69.芽吹き
もうこの檻に閉じ込められてどれくらい経っただろう。
最初に助けに来てくれたクリスティアン殿下一行は、その後一度も姿を現さない。
まだゼインが捕まっていないのかもしれないけれど、もっと心配して様子を見に来てくれてもいいだろうに。そう思っていた。最初の数日間は。
もう二桁以上の日は超えた気がする。ここは光も射さないから時間の感覚が麻痺する。それでも一日二回お茶と芋が置いてある。私が眠っている間に。不本意だけれど、それで時間の経過を認識する。
何の活動もしていないのに何故か突然眠ってしまう。眠気を感じたりもしないのに、いつも気が付けば眠って目が覚める。お茶と芋は必ずその間に置いてある。ここまでいくと偶然なわけがない。姿を見られないように眠っている時を狙っているのだ。何故?
まるで奴隷のような扱いに、何もかもを疑う気持ちが湧いてくる。
騎士団は何をしているのか。ゼインは確かにすぐ捕まるような人間じゃないけれど、鍵を壊す努力をするなり、何かやりようはあるだろう。食事だってせめてパンくらい用意出来るだろう。
こんな展開はゲームでは無かった。絶対おかしい。
もしや騎士団こそが怠慢なのだろうか。クリスティアン殿下は優しく声掛けして下さったけど、騎士団にいい加減な者がいて、聖女が捕まっているとは思わずに担当しているのではないだろうか。
皆が会いに来てくれないのは、好感度をまだ上げていないからかもしれない。それならジュリアンはどうだろう。好感度はMAXに近い筈。あの日、三時間経って聖堂から部屋に戻り、私がいないことに気付いただろう。絶対に探してくれているに違いない。ここが何処か分からないけれど、早く見つけ出して! 貴方の聖女様がこんな目に合っているのよ!
そんな不自由極まりない苦しい時間を過ごしていたら、ある日目が覚めると今までなかった光を感じた。
ずっと暗闇にいる自分には、扉の隙間から漏れるその光は眩し過ぎるくらいで、この部屋の扉のずっと先から射しているようだった。
待ち焦がれた光。外の世界に出たい出たいと強い欲求が生まれてくる。ひょっとしてやっと助けが来たのでは、と思ったが、その日も誰も訪れる者はいなかった。
次の日も扉から少しずつ光が射す。朝日が昇ったのだと久々に分かる。誰かが外へ繋がる扉を開けた筈なのに、どうしてその先のこの部屋へ来ないのか。相変わらず眠ってる間にお茶と芋は届くのに、何故この不衛生な状況をどうにかしてくれないのか。
毎日体調が悪くて堪らない。だけど栄養のあるものや消化にいいものなど出てはこない。ああ、ジュリアンが恋しい。手の込んだ美味しい料理と優しい口調。慈愛の眼差し。私の癒し。
待てど暮らせど変化の無い、恐ろしいほど孤独な時間。このままここで朽ち果てるのだろうかと愕然とする。手と足には鉄製の枷。周りには鉄格子。
鉄はどれくらい熱すれば溶けるのだろう……。
その日から私は炎の魔法で鉄格子を熱することだけに時間を割いた。
◇◇◇
「そろそろ鉄格子が外れるかな」
「炎の魔法を使い始めてから一週間経ちますからね」
「一日中熱しては魔力が足りなくなって一日寝る、の繰り返しでしたもんねぇ」
「鉄格子二本の上下を溶かす作業を始めて今日で七日目、残り一本の最後の片側がもうすぐ溶けるところですね」
私達は闘技場でセリーナが出てくるのを待っている。
正確には円形の闘技場の真ん中に五人、私だけは遠くの観客席に隠れている。
『今日は見てて気持ちええもんちゃうから待っとって』と言われたけれど、見届けなくちゃいけない気がして無理言って連れてきてもらった。
勿論隠れてるうえに塁君の保護魔法が今日はなんと五十重にかけられている。どんどん規格外になっていく婚約者に驚かされてばかりだ。
遠くで話す声が聞こえる魔法もかけてくれているから、離れていても五人の会話が聞こえてくる。
五人はいつもの調子で会話していて、特に緊張感も無い。ヴィンセントが煽ると言っていたけれど、それも五人それぞれアドリブでいくらしい。煽ってどうする気なんだろう。セリーナを怒らせて良い事なんて無いのでは。自爆を誘うって魔法を失敗させるのかな。思わず私は銃が暴発するシーンをイメージしてしまった。それでもまた魔法の取り消しをしてしまえば、何を失敗しても元通りで意味が無いんじゃないのかな。
