第十四話
「へぇ……魔力の影響ってそんなにあるんすねェ」
ノーラは口いっぱいに浮遊大陸の果実を頬張りながら、カペラが言ったことに大げさに驚いて見せた。興味のない話題だが、カペラが気を良くすることで、次々と食事が運び込まれてくるからだ。
「そうだ、魔力の乱れは土壌の乱れ。植物は変異を起こしてしまうのだ。浮遊大陸は植物の根に支えられている部分も大きい。僅かな変異でも大事なんだ」
カペラは話しながら、エミリアに酒を飲むかと瓶を傾けたが、酒癖があまり良くないエミリアは丁重に断った。
「それより……いいのですか? こんな待遇……」
現在エミリア達がいるのは牢でなければ、見張りの付いた狭い一室でもない。
カペラの屋敷へ招待され、そこで食事をごちそうになっているのだった。
「気にすることはない。良き友人とのひと時だ。もちろん逃亡しなければの話だが」
カペラの言う良き友人とはエミリアのことだ。家族の話や自分の境遇の愚痴を言い合うことにより、二人は十年来の友人のように親しくなっていた。
人質の身だというのに高待遇なのは、そのおかげだった。
しかし、それを良く思わない者もいる。
狭いカゴに閉じ込められたままのチルカだ。
「ちょっと! なに呑気に話し込んでるのよ! 私も出しなさいよ!!」
「それは無理だ」
カペラはきっぱり言った。カゴから出した途端にチルカが暴れ出すのは、誰の目から見ても明らかだからだ。
「なんでよ!」
怒りに羽明かりを強くするチルカ。食事はエミリア達と同じものを出されているが、狭いところに閉じ込められているのは納得いかなかった。
「私でも出しませんよォ……。だってチルカってば……またハイになってるでしょう?」
ノーラが言っているのは、日が陰ることのない浮遊大陸でチルカの調子が良くなりすぎることだ。
前回は浮遊大陸に入る前の、天望の木の頂上でテンションに身を任せて騒いでいた。
「とっくの間に落ち着いてるわよ! バカ堕天使共じゃないんだから、いつまでもぶっ飛んでるわけないでしょう!」
「チルカの症状っていうのも、一種の『魔力あたり』なんスかねェ……」
妖精やエルフというのは太陽神の加護を受けており、様々な恩恵がもたらされている。
チルカのテンションが変わるのも、魔力が関係しているのではないかとノーラは思っていた。
「知らないわよ。魔力を学問するだなんて考え、妖精にはないんだから」
カペラは「まったくだ……」とため息を落とした。「人間というのは不思議だな。なんにでも手を出し……なんでも学ぶ……それが異郷の地のものでもだ」
「旦那が言うには、人間は力がないから、知識を蓄えて、知恵を駆使するらしいっスよ。弱者こそ頭を使わないと生きていけないって」
「あの男の言葉とは思えんな……」
カペラはリットのことを思い出して、頼りないと憂いのため息をついた。
「あれで頼りになる男です。ペングインへの遠征は、彼なしでの成功は望めなかった」
エミリアはそう悪いところばかりでもないと、リットの良さを伝えようとするが、自分でもなぜ訂正しようとしているのかはわからなかった。
「わかっている。闇の柱が消えたのは浮遊大陸でも大きな話題となった。ディアナ国、リゼーネ王国、東の国という名前は知れ渡った。立役者に興味が出るのも不思議ではない。話は聞いているぞ」
カペラはそれぞれの顔を見回した。エミリアのことも、ノーラのことも、チルカのことも、噂話以上に情報を集めていた。
「モテない女の執念って怖いわね」
チルカはバカにした表情を浮かべると、それよりもバカにした口調で言った。
「チルカ・フリフェリー。『光を呼ぶ者』の噂話を広めた妖精。だが、噂話はあまりに壮大過ぎて、虚言癖が疑われている」
「誰がそんなこと言ってるのよ。のどちんこを引っ張り出して、それで首くくらせてやるから、名前を出しなさいよ」
「浮遊大陸に来るハーピィ達だ。彼女らは地上の噂話を広めにやってくるからな。他にも……文化や流行り物まで持ってくる厄介者だ……」
「そういえば……前に浮遊大陸に来た時は羽先を染めるのが流行ってましたね」
「そういうのが困る……。思想の変化というのは、文化の衰退を意味する。そのうち堕天使の黒い翼が珍しくなくなるだろう……」
カペラは赤や青などで翼全体が染められる日は、そう遠くないと遠い目をした。
純白の翼が一番だというのはとうの昔のこと。現在の若い天使達は、ハーピィのような色とりどりの翼に憧れている。
