第十六話
四大元素はそれぞれ性質二つに分かれる。
火という元素ならば、熱と乾という性質に分けられるということだ。
その性質が作用し雨雲を作った。ユニコが年中雨雲に包まれているのは、それが理由だった。
そしてランプとは元素を二つに分かれさせるためのもの。元素を性質に戻し、光とともに拡散するのだ。そうして、光の影響が届かない範囲で、性質は再び結合し元素となる。
ランプにより風を起こしたのは、この原理が使われていたからだ。
リットがそう確信したのは、本日何度目かのガルベラの研究所で書きかけの天魔録を見つけたからだ。
魔録シリーズを書いていたのはディアドレだが、その続きをガルベラが引き継ごうとしたのだ。
そして、書きかけなのは理由がある。ここは浮遊大陸というよりも魔族の地なので、天魔録と呼ばれるものを書き上げるのは不可能だと判断したからだ。
その代わりに、続けたのは五つ目の元素であるエーテル研究。
ガルベラは錬金術の観点から、元素を深く掘り下げて、性質を利用しようと考えた。
ディアドレは元素を組み合わせてエーテルを作り出そうとしたが、ガルベラは元素からエーテルを作り出せるような新たな性質を見つけようとしたのだ。
その方法が、天然の魔宝石の外側だけ性質を変えようということだ。つまり魔宝石を液体か気体に変えようということだった。
「で、肝心なとこはほっぽりだしたってわけか……」
リットはたった数枚の羊皮紙を読み終えると、その先が知りたいことだとため息を落とした。
「でも、すごい進歩じゃない」
ミニーはリットの頬をつついいて言った。
「オレがこれを作ったならすごい進歩だ。でも、答えは見つかってねぇ。つまり進展がないのも変わってねぇよ。方角の見当がついたくらいだ」
「厳しくない? もっと自分を褒めてあげてもいいんじゃない?」
「普段なら褒めてる。でも、自分を褒めるためのものが飲み尽くされてんだ」
「本当ダメな大人ね。私がプンプンって怒ってきてあげてもいいわよ」
「オレが言ってるのはミニーも含まれてる。オレが調べ物をしてる間に、呑気に飲み会なんか開きやがって……」
「あら……リットにも何度も声をかけたのよ。私の狩った鳥も食べてもらいたかったしね。でも、考え事してずっと無視。思わず泣いちゃった」
「泣いてねぇだろう」
「泣かないために、お酒を飲んだの。それで、どうする? お酒もないし、やることがあるなら手伝うわよ」
「そうだな……なら答えを見つけてくれ」
「自分で見つけないと不貞腐れるくせに」
「今のはオレに言ってんじゃねぇだろう」
「そうね、世の男全部に。強いてあげるならヴィクターにね。あの人って子供みたいでしょう?」
「それって答えに繋がってるか?」
「いやね。ただの惚気よ」
「なら、聞かねぇ」
「本当冷たい男。それで? 本当にどうすればいい?」
「他にも変わった島ってあるか?」
「浮遊大陸? それてもハズレジマ?」
「両方だ」
「変わった島があるって答えにはイエス。でも、ユニコみたいな島って言うならノーよ。こんなファンキーなところが他にもあったら、上層の天使族ももう少し融通が利くのに……」
「空にある力ってのはねぇのか? 地上の魔女供は空の力を手に入れようと必死だったんだぞ」
「それが雷なんじゃないの?」
「一番マシだと思って連れてきたのに、頼りにならねぇな……」
「もうそろそろ地上の暮らしの方が長いしね。そうだ! デートしましょう!」
「言いたいことは三つある。まず一つ――そうだの意味がわからねぇ。二つ目――デートする意味もわからねぇ。そして最後。答えはノーだ」
「じゃあ、私も三つから選ばせてあげる。大人しくついてくるか、率先してついてくるか、全裸に首輪をつけられた姿で引っ張られるかよ。答えは決まってる。首輪を探してくるわね」
ミニーの本気の瞳に、リットは「なんなんだよ……」と腕を掴んだ。
「せっかく浮遊大陸に来たのに、堕天使の隠れ家とこのユニコにしかいないのよ。久々に街を見て回りたいわ。いいでしょう? ここにいても、煮詰まるだけよ。ああなりたいわけ?」
ミニーはドロドロに溶けた宝石オイルを指して言った。
