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72.刈り取り後に残った根は

「ぅぅ……」


 薄暗い空間、真っ黒な鉄板の天井、まだここにいる……。私は不覚にも魔力切れで倒れてしまったのだとすぐに理解した。


 結局またこの場所に戻されたのね。せっかく時間をかけたのに、またいちからやり直しだわ。


 どれくらい気を失っていたのだろう。魔力切れは数日から半月の間は目覚めないこともあると聞く。ひょっとして半月後だろうか。


 でも半月……ふっ、ふふふ、半月もあれば小僧どもの外見もかなり変わった頃だろう。婚約者達に恐れられ、疎まれ、婚約破棄でもされればいい。体を壊して苦しめばいい。泣いたって治してなんてやらない。


 私に無礼な言葉を吐いたことを後悔しながら死ねばいい。


 私はまた鉄格子を溶かして脱出してやる。今度は最後の鉄格子が外れた後、魔力が復活するまで休憩してから脱出すればいい。


 そうすれば見張りに立っている騎士団位、炎の魔法で退治してやる。


 それにしても半月も意識が無かったのによく生きていたわ……。


 周りを見渡すと自分の腕に点滴の針が刺さっていることに気付いた。


『な、何これ! この世界に点滴!?』


 思わず管を鷲掴みにして抜いてしまった。これのおかげで生きていたのか。あの小僧か? 医学生だった時の知識で作ったの? まぁ、この程度なら医学生でも出来るでしょう。


 それにしても馬鹿な奴ら。私を生かしておいてまだ遊ぶ気だった? でも今頃はそんな計画も忘れて全員苦しんでいるかしらね。


 上半身を起こすと前回とは違う違和感を感じた。何かしら? 場所が違うの?


 ぐるりと見渡すと前回より広いような、だけど前と同じような。何かおかしいと感じた。


 目の焦点がなかなか合わない、見えにくい。それでも薄暗さに少し慣れてくるとその違和感の正体に気付いた。


 その空間の壁全面に鏡が置かれていた。まるで前世のバレエ教室やダンス教室で使われているような、大きな壁一面の鏡。


 そこに映っているおかしな生き物。


「キャッ!」


 思わず後ろを振り返るが何もいない。


 今出た自分の声がやけにガサガサにしわがれているが、長い間声を出していなかったせいだろう。何か飲めば戻る筈。



 もう一度鏡を見る。鉄製の檻。その横に点滴。そしてやはりおかしな生き物。


 何? 何なの? どういうこと?


 鏡の中には、皮膚に酷い亀裂が入った皺だらけの顔、真っ白な長い髪の毛はべったり固まり、眉も睫毛も白く、目の色がぼんやりと赤い未知の生き物が居た。


 右手を動かせば鏡の中の生き物の右手も動く。


 首を動かせば鏡の中の生き物の首も動く。


「う、嘘でしょ!!? 嘘よ!!」


 ガサガサのかすれ声で叫んだ。


 これは私が小僧どもにかけようとした魔法と同じ。あの疾患。何故私が罹っているの? 何でなの!?


 そうだ、落ち着いて。私の魔法だもの、私が取り消せばいいのだわ。焦ってしまったじゃない。薔薇も、農作物も、平民の病も、全部うまく取り消せたじゃない。


 さ、取り消すわ。小僧どもにかける時に、早く病状が進行した姿を見たいから時間魔法もかけたんだったわ。薔薇を萎れさせた時も時間魔法を使ったら劇的な変化に見えたから、あれから同時に使っているのよね。慌てず両方を取り消さないと。


 取り消して鏡を見る。ほら、元の私の可愛らしい顔の筈。




 ――――何も、変わっていない。



 おかしいわね。時間魔法だけは使った方が綺麗に治って見えるかしら。じゃあ時間魔法だけもう一度かけてみよう。



 ……鏡の中の自分は更に亀裂も老化も酷くなり、腰も痛いし四肢には力が入らないし、胸まで痛くなってきた。


「ううぅっ! 痛い! 痛い!」


 慌てて時間魔法を取り消すと、痛みは消えたがさっきまでの状態にしか戻らない。


「……嫌、何で……何で取り消せないの?」


 自然に時間が経ったら今の激痛がまた訪れるということ? 何故? 腰の痛みはアリスに連れて行かれたあの平民が訴えていた。じゃあ、あの結石になる病の魔法まで私に? まさか……全て!?


