81.来栖家
「ハートリー侯爵令嬢、今日はありがとうございます。王城の薔薇園に来れるなんて夢みたいです」
「ううん、品評会では本当にお世話になったから! 来年の雇用も決まって良かったね!」
「ありがとうございます。今後は冬の終わりまで数回は作業に来ます。春からはまた毎日来ますので」
塁君とクリスティアン殿下の許可を得て、今日はレオを王城の薔薇園に招待している。
園芸家見習のレオはお菓子にも軽食にも興味は無く、我が国最高峰の薔薇園の薔薇に釘付けになっている。
レオは来年度も臨時職員としての雇用が決まり、この冬は裸苗を植え替える作業で数回は来れるようだ。でもアリスにとっては会う機会がグッと減るので、『何とかしたいと思っているけどどうしたらいい?』と相談されてしまった。確かに以前協力を約束したし、レオに日頃の感謝も示したいし、だったら、と今日この会をセッティングした。
「エミリーちゃん、ありがとう」
「ううん、レオの薔薇作りにも活かせるしね」
前回の薔薇の品評会では散々な目にあったアリスだけど、次回こそは受賞目指して頑張って欲しい。もう攻略対象者へのアイテム云々はどうでもいいみたいだけど、せっかく頑張って咲かせた薔薇は正当に評価されて欲しいよね。
「アリスもすっかり国民に人気で忙しいでしょ?」
「私まで聖女って名誉挽回してもらっちゃったからね。有難かったよ」
「それはクリスティアン殿下のおかげだよ」
クリスティアン殿下はセリーナが捕縛されてから、魔女裁判に向けて色々な手回しをしてくれていた。あの時の参考人も、証拠品も、あの裁判の流れも、全てクリスティアン殿下の筋書きだった。
アリスは真の聖女として名誉挽回し、体の不調に悩む人々を治療する毎日だ。シナリオでは神殿に所属し、聖女として本格的に奉仕活動するけれど、今アリスは個人で活動している。
「神殿には所属しないの?」
「うーん、迷ってるんだ。巡礼しなくても困ってる人がいたら自分で行って治してあげればいいし」
「ゲームでは神殿と学園の往復の生活だったよね」
「あれも作業ゲー要素あったからね。でもそんなことしてたらレオとの時間が無くなるじゃん」
遠くから『お気になさらず』とレオが言っている。アリスは『つれない!』と悔しそうな顔をしながら王室料理人のケーキをやけ食いしていた。
「お前、医学を学べ」
塁君が隣の薔薇園から現れてアリスにそう言った。
「私が? 無理無理」
「基礎だけでいい。お前には光魔法っていうチートがあるからな」
塁君はこの世界の医療技術を向上させようと、王都に医学部を新設しようとしている。
最初は週に数回だけ、塁君とローランド、ヴィンセントが交代で講師をするんだとか。
その一期生にイーサンを推すというのは聞いていたけど、アリスもなんだ。
間違いなく正しく理解すれば、この世界の魔法使いが出来なかったことも出来る。折に触れて塁君はそう言っていた。
アリスが遺伝子まで理解したら本当に救われる人が増える。それってすごいことじゃないかな。
「お前、遺伝子疾患だけ治せなかっただろう。それは知識が無いからだ。学びさえすればお前は光魔法で全ての疾患を治せるようになるんだぞ。この世界にだって家族性や突然変異の遺伝子疾患は存在するからな」
「うっ、確かに治せなかったけど……」
「他の者のように臨床実習などしなくても、お前は理屈さえ理解すれば光魔法で万人を救える。光魔法の使い手である以上、最大限に活かす責任と義務があると俺は思う」
「……勉強、苦手なんだよね」
「それは見たら分かる」
「ちょっとぉ!!!」
相変わらず第二王子はヒロインに容赦ない。
「俺達はスパルタだが、理解出来ない奴を置いていくようなことはしない。どうする?」
アリスは頭を抱えて悩んでいた。悩んでいる時点で人々を助けたい気持ちがある証拠だ。きっと治せなかった患者さんを前にして、アリスなりに悔しい思いをしたのかもしれない。
「光魔法じゃドリーさんとジムの病気を根本的に治せなくて、何度も同じ症状がぶり返すのを見てたから、『悔しいちゃんと治したい』って思ったのは本当なの」
「それで?」
「…………ぅぅ、やる!」
「よし」
「優しく教えてよ!」
「無理だ」
「うわぁぁああ、やめときゃ良かった!」
「言質取ったからな」
「何この王子ー! 言質とか怖い!」
「あっちにローランドがいるから詳しいこと聞いてこい」
アリスがしぶしぶ席を外すと、私と塁君が二人になったところにレオがやってきた。
「あの、差し出がましいとは思ったのですが、お二人にお伝えしておこうと思いまして」
「「ん??」」
「お二人が亡くなった後のご家族のことです」
「「えっ!!」」
