78.ゼイン①
「ゼイン兄ちゃん! これ見てー! 私が作ったんだよー!」
「おう、旨そうだな」
「僕も上手に出来たよ!」
「こっちもいい色じゃねぇか。すげぇな」
貧民街にある孤児院で、ガキどもが嬉しそうに料理を手伝っている。
もうすぐ年に一回の祭りの期間で、今年はうちの孤児院からも屋台を出すことになった。今まではガキどもが作った手工芸品を売っていたんだが、そこはやっぱりガキが作ったもんだから見栄えも悪くて二束三文でしか売れなかった。まぁ俺はこいつらが自分で一生懸命何かを作って、それで金を稼ぐってことを学んで欲しいから、それでもいいと思っていた。
だけど今年はエミリー様が手伝ってくれるという。
俺達の唯一の存在・ルイ殿下の婚約者、エミリー様。
あの無表情・無感情だったルイ殿下が、三年前にエミリー様と婚約してから急に笑顔が増えた。増えたというか、皆無だったものが突然溢れてきた感覚だ。長い付き合いだがあんな幸せそうな顔は初めてで、皆驚いたもんだった。
ガキどもが容赦なく『ラブラブなんだ! このこのー!』なんて揶揄っても、思い出し笑いが抑えられない様子で『まぁな』なんて返していた。
ルイ殿下にそれほど大切な方が出来たことが単純に嬉しいし、ますますお支えしなければと思う。
俺達が今こうして雨風凌いで食い物にも困らず生きていけるのは、全てルイ殿下のおかげなんだから。
あれは、俺が十二歳、弟のイーサンが五歳の時だった。
母親が病気で半年前に死んでから、すっかりダメ人間になった父親は暴力を振るうようになり、その矛先は俺達だった。イーサンを守るために必死で一人でクズ野郎の暴力に耐える日々。勿論飯なんて貰えねぇし、毎日毎時間腹を空かせていた。
イーサンに食わせるために万引きだってスリだって何だってした。見つかってボコボコにされることもあったが、クズ野郎からの暴力よりはずっとましだった。あのクズは加減なんてしねぇから。
クズが酒の飲み過ぎで借金まみれで死んでからは、住む家もなく、貧民街の路上で暮らした。他の場所だと邪魔者扱いは当たり前で、追い立てられて寝ていられないからだ。
ちょうどその頃、貧民街と平民街の境い目辺りに立派なでかい建物が建設中だったが、それが誰の建物で何なのか知ってる者はいなかった。
『誰かが住み始めるまででも此処に入り込めねぇかな』
俺は毎日そう思って探っていたが、ドアも窓も厳重に閉ざされていた。
栄養の足りない体で雨風を受けるのは結構キツイ。幼いイーサンはなおさらだ。
騎士団に保護してもらうには、俺は盗みに手を染め過ぎていた。保護されたってイーサンと離されるのは目に見えてるし、人身売買をしてる孤児院もあるって聞くから誰も信用出来ねぇ。
『イーサンは俺が絶対に守る』
その一心で生きていた。
ある日身なりのいいガキが一人で平民街の端をウロチョロしていた。親とはぐれたのか、弟と同じ年頃だから心配にはなったが、甘いことは言ってられねぇ。すれ違いざまに財布をスッた。
ガキのくせにずっしり重い財布には、銅貨がギッシリ入っていた。
『やった! これで一週間はイーサンに腹いっぱい食わせてやれる!』
ガキには悪いが、お前はどうせすぐまた貰えるんだろ? じゃあ少し恵んでくれよ。
俺とイーサンは久々に腹いっぱいパンや肉を食った。あの時のイーサンの幸せそうな顔は今も脳裏に焼き付いている。
スッた銅貨が無くなりそうな頃、またあのガキが街にいた。あいつの親は何してんだとは思いつつ、『カモがまた自分から来やがった』の気持ちの方が何百倍も強かった。
俺は嬉々としてまたそのガキの財布をスッた。財布にはまた銅貨がギッシリ詰まっていた。
銅貨が無くなる頃にだけ、いつも同じガキが現れる。そんな繰り返しの何度目かで財布に紙切れが入っていた。
『明日の正午、ここの建物の最上階に来てくれ』
子供の書いた文字と地図があり、その地図上で矢印が示していたのは、あの建築中の立派な建物だった。
絶対罠だろ。散々スッてきたから捕まるんじゃねぇかな。最上階なんて行ったら入口塞がれて袋のネズミじゃねぇか。
『誰が行くかよ』
そう結論付けて無視することにした。
次の日、正午前のことだ。イーサンと昼飯を買いに行く途中で、ただならない気配を感じた。今まで俺がスッたり万引きしてきた相手に見つかったかと、辺りを見渡してもそれらしき奴は誰もいない。なのに何ともいえない殺気のようなものが漂っている。俺はそういうのの勘は働く方だ。
とりあえずイーサンを巻き込まないように、金を全部イーサンの服の中に隠して二手に別れることにした。
『これでお前は何でも好きなものを食え。絶対にスられるな。食い終わったらいつもの寝床で待っていろ』
そう言いつけて俺はその気配を捲くことにした。
いくら走っても付いてくるその気配。逃げて逃げて殺気の無い方へ進むと、まるで誘導されるようにあの建物まで来てしまった。もうここに入るしか逃げ道は無い。