「そんな、馬鹿な……」


 かすれ声で呟いて愕然とする。


 もし私が放った全ての遺伝子焼却魔法が自分の身にかけられたというのなら、その種類は七種類だ。


 前々から決めていた二種類の奇病と結石、アルビノ、筋肉が麻痺する病、肺炎、そしてネルの赤ん坊の病。


 我が家の領地で実験を始めてから三年後、穂発芽させた小麦畑の様子を見に行った。だけど育った筈の赤ん坊がそこにいないことに私は気付いた。だから死んだのだろうと。きっと重い遺伝子疾患になる部位だったのだと思ったから使ったのに。このままなら私も死んでしまう! 嫌だ! 私はヒロインになるのに! 早く魔法を取り消してやり直さなければ!


 すぐにでも鉄格子を溶かさなければ。その後何処に行けばいい? あの魔術師団長子息のヴィンセントが絡んでいそうだわ。あいつが何かしたんだ。


 クリスティアン殿下も右手の怪我は機密事項だと言っていたのに嘘だったなんて。ルイ殿下に操られているんだわ。あの鈍くさい姉の婚約者。そして前世の医学生・来栖塁。たかが半人前の学生の分際で馬鹿にして。絶対に許さない。だけど小僧どもも今頃苦しんでいるわね。それだけは満足だ。





「自分の姿を見た感想は?」




 誰もいないと思っていた空間に声が響く。この声は、あの小僧。来栖塁。気付けば暗闇の中に小僧が一人立っていた。


「クソガキが……」

「声ガッサガサだな。何でだと思う?」


 こいつ、ピンピンしてる。私の魔法はかかっていない。あのヴィンセントが細工したに違いない。悔しい。憎い。同じ目に合わせてやりたい。


「お前が焼いた8番染色体短腕上の8p12-p11.2はウェルナー症候群の原因遺伝子、WRN遺伝子があるところだ」



 …………な、何て言った? 原因遺伝子だと?


「ウェルナー症候群は早老症の一つだ。お前は人体実験で急激に老化した被害者を見て、どうせ一番有名なプロジェリア症候群と混同しているのだろうが、プロジェリアは乳児期から発症するのに対してウェルナー症候群は二十歳頃から老化徴候が現れる。ちなみにプロジェリアは1番染色体長腕上1q22-1q23.1にあるLMNA遺伝子が原因遺伝子だ。お前が1番を実験したハートリー領ではプロジェリア患者は出ていない。近くのGBA遺伝子を焼かれた者はいたけどな。LMNA遺伝子の場所を知らないお前は、近いから飛ばしたんだろう」


 何だ? 何を言ってる? スラスラと淀みなく何て言った?


「そのかすれ声は喉が渇いてるからとかそんなんじゃない。ウェルナー症候群の老化現象だ」

「う、嘘! 嘘! 嘘! 適当な事を言うな!」

「白内障で白く濁り始めているが、瞳が赤く変わってるな。白皮症も入れたか。白皮症は原因遺伝子がいくつかあるが、多いのは5番染色体短腕上5p13.2のSLC45A2遺伝子か。お前のその白髪は老化か白皮症どちらだろうな」


 この小僧は、さっきから何を言っている?


 この世界に遺伝子疾患の医学書などない。そもそも遺伝子の概念が無い。私だけが知っている筈だった。私だって遺伝子座なんて植物でさえ朧気にしか覚えていない。三年間実験する中で検証していったのだ。


 この小僧は適当に言っているか――――まさか、前世の知識を今も覚えている? まさか。



「お前が真っ先に治したいのはどれだ?」


 耳を貸すな。こんな小僧の言うことには。医学部四年生なんてまだまだヒヨッコだ。こんなことまで知っている筈がない。多少医学書で目にしたって覚えていられる筈がない。


「魚鱗癬か? ウェルナー症候群か? さっきは痛みもありそうだったからシスチン尿症か? 四肢も麻痺状態だったから筋疾患系も入れたようだな」


 ぎょりんせん? 何だそれは。シスチン尿症? 痛み? あの結石のことか?


「他にもあちこち焼いてるみたいだが、とりあえずWRN遺伝子の塩基配列でも教えてやろうか? 自分で治療してみたらどうだ?」


 え、塩基配列? 自分で治療? どうやる? 出来るものならしているわ。


「TTATGTCATA GTGCAATGTA AATCTTAGTT ATGGTATTTA GAATGTCAGA ATGTCACATT…………って、あと143,654塩基あるけど教えて欲しいか?」


 な、何? 何だ今のは? 塩基配列? 本当に? 14万と言った? 嘘でしょう? ハッタリに決まってる!


「お前植物なら遺伝子組み換えもしてただろ。自分の遺伝子もいじってみろよ」

「!?」


 ――バレている。何処から? 青い薔薇? エチレン? フロリゲン? 何なのこの小僧は。何でこんなに何もかも見透かしているの? その知識は何なの?





 怖い。


 私はこんな小僧のことが、怖い、と思ってしまった。







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