リットはミニーの言う通りだと、一度ユニコを出ようと思った。ずっと穴の中では気が滅入るし、太陽の光を浴びるのも悪くはない。それに、どこかの街へ行けば気分転換の酒も飲めるからだ。
早速ランプと雲を借りると、リットとミニーはユニコを飛び出した。
「もう夜だったのね!」
風を切る音に負けないようにミニーが大きな声で言った。
「一言くらい言えってんだ……。事故を起こしたらどうすんだよ」
「その割には慣れた手つきじゃない」
「真っ暗な中進むのは海賊船でも経験してるからな」
リットは真っ暗な中ランプを傾けて雲の舵をとった。
「人生何が役に立つのかわからないものね」
ミニーは少し寂しげなため息をついた。
その息はリットの首筋に当たり、空の冷たさを感じることとなった。
「あのよぉ……オレが言うことじゃねぇとは思うけどよ。別に一人の男にこだわらなくていいんじゃねぇか? マックスに手を焼く時間もそろそろ終わりだろ」
「早いわよ。自分の幸せを考えるには」
「自分の幸せを考えるのに、早いも遅いもねぇよ」
「そうじゃないの。愛に満たされるってわかる? 愛が出ていかないのよ。だから愛し合う時は、一つの獣になるようにくっつき合うの」
「獣は経験がある。満たされた覚えはねぇな」
「真実の愛を見つければわかるわ。毎日新しい愛が体を巡るの」
「それだけ愛を貰えば、太って困っただろう。なんったって出てかねぇんだから」
リットはからかって言ったつもりだったが、ミニーは「そうよ。だからマックスが生まれたの」と上手に返した。
「そんだけ愛が深いのによ。よく他の女とその子供を受け入れられたな」
「愛には色々な形があるのよ」
「よく聞くセリフだ」
「本当のことよ。だから愛を知らない人は、人の愛の形を批判するの。愚かよね……愛を理解した気になってるんだから」
「オレには違いがわからねぇよ」
「愛は知るものよ。理解するのは相手の心。そこを間違えるとダメね。みーんな不幸になってちゃう。リットは不幸になっちゃダメよ。今しっかり教えたんだから」
「これ以上の不幸ってあるか? 浮遊大陸に酒を取りに来たら、結婚させられそうになって、首をはねられるか選ばされるんだぞ」
「でも、自分で新しい道を見出したんでしょう。浮遊大陸を助けてやるって。それって、すごく素敵なことよ」
ミニーはリットの胸に手を回して抱き締めると、あなたはすごいことをやっている最中だと褒めた。
「もう少し控えめな愛情表現って出来ねぇのか?」
「これが控えめな愛情表現よ。脱がしてもいないし、脱いでもいないでしょう」
「確かに……裸でやられりゃ過激な愛情表現だな……。言っとくけど脱ぐなよ」
「そんなことを考えてたの? エッチなんだから。大丈夫よ、変なことしてランプを落とされたら、誰にも見つからず二人でミイラよ。もう黙ってるから、街についたら起こしてね」
「それは黙ってるじゃなくて、寝てるだけじゃねぇか……」
リットの文句に返事はなく。代わりにミニーの寝息が響いた。
朝焼けが空平線を燃やし、雲に青い深みを与え出すのと、街を見つけるのはほぼ同時だった。
乗っている雲のまま向かうのは大ごとになるので、大陸の下の雲と同化させるように着陸すると、ミニーに担いでもらい上陸した。
すると、ミニーが「ここは『ゴーデンボー』じゃない! 一度来てみたかったのよ!」と声を高くした。
「有名な街なのか?」
「浮遊大陸の中では、割と自由な規則の街よ。ここを管理する上層天使のおかげね」
「前に行った街も結構自由だったぞ。羽先を染める若い天使がいたからな」
「あら、それも可愛いわね。私もやってみようかしら」
「オレの話を聞いてたか?」
「聞いてたわよ。羽先を染める若い天使がいたんでしょう。なんか文句ある?」
「文句はねぇけど言いたいことはある。言った方がいいなら言う」
「本気で言うならキスして唇を塞ぐわよ」ミニーはリットを多肉質な芝の上へ放り投げると「夜に酒場で集合ね」と単独行動を始めようとした。
「おい――」と、ミニー呼び止めたリットは、危うくデートはと聞いてしまうところだった。目的は気分転換であり、デートではない。気を取り直して「どの酒場だよ」と聞いた。