レオは羽音ちゃんが亡くなったと知った後、生前話していた内容を思い出しては調べて振り返る日々だったという。その中で私と塁君がかつてのバイト仲間とお客さんで、事故で亡くなったという話を聞いたことを思い出し、その後の顛末を追ってくれていたそうだ。
私達の家族のこと。知りたいけれど、知りようが無かった。
元気でいて欲しい。自分の死で悲しませて親不孝をしたけれど、どうか長く悲しまないで前を向いていて欲しい。
レオは神妙な顔の私達の前に腰を下ろして、いつも通り穏やかに、だけど日本語で話し始めた。
「僕が死ぬ前までのことなので、十三年以上前ではありますが、お二人のご両親は何度も顔を合わせていらっしゃいます」
「「え???」」
何がどういう状況でそんなことになったのだろう。私と塁君は顔を見合わせた後、レオの顔をジッと見て次の言葉を待った。
「お二人が亡くなられた後に、来栖君の先輩だという方が来栖君が羽鳥さんをずっと好きだったと言ったんです。それを来栖君のご両親が知って、札幌の羽鳥さんのご両親を訪ねたという記事がありました」
「う、うちの親父とおかんが? なんでやねん……」
「息子が初めて好きになった子のことが知りたい、とのことでした」
「はっず!!」
塁君は顔を真っ赤にして右腕で顔を隠してしまった。確かに親に恋愛のことを知られるのって照れちゃうよね。
「羽鳥さんのご両親とお話して、来栖君のお母様は記者に『息子がええ男やって再確認できました。惚れた女見捨てんと最後まで諦めへんで助けようとするなんて、さすが塁や。しかもええお嬢さんやないですか。全力で捕まえに行ったんやなぁて誇らしい気持ちです』って答えていました」
塁君の瞳もゆらっと揺れたけれど、聞いている私の方が先に涙腺が決壊してしまった。
「羽鳥さんのご両親も『私どもの娘を想ってくれる青年がいてくれて、助けようとまでしてくれて感謝の気持ちしかありません。天国で二人で幸せにしていて欲しいです』と」
「ぅぅぐぅ、うぇ、うぇぇ……」
またしても令嬢にあるまじき本気泣きをしてしまったけれど、両親のことを出されたら泣かずにはいられない。塁君が横から私を抱えて頭を撫でて宥めてくれた。
両親に『天国じゃない世界で二人で幸せにしてるよ』って伝えたい。
塁君のご両親にも『私もずっと息子さんのことが大好きでした』って伝えたい。
「その後も意気投合されたようで、定期的にお会いになってるようでした」
嬉しいな。塁君と私の繋がりが日本でも育っているのが嬉しい。
私達両方の両親が、前を向いてくれていることが嬉しい。
「お互い野球観戦で行き来してると見ました」
「出た」
「え?」
塁君は目を瞑って俯いてしまった。野球観戦、何が悪いの?
「うちの親父はな、強烈なトラキチやねん」
「とらきち?」
「熱烈な阪神ファンのことですね」
「せや」
あー大阪だもんね。と納得する。
「俺の名前もな、塩基はbaseやから、野球のベースとかけて塁やねん」
「塩基から来てたんだ……むしろ野球からだと思ってたよ」
「親父の中で阪神に唯一勝てるもんが遺伝学や。もう生粋のゲノムオタクやで」
「大阪の有名なゲノム生物学の教授でいらっしゃるんですよね。未来のノーベル賞候補とも言われていらっしゃるとか。すごいご家庭だったんですね」
な、な、なんですと?
ご両親ともにお医者さんらしいのは聞いてたけど、ゲノム生物学の教授? ノーベル賞?? だから塁君のあの遺伝関係の知識量だったのか。
「お母様も臨床遺伝専門医で研究者だと書かれてましたね」
「おかんはごっつ怖いで。俺の名前、最初はまんま塩基にしようとした親父どつきまわして、それから親父はおかんに頭上がらへんねん」
「す、すごい、サラブレッドだね!」
「ネットでは日本の宝と書かれていましたよ」
「大袈裟やな……」
塁君は散々言われてきたのか、ちょっと面倒くさそうにしている。
「多分えみりの親御さんをトラキチに引き込もうとしとるな」
「えっ、札幌なのに? ファイターズがあるのに?」
「関係ないねん。それが親父やねん」
どういうこと。
「仕事の時はIQ全振り、野球の時はIQ2になるのがうちの親父やねん」
「IQ2って」
「お父様も天才と呼ばれていらっしゃるんですよね」
「ててて天才?? も? もってことは塁君も?」
「俺は別に普通や」
「お父様はIQ180で来栖君はIQ200だと書かれていましたけど」
「気のせいちゃう?」
ええええええええええええ???
私の二倍とか余裕である気がする。会話が成立してるのが奇跡……っていうか合わせてくれてるんだね! ひぇええ、すみません! そんなに賢いのに前世でいつも勉強してたよね? 天才が努力したらどうなるの? ヤバいって!
なんか意味もなくアワアワしてしまう。
「その優秀な遺伝子は次代に残すべきですよね」
レオはそう言い残し、にっこり笑ってまた薔薇を見に行った。