建物のドアノブを掴むと、今まで一度も開いたことのない扉はあっさりと開いた。
『最上階なんか絶対行かねぇ。どっか隠れるとこは……』
そう思って隠れるところを探そうとしたら、いつの間にか俺の周りには全身黒い服を来た男達が五人もいた。
『……ぅっ』
必死で逃げるために階段を駆け上がる。
次の階にも別の男達がいて、階段に向かってくる。下の階からもさっきの奴らが上ってくる。もう上の階に行くしかない。
そうやって結局最上階まで駆け上がった俺の目に、窓の外を眺める小さな背中が飛び込んできた。
あの、いつものカモ――――
『よぉゼイン。俺はルイ。ここも完成したしお前に仕事を頼みたい』
振り返ったそのガキこそが、この建物の持ち主だった。
『ここを貧民街の孤児達を保護する孤児院にする。もう家具も全て入っているから今日からお前ら兄弟だけでも住み始めるといい。管理する大人も必要だから、最初は俺の手の者から一人貸してやる。お前はその者から学べ。お前に頼みたい仕事は、孤児達を集めてくること。優先順位は頼る大人がいない子供、親がいても守ってもらえない子供だ。家事と子供達の世話に数名の大人を雇うから、それもお前の目で信用出来る者を連れてきてくれ。勿論全員に相応の給金を出す』
お前ら兄弟と言ったか? 何故イーサンのことを知っている? 俺は盗みをするときはイーサンには見せたくねぇから必ず一人でやっているのに。
無表情で淀みなく話すガキに、ずっと年上の俺が気圧されながら何も言えずにいると、ガキは生意気にもこう言った。
『ゼイン、お前は同年代と年下に慕われるカリスマ性があるし、行動力も冷静さもある。いずれリーダーになるだろう。その資質を活かして貧民街を変えてみろ。俺はお前なら出来ると思ってる』
何でこんな小っちゃい奴に偉そうに分かった口を聞かれなきゃなんねぇんだ。
だけど褒められるのなんて母親が死んで以来初めてのことで、嬉しい気持ちが湧いてしまったことは否定できない。赤の他人になんてなおさらで、褒められるのも認められるのも期待されるのも、十二年生きてきて初めてのことだった。
『孤児達は栄養失調の者も多いだろうから、タンパク質主体の半消化態栄養剤と麦芽糖を作っておいた。調理場に置いてあるからお前達も補助食として飲むといい。小児に最適なタンパク質の配合比にしてあるし、ミネラル・ビタミン、微量元素もバランス良く配合した。いきなり大量に普通の食べ物を食わせると胃腸が受け付けないから、集めてきた孤児達には必ずこの半消化態栄養剤から飲ませて、徐々に普通の食事に移行させるように』
な、何だって? 意味不明な言葉をスラスラと言うそのガキは、変わらずずっと無表情だったが、俺はこの建物に今日からでも住んでいいこと、飯に困らねぇこと、給金が出ることだけはすぐに理解した。
『ほ、本当に今日からここに住んでいいのか!?』
『いいって言ったろ』
『人身売買とか企んでねぇだろうな!?』
『何のことだ』
『孤児院でそういうことやってるとこがあるって聞いたんだよ!』
『そうか、調べておく。ここは違うから安心しろ』
『お前のこと何も知らないのに信用出来るかよ!』
『そうか、じゃあこれをやろう』
ガキは懐から宝剣を取り出した。鞘には王家の印が刻まれている。俺みたいな孤児だって、この印は知っている。城の周りにも、祭りの時にも、数え切れないほど飾られる国旗の紋章だからだ。
『俺使わないし、ゼインにやるよ』
『な、え? おま、お前、王家の剣なんて、何処で』
『父上にもらったけど重いし邪魔なんだ』
『……父上って』
『まぁ誰でもいいだろ。ここのオーナーは俺だからな』
王家、宝剣、黒い服のただならぬ殺気の男達、そしてルイという名前のガキ。
答えは一つしか無い。イーサンが生まれた年、そいつも生まれて国中がお祝いムードになったんだ。銀髪にマリンブルーの瞳の王子だと、そういやうちの母親も言ってたっけ。
『弟を連れてきたら必ず風呂に入ってから着替えてベッドに入れよ。清潔は病気予防の基本だ。着替えはチェストに各サイズ揃えてあるから選んで着てくれ。何か足りないものがあったら買うといい。おもちゃや絵本だって子供には必要だから、お前達兄弟で好きに買いに行っていい』
そう言うと懐から俺がスッたのとは別の財布を出して、『あー金貨しか無いな。おい、ちょっと来てくれ』と言い、どこからともなく黒い服の男が一人現れた。
『両替えを頼む。こいつらが店で使いやすいように銅貨にしてくれ』
『金貨を銅貨にするとなると大量になりますが』
『じゃあ多過ぎる分はお前に預けるから、ここの運営に回してくれ』
『御意』
……俺達が使いやすいようにだって? このガ……王子は、わざと俺にスらせてたのか。使いやすいように銅貨をぎっしり詰めた財布をわざわざ用意して。
何故だ? 何故そうまでして俺に接触した?
答えは出なかったが、俺は大急ぎで弟を迎えに行き、やっと安心出来る家を手に入れたんだ。




