を見つめるのはミニーだ。

 いつまでもうだうだしていては、いつまで経っても前に進めないと、決心を固めた瞬間。リットを待ちきれず一人でバストナ・イスに向かっていたのだった。

 しかし、メディウムはミニーの突然の訪問を心よく受け入れることはなかった。

 家出同然で勝手に飛び出した娘が、また勝手に戻ってきたのだ。ミニーにかける言葉が見つからなかった。

 だが、ミニーも諦めずにメディウムに声をかけ続けた。マックスの話ならば、とっかかりになることを信じて。

「マックスには会ったでしょう? あの子は今新しいことを始めているわ。他の天使族では出来ないことよ。地上にいるからこそ、繋がる橋があるの。魔族の地との交流よ。驚いたでしょう。親友も出来たと言っていたわ。偏見なく様々な種族と交流を重ね、きっとあのこの人生はより濃くなるわ。この浮遊大陸に名前が轟くのもそう遠くないはず」

 メディウムは「知っている」と背中を向けたまま言った。「本人から聞いたからな。今更聞かされるようなことではない」

「そうね……」ミニーの声のトーンが下がった。

 そのまま急に喉に異物感を感じた。まるで何かに栓をされているように、次の言葉が出てこない。だが、何か喋らないと窒息してしまいそうだ。

 そんな焦燥の時間は僅かだったが、ミニーにはそれが興味のないパーティーに連れていかれたような長い時間に感じていた。

 その息苦しさを感じていたのはメディウムも同じで、なんとか喉を震わせて言葉を紡いだ。

「二十……二十年以上にもなるんだぞ……。愛する娘の声が聞こえなくなってから二十年だ。私に……言うべき言葉は本当にそれなのか?」

 メディウムはミニーに振り返った。

 ミニーが見たメディウムの顔はすっかり変わってしまっていた。

 歳を取ったからではない。天使族の寿命は長く、二十年ではそこまで体や顔に変化はない。

 厳粛だった父の顔が、思い出のどこにもない顔していたのだ。

 涙がこぼれるのを我慢する子供のような表情だったので、ミニーの感情が心から漏れ出すのはあっという間だった。

「た……ただいま帰りました……お父様」

 泣き崩れるミニーが床に座り込む前に、メディウムは抱き止めた。

「お帰り……ミニー……。オマエを思わない日は一度だってなかった……」

「ごめんなさい……お父様……」ミニーは力強く抱きしめ返した。「私も空を見上げてずっとお父様のことを考えていたわ……」

「いいんだ。幸せだったか?」

「えぇ……とっても。今でも幸せを胸に抱いているわ。これからもずっと幸せよ」

「変わりはないか?」

「変わり過ぎよ……。妻になって母親になったのよ。お父様と同じ、幸せを与える立場になったわ」

「毎日顔を洗っているか?」

「もう……お父様」

 メディウムの胸に顔を埋めていたミニーは顔を上げた。その目に入ってきたのは、笑顔のメディウムだ。

 それを見てミニーも笑顔になったのだが、一度こぼれた涙はどんな表情をしても止まることはなかった。

 そして、そんな二人の姿を覗いている者がいた。

 リットとラージャの二人だ。

「初めて見たわ……」

「そんなことねぇだろう。あれでも孫にデレデレのじいさんだぞ」

「違うわ……おば様よ。生まれてから一度も会ったことないから。キレイな人……」

「惚れたのか?」

「良いシーンに立ち会って感動してるんだから……邪魔しないでよ」

「立ち会ってるんじゃねぇよ。盗み見てんだ」

「どっちでも同じ。お城に住んでるんでしょう? きっとすごい婚約パーティーだったんでしょうね。お姫様みたい」

 ラージャは華やかなパーティーを想像して、うっとりとした表情で目を細めた。

「みたいじゃなくて姫さんだ。今は違うけどな」

「だから……水をささないで。いいでしょう妄想くらいは」

「姫さんになりてぇのか? エロス家だって名家だろ。存分に偉そうにしろよ」

「じゃあ黙ってて」

「オレは浮遊大陸の住人じゃねぇから言うことを聞く必要はねぇよ」

「それじゃあ……お願いするわ。黙ってて」

「了解」とリットは黙った。

「本当に黙るの?」

 ラージャが意外だと目を丸くすると、リットは顎をしゃくって窓を見るように指した。

 そこには腰に手を当てたメディウムがラージャを睨んでいた。

「ごめんなさい!」と慌てて飛んでいくラージャの後ろを、リットはゆっくり歩いてついていった。

 その背中を笑って見送るミニーとは違い、メディウムはため息をついていた。

「まったく……そっくりだな」

「リットのこと? そうね……ヴィクターに似てるでしょう。自分勝手なのに、どこかお節介。自分ではない誰かの時間を動かせる奇特な人よ」

「ラージャのことだ。わからんか? 昔のミニーそっくりだ。好奇心があり、偏見もない。どこまでも飛んでいってしまいそうだ。……狭すぎるのかも知れんな。この浮遊大陸は……オマエ達にとって」

 メディウムは近いいつかラージャも誰かの妻になり、家を出て行くのを想像して寂しさが増していた。

 そんなメディウムの項垂れる肩に頭を乗せたミニーは、優しく微笑んだ。

「世界の広さがわかるのは帰る場所があるからよ。私も今ようやくわかったわ……世界がこんなに広かっただなんて」

 メディウムはミニーの頭に頬を寄せた。

 父親と娘。無言の時間を過ごそうと思った時だ。

 メディウムはハッとした。

「ラージャがミニーに似て、リットがあの男に似ているてことは……」

「大丈夫よ。リットは良い男だから」

「良くない! ラージャ! 戻ってきなさい!!」

 メディウムは窓を開けると、遠くの空の果てまで届くような大声で叫んだ。

「良い男だから、手を出さないわよって意味よ」

「そうか……よかった。待てよ……あの男の時にも、そう言ってなかったか? ミニー……」

「どうだったかしらね」

 ミニーがいたずらに笑うと、メディウムはしょうがないと笑った。

 二人の間には失われた時間を取り戻すかのような。確かな親子の時間が流れていた。






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