ミニーは見透かしたような笑顔を浮かべると「それを見つけるのもデートよ」と言い残して去っていた。
まだ起きてない街に一人取り残されたリットは、とりあえず街が動き出すまで寝ることにした。
どれだけ寝たかはわからないが、リットは「ほら、起きて」と声をかけられた。
その声はミニーのものではない。
顔を上げたリットの目に入ってきたのは、以前浮遊大陸で世話になった『リンスプー・シャイン』という天使の女性だった。
「リンス?」
「おや、覚えていたんだね。そんな律儀な男だとは思わなかったよ」
「なんでこんなところにいるんだよ」
「私の故郷だから。天使族が浮遊大陸にいてもおかしくはないだろう。リットがおかしいよ」
「成り行きだ。早朝について街が目覚めてねぇから、街の外れで寝てたんだ」
「街の外れ? ここは私の家の庭なんだが?」
リットは立ち上がると周囲を見渡した。早朝は暗くよくわからなかったが、確かに目の前に家が存在していた。
「汚ねぇ家だな……」
蔦に侵食された家の壁を見て、リットは眉間にシワを寄せた。
「家を空ける仕事だからね。いちいち草を刈るのは面倒臭いよ。戻ったらゆっくりしたいしね」
「同感だ。オレも早く帰ってゆっくりしてぇもんだ」
「すればいいじゃないか。それともまた厄介ごとかい?」
「またって言うほど会ってねぇだろ」
「そのたった一回で、随分世話をしたと思ったけどね。どれだけ世話になったか忘れたなら、リットの弟君に聞くといい」
「わーったよ。世話になったよ。ありがてぇよ。ついでにもう一度世話になっていいか?」
「勝手に人の家を宿代わりにする以上世話になるつもりかい?」
「宿代わりって言っても庭だろうが。ケチケチすんなよ。それで、浮遊大陸の危機って知ってるか?」
「フェニックス? それとも龍のこと? どちらにせよ、空害は仕方ないものだと諦めているよ」
「なんだ、浮遊大陸が落ちるってのは広まってねぇのか」
「広まってないよ。今リットの口から初めて聞いたからね。もう一度聞くよ。また厄介ごとかい?」
「その通りだ」
リットはこれまでのことを話すついでに、リンスプーの家でお茶をご馳走になった。
「よくわからないね」
「全部話したぞ」
「お酒だったり、結婚だったり、浮遊大陸に魔族がいたり。これってどうやって話を繋げればいいのさ」
「だから話しただろ」
「だからよくわからない。わかるのは私の苦労が無駄になったってこと」
「なんだよ。浮遊大陸の安全活動でもしてたのか?」
「違う。トラブルにならないように、浮遊大陸の上層については教えなかっただろう? それが水の泡」
リンスプーはお茶の中に、植物の種を入れた。
種は空気を吐き出し泡を作った。泡を吐ききるのと同時に種は破裂し、柑橘系の匂いを漂わせた。
「むしろ教えとけよ。ヴァルキリーの勝負下着は絶対に見るなってよ」
「普通はそんな状況はありえないからね」
「オレもそう思う。でも、それも話した通りだ。厄介者の堕天使に絡まれたからだ」
リットがふと窓の外を見ると陽が落ち始めていた。
その視線で、リンスプーはリットに用事があると察した。
「なかなか興味深い話だったよ。問題を解決したら、もう一度話を聞きたいくらいだ」
「話ならいくらでもしてやるよ。少なくとも酒場まで案内されるまでの間はな」
「酒場? リットはお酒が好きだから、驚きはしないけど……」
「けどなんだよ」
「この街には八つ酒場があるよ。ここの管轄の上層天使がお酒をかなり緩めてるからね。地上からのお酒がたっぷりあるのさ」
「やっぱり息抜きは大事だな」
リットは久々に地上の酒が飲めると浮き足立ったのだが、酒場を二つ回ったところで実際にリンスプーにかつがれ浮いていた。
そして、五軒目でミニーの姿を見つけたのだが、リットにはなぜこの店に来たのかもわからなかった。
とりあえずミニーの隣に座って、ウイスキーを注文したところでリットの記憶は途絶えてしまった。
「あらあら……デートの待ち合わせとしては最悪ね。すっかり出来上がって、女連れなんだから」
と言うミニーの愚痴には、初対面のリンスプーが付き合うことになってしまった。