77.運命になる
魔女裁判から一ヵ月、季節はすっかり冬になった。
クリスティアン殿下の婚約発表はあの後すぐに行われ、グレイスが妃教育のために王城に通う毎日だ。
ゲームでも第一王子の婚約者だったグレイスは、流石のポテンシャルの高さで、既に私の妃教育の進度をぶっちぎりで追い越して行った。やっぱりモブとメインキャラでは出来が違う。
ユージェニーはグレイスの婚約を心から祝福して、ユージェニー本人も隣国の第四王子と婚約することになった。卒業を待たずに来春から隣国に留学し、第四王子と過ごす時間を作るんだとか。隣国は小さいけれど温暖で過ごしやすく、景色も綺麗で治安も良い。卒業したらチーム悪役令嬢で遊びに行こうと今から皆で計画している。
セリーナの危険も去って、私はてっきりハートリー家に帰るものだと思っていたけれど、塁君が拗ねるのでそのまま王城で暮らしている。
まぁ塁君が作ってくれた専用キッチンは最高に気に入っているので、このままでも全然構わない。
それにお母様があの日私のポケットにずっとずっとクワガタ君達が入っていたと知って卒倒してしまい、後日それはもうものすごく叱られたので気まずいのもある。
だけど言い訳したい。あれを見ていた民衆が『魔女退治には蛙・カブトムシ・クワガタ』だと思い込み、今王国では空前のブームになりつつあるのだ。
あの子達は神獣の仲間入り扱いだし、民家の玄関にはあの子達のチャームが魔除けとして飾られてるし、クワガタ君達が生息する森林は『聖なる森』、蛙ちゃん達が住む池は『恵みの池』とか言われて大切に保全され始めた。
ということは、あの子達は万人に受け入れられるタイプだというわけで、そんなに卒倒するほどのことはないと思うんだよね。
っていうのはお母様には直接言えないんだけどね。
◇◇◇
「えみり、気づいとった? 俺らだけまだキスしてへんの……」
白薔薇の庭園で、塁君がものすごく深刻な顔をしてたから何かと思ったらそんなことだった。
「だけってことは、他の皆はしてるの?」
「せや。まさかのローランドもブラッドもしとんねん……なんでや!」
「皆ラブラブだもんね」
「兄さんの見て、皆にもさり気なく聞いてみてん。ほんなら『嘘でしょ、まだだったんですか?』ってバレてもうて……」
「ははは……」
塁君は私のほっぺや頭にはよくちゅっちゅしてくるけれど、口と口ではまだしていない。多分前に言ってた『軽い男やない』ってやつを気にしてるのかもしれない。
「私達は私達だから」
「……これでするのもなんか嫌やねん。焦ったみたいやんか。俺はいい頃合いでお互いの気持ちが高まった時にしたいて思てるのに! あー、あかん! あいつらの哀れみの目がチラつく!」
私は前世でも今世でも経験が無いので何も分からない。タイミングとか、シチュエーションとか、何か色々あるのかな。ゲームでは後半でヒロインと攻略対象者がしてたよね。ロマンチックな美麗スチルに、そりゃあもう一人でうっとりしたっけなぁ。
「えみり、初めてやんな?」
「えっ! う、うん」
「前世でも無いねんな?」
「……無いですけど」
改めて聞かれるとものすごく恥ずかしい。喪女ぶりをわざわざ確認されているようでテーブルの下に隠れたくなってきた。ほんと悲しい青春だからそれ以上聞かないで下さい。
「うっしゃ! ほんまもんのサラや。俺だけのもんやな!」
「さ、さら……?」
「さらぴんゆうことや」
「さらぴんも分かんないけど」
「えーと、新品いうことやな」
「新品なのかな……?」
「……な、なんでなんで? なんで疑問形? ……何かあんの?」