そして、純白の翼じゃなくても天使族の力が失われないことが、それとなしに広がってしまっているのだった。
「ご心労お察しします」
他種族国家のリゼーネで兵士をするエミリアには、文化や風習が入り乱れることの弊害や、新旧の価値観の対立など日常的に触れているものだった。
だが、浮遊大陸と地上では違いが多すぎる。
エミリアは左右のどちらにも振り切れないような曖昧なことを言う。アドバイスにもならないようなことばかりだが、それでも胸中を打ち明けた甲斐があったと、カペラの表情から硬さが取れていった。
それから、当たり障りのない談笑を始める二人を見て、チルカはくだらない考えだと細く息を吐いた。
「わけわからないわ。なんで我慢して生きていかなくちゃならないのよ。やりたいことやればいいじゃない」
「集団で生きるにはルールとか、思いやりとか、助け合いとか色々必要になってくるもんスよ」
「ノーラ……アンタも穴ぐらに引きこもるドワーフじゃない。よくそんな狭い価値観の中で生きていけるわね」
「旦那からの受売りっスよ。私は食べたい時に食べて、食べたくなるまでボーっとするのが正しい生き方だと思ってますけどねェ」
「リットの受売りって……アイツはルールを破るし、思いやりもないし、助け合いからは一番遠いところにいる男じゃないのよ……」
チルカはそんな男の言うことを、よく信じていられると呆れた。
「だから旦那ってば人間以外のお友達も多いんじゃないっスかァ? 家族を抜かしても、あちこちに知り合いがいますからねェ」
「本当……父親の血を濃く継いでるのね。アイツの子供の世話をする、未来の自分を想像できるのが嫌ね……」
「チルカにしては珍しいこと言いますねェ。そこまで旦那に付き合う気だとは思いませんでしたよ」
「アイツの家に森がある限り仕方ないでしょう。神の力でもないと、あそこは森から庭に戻すのは無理よ」
チルカが自分の運命にうんざりとしている頃、リットは神の力について聞き回っていた。
「――神の力ねぇ……それを魔族に聞くかい?」
三つ目に一つ角の悪魔は眉間に皺を寄せて、本気かと問いかけてきた。
「ここに魔族以外がいるなら紹介してくれよ」
リットは近寄るなと手を払いながら言った。
ここの魔族は角を持つ者ばかりなのに加え、やたらとフレンドリーなせいで、顔を近付けられると角が当たって痛いのだ。
「ジョークだ。オレ達はもう天使と変わりがないくらい浮遊大陸で生きてるからな。神がいるなら、オレ達に加護を与えているかもしれない。さては!? あのハチミツは神の贈り物か?」
「ありゃ、オレが教えたんだ」
「なんと!? まさか神が目の前にいるとは……」
悪魔は片膝をつくと、大げさに舞台セリフのように言った。
「ちゃんと額も地面につけろよ……。後頭部を踏んでやるからよ。それが神の加護だ」
「悪魔のような男だな……」
「鏡を見て同じセリフを言え。言わねぇんだったら、神の力について教えろ。なんか思いついたことでもいいからよ」
「無茶を言う男だな……知らないものを教えようがないだろう。雷に打たれても、思い出すようなことはないぞ」
「オマエらってよ……なにを考えて生きてるんだよ……」
リットは水を飲むようにハチミツをすする悪魔に呆れていた。
ここにいる悪魔達の半数以上はハチミツが好きで飲んでいるわけではない。目新しさと、流行りに送れないように飲んでいるだけだ。
リットの目の前にいる悪魔も、一気にハチミツを飲み干したあと、具合の悪そうな顔をしている。
「穴の中の生活だぞ? 楽しめる時に楽しんでおかないと、暇でしょうがないだろう。ある時に楽しんでおくのがここでの常識だ。多少の体の悪さだなんて、退屈に比べたら微々たるものだ」
「中毒の堕天使共と気が合うはずだ……。まったく……全員が同じようなことを言いやがって」
リットは早速手がかりは消えてしまったとうなだれると、悪魔が思い出したと手を打った。
「そうだ。神の力は知らないが、雷というのは全世界共通のものだ。空が見える世界では、雷とは畏怖感を与える存在だ。そうだろう?」
「まぁな」
「そういうことだ」
「まさか……ただ言っただけか?」
「思いついたことでいいと言っただろう」
「アンタは本当に頭がいいな……」
リットの皮肉に、悪魔は「照れるだろう」と褒められたと勘違いして去っていった。