多分私だけがドキドキしながらその瞬間を待っていた。
しばらくすると、何か異様な気配がした。地下牢に続く唯一の通路。その暗闇からゆっくりと一歩ずつ、足枷の鉄球を引き摺って、ゴトン、ズズズ、ゴトンと音を立て、小柄な人間が現れた。それは髪もべったりと固まって、顔も手足も元の色とは違う瘦せこけたセリーナだった。汚れに汚れて、初日に見た時とは大違いだ。
闘技場に出てきた時には、眩しいらしく目をギュッと瞑り、手枷の付いた両腕を上げて顔に影を作っている。
「脱出成功だね」
パチパチパチと拍手しながらクリスティアン殿下がセリーナに冷たく笑う。その表情は初日に見せた王子様の微笑みではない。
事態を飲み込めないセリーナは手枷の隙間からクリスティアン殿下を見て呆然としている。
「ぁ、ク、クリス、ティアン、で……」
「何故そんなに弱っているのですか? 聖女の力で自分を治せるでしょう?」
ローランドが冷淡に言い放つ。
「聖女じゃなくて、魔女の間違いかな?」
ヴィンセントが嘲るように笑う。
「よくも民を惑わしたな」
ブラッドは憎悪を隠しもせずに睨みつけた。
「な、何の、こ、とで」
困惑した様子のセリーナがたどたどしく返事をすると、塁君が皆とは打って変わって心配そうな声で声を掛けた。
「随分痩せたな。腹が減ってないか?」
「ぁ、は、い……」
「これなら持ってるぞ。食べるといい」
塁君はポケットから緑色のジャガイモを取り出してセリーナに投げつけた。
「お前の実家の菜園でエミリーが育てていたジャガイモだ。豊作だったからお前にやることにした」
「な、そ、それ、は!」
「皮が緑色のジャガイモは旨いんだったか? 危ないんだったか? 俺はエミリーみたいに料理をしないから分からないが、実家の味なら嬉しいと思ってな」
セリーナは当然すぐに思い当たることがあってワナワナしている。
「食べないのか? お前はジャガイモが好きだと聞いていたんだが」
その言葉と共に、真っ白い神官服のジュリアンが闘技場の入り口から姿を現す。
私も初めて目にするジュリアンは、ゲームのままの輝く麗しさだけれど、表情はゲームよりも精悍で、歩き方もずっと男らしい。
「ジュ、ジュリア、ン、来て、くれたのね」
「なぁ、ジュリアン、そいつはジャガイモが好きなんだろう?」
「はい。毎日食べていましたね」
セリーナは体を強張らせてジュリアンと塁君を見た。
「し、知り合い、だった、の……」
「知り合い? 無礼な。ルイ殿下は俺の主だ」
「声も口調も違って驚いたか? ジュリアンがお前の食事に使っていたのもハートリー家のジャガイモだ。懐かしい味がしたか?」
セリーナはしばし呆然とした後、やっと自分の体調不良がジャガイモのせいだと理解したらしい。
「そ、その、芋は、もういりませ、ん……」
「何故? 毎日旨い旨いと言ってたんだろう?」
「あ、飽きた、ので、す」
「へえ? 小細工したからじゃないのか?」
「……!?」
「どうも有害物質が増えてる気がするのだが」
塁君はわざと曖昧な言い方をしている。ソラニンとチャコニンの生合成に関する遺伝子が、と前に教えてくれたけど、セリーナにその話は出さない。言えば決定的証拠になるのに言わないのは狙いがあるのだと思う。そういえば皆もさっきから絶対に遺伝子について口にしない。
「ジュリ、アン、私を、連れて、かえっ……」
「俺はもう神官ではない」
ジュリアンはバサッと神官服を脱ぎ棄て、真っ黒な諜報員の姿になった。首に巻いた布で口元を隠し、金色の美しい長髪が風になびく。思っていた通り、これはこれで全面的にありだ!
汚れ過ぎていて分かりにくいけれど、セリーナがジュリアンを見て心なしか頬を染めているように見える。
「少しも状況を理解出来てなさそうですね」
「俺達、魔女退治しに来たんだよね」
「魔女、俺達は惑わされないぞ」
三人の言うことは耳に届いていないようで、セリーナはフラフラとジュリアンに向かっていく。そんなセリーナを、ジュリアンは長い脚で一蹴りして地面に倒した。
「貴様のお守りは終わりだ。魔女め。ここで死ね」
セリーナの表情から困惑が消え、次に無表情になる。そしてその後、キッとジュリアンを睨みつけた。力無かった瞳に怒りの炎が灯った瞬間だった。