「ワンコとはよくしてたんだ」
「……はぁ~、焦った~って、そのワンコ、お、雄?」
「うん」
「…………っく!!」
塁君が顔を背けてテーブルを一回ドンと叩いた。
「くっそ、羨ましい! 何処の何犬やねん!」
「あはは、隣のおばあちゃんちの柴犬だよ」
「柴ワンか、くぅっ! 可愛いもんな!」
「うん、すっごく可愛くてお利口でね。その柴ワンって言い方可愛いよね。なんだか懐かしいなー」
「柴ワンが懐かしい?」
「高校の同級生も小鉄見て柴ワンだって言ってて、可愛い呼び方って思ったんだ」
「…………こ、小鉄?」
「あ、その隣のワンコでね。茶色い柴犬で小鉄っていうの」
「…………嘘やん」
「??」
塁君は両手で顔を覆って上を向いたまましばらく固まっていた。
「えみり」
「ん?」
「お好み焼き定食の味噌汁の位置、左奥やて教えてくれたんもその同級生?」
「あ、そうそう、よく分かったね」
「ちゃんちゃん焼きの白菜バージョンも、ひょっとして……」
「そうそう、その子に教えてもらったんだ! 感謝だよね!」
「……高一の学祭でカフェとかやった?」
「やったよ! もー楽しかったなぁ!」
「クロックムッシュ作った?」
「作った作った」
「マジか」
塁君は顔を覆ってた手を外して、真っ直ぐに私を見た。頬はほんのり赤くなって、マリンブルーの瞳は少しだけ潤んでいる。どうしたの?
「俺が初めて食うたあのクロックムッシュも、えみりのやったんやなぁ」
「え?」
「その同級生、俺の従弟や」
「え、速水君?」
「速水昴。白菜のちゃんちゃん焼き作ってくれる札幌のおばちゃんは昴のおかんで、俺のおかんの妹や」
「す、すごい偶然! だから速水君、お味噌汁の左奥知ってたんだ!」
「俺が教育してん」
「うわぁー! なんか感動!」
「ほんまやなぁ。あー、そうか、羽鳥と速水で出席番号近いんや」
「隣の席だったの。優しくていい子だったなー」
「…………(そら昴がえみり好きやったからやで。言わんけど!)」
「学祭のクロックムッシュ食べてくれたの?」
「昴の兄貴の翔が買うてきたの俺にくれてん。めっちゃ旨い思て、それからずっとクロックムッシュが好物や」
ビックリに次ぐビックリで動悸がしてきた。まさかバイト先で出会う何年も前に、こんな繋がりがあったなんて。
「あれが無かったらクロックムッシュなんて知らへんままで、えみりのバイト先にも寄ることなかったんやろな」
ああ、なんだか色んな感情で胸がいっぱいだ。愛しさがどんどん積もってギュウッて苦しくなってくる。奇跡みたいに小さな出来事が重なって、繋がって、運命になっていく。
潤んできた私の視界に、やっぱり瞳が潤んでいる塁君が映る。
「えみり、今までもこれからもずっと好きや」
塁君は私の顎に手を添えてクイッと上げると、おでこ、瞼、ほっぺの順に口付けし、最後に軽く押し当てるように唇に唇を重ねてきた。
うわぁ……
柔らかくて、温かくて、心満たされる。これがキスなんだ。
ポーッとなって夢心地な私を塁君はギュッと抱きしめて、耳元で『あかん、キュン死する』と呟いてきた。
塁君の鼓動がバクバクいってるのが洋服越しに伝わってくる。だけど私だって負けてないくらいバクバクしてる。
「わ、私も、キュン死しそう……何かあったら、蘇生お願いします……」
「まかしときって言いたいけど……俺もキュン死したら一緒に死ぬしかないなぁ」
「また一緒に死ぬの?」
「また一緒に死の」
二人で顔を見合わせて噴き出して、私達はもう一回抱き合いながら愛情と幸せのいっぱい詰まったキスをした。