どうするかと一旦戻ったリットの目に入ったのは、再び酒を飲むアルデとミニーの姿だった。
「お気楽だなアンタらは……」
リットのため息をものともせず、ミニーは腕を引っ張って隣に座らせた。
「お気楽にいかないからお酒を飲んでるのよ。経験あるでしょう」
ミニーは行き詰まったなら、一度酒でリセットするのも大事だと、コップをリットに渡した。
アルデとミニーの話の内容は浮遊大陸上層のしがらみについてだ。だが、リットを交ぜてする話でもないと、話題はリットが調べていることについて変わった。
「神の力って言うけど、要は雷の力のことだろう。オジサン一つ思い出したことがあるぞ」
「私も」
ミニーとアルデは顔を見合わせると、せーので答えを出したがそれは全く違うものだった。
「サンダーバードよ」
「ホワイトジュエリーフィッシュだ」
「オレが聞いてるのは……酔っぱらいの空想話じゃないぞ」
「サンダーバードよ。知らないの? 雷雲の嵐を引き連れて飛んでくるって魔法生物。昔にフェニックスと間違えて捕獲して、一夜にして焼け落ちた国もあるのよ」
「それがこの雷雲に住んでるのか?」
リットが真面目な顔で聞くと、ミニーは子供をあやすような顔で笑った。
「まさか。サンダーバードは荒野に住んでるのよ。空にいたら、ずっと大嵐じゃない。もう……可愛いこと言うんだから」
「それじゃあ……ジュエリーフィッシュってのはなんだ……」
リットは恋人のように頬をつついてくるミニーを無視して、アルデに聞いた。
「ホワイトジュエリーフィッシュだ」
「わーったよ……。そのホワイトジュエリーフィッシュのことだ」
リットが正しい名称を口にすると、アルデは満足そうに頷いた。
「空にいるクラゲだ」
「ぶん殴るぞ……クラゲは海にいるもんだろうが」
「これは魔法生物じゃないからな。だが、浮遊大陸では魔法生物だと思われている。それはなぜか、精霊が作り出した現象だからだ。ここは精霊よりも神の力を信じる場所だ。だから、生き物として遠ざけている」
「なんで精霊がクラゲを作るんだよ」
リットはまたアルデが適当なことを言っているのだと思っていたが、それは違った。しっかりとした答えがあったのだ。
「クラゲを作るんじゃない。クラゲに見えるだけだ。雷が連続して落ちると、空が光でひび割れたように見えるだろう? あれを触手と見立ててクラゲだと言っている。いや、クラゲじゃない――ホワイトジュエリーフィッシュだ」
「なるほどな……雷も精霊の力で起こせるってわけか……」
リットが酒に手を付けず考え込む姿を見て、アルデはニヤリと笑った。
「どうやらオジサンの方が良いことを言ったみたいだな」
「ホワイトジュエリーフィッシュは私も知ってたわよ。でも、地上から見ると全然クラゲに見えないのよねぇ……。下層の浮遊大陸から見る分には、巨大クラゲに見えてたんだけど」
ミニーは地上で暮らすようになって、不都合な真実をいくつも目にしてしまったと目を細めた。
そして、それはアルデも同じだった。
浮遊大陸の魔力供給の問題は大きなことだが、それ以外にも害にならない真実もたくさんある。だが、上層天使はその一つ一つを鍵のかけた箱に閉まっているのだ。
そして、今その箱をしまう場所がなくなってしまっている。あまりに多すぎる疑問を隠してしまっているせいだ。
「天使族が全員アンタらみたいだったら、ことは簡単だったのによ……」
リットの願望を聞いたミニーとアルデの二人は、顔を見合わせて笑った。
「私達みたいのばっかりだったら、とっくの昔に浮遊大陸ごと天使族は滅びてるわよ」
「ミニーの言うとおりだ。不都合な真実というのは、そのほとんどは知らなくていいことだ。だからこそ、上層天使のみの苦しみや葛藤が生まれる。オジサンはそれから逃げ出した口だがな」
「逃げ出せなくなったから、ここにいるんだろうが」
リットはため息をつくと、立ち上がった。
「おい、飲んでいかないのか?」
「あとでな。精霊が雷の力を生み出せるなら、宝石オイルの抽出機をいじれそうだからな。先にそっちを見てくる」
遠ざかるリットの背中を見ながら、アルデは「忙しない男だ」とつぶやいた。
「人に影響を与える良い男って言うのよ。ヴィクターもそうだったのよ。あれは……そうね。夏の終わり、森が秋衣に袖を通し始めた頃ね。私が――」
惚気話をするミニーに内申またかと思ったアルデだったが、動くのも面倒くさいので酔いに任せてぼーっと話を聞き流すことにした。