67.種蒔き
王都の北の外れにある、古くなってもう使われていない闘技場の地下深く。
ここには奴隷達が収容されていた地下牢がある。何百年も前、見世物として闘った奴隷達は、試合以外の時間はここに繋がれていたという。
今、その地下牢の中に更に鉄製の檻が持ち込まれていて、セリーナはその中で手枷足枷をはめられて横たわっていた。
ピクリとも動かずスヤスヤと眠っているように見える。
「あ、おでこ……」
「気を失った時に倒れて床に打ったんだ。キセノンの鎮痛作用で目覚めてもしばらくは痛くない」
セリーナの額は青黒く腫れていた。
クリスティアン殿下、ローランド、ヴィンセント、ブラッドは、憎しみに満ちた目で意識のないセリーナを見下ろす。
塁君に全てを知らされてから数ヵ月、皆この日を待っていたのだ。
「ここからは俺達のターンだ。各自準備はいいか」
「いつでもいいよ」
「この日を待ちに待っていました」
「まずはここが彼女の終わりの始まりだね」
「俺は万全です」
それぞれが塁君に返事をし、顔を見合わせて頷き合った。
「エミリー、今日は陰から見ていてくれ。さっきエミリーには強力な保護魔法を二十重くらいかけておいた。安心していい」
「に、二十……」
「今日は種を蒔くだけだから、多分一回分も使わないと思う。ただ俺がそうしたいだけだ」
こんな時なのに塁君はふわりと微笑んで、私を扉の陰までエスコートしてくれた。優雅でスマートで地下牢だとは思えない身のこなし。何の緊張も昂りも無い、いつも通りの王子としての塁君。きっと何百回、何千回と今日この日をシミュレーションしていたのかもしれない。
邪魔をしないよう、私は息を潜めてセリーナを窺うことにした。
「それじゃあキセノン麻酔を停止する。速やかに覚醒する筈だ」
塁君がそう言ってから、ほんの数分でセリーナがピクッと体を動かした。
ゆっくりと目を開き、ぼんやりとした表情で天井を見ている。天井と言うより鉄製の檻の鉄板だけれど。
「何これ……何処?」
ボソッと低く呟く声に、状況が分かっていない様子が伝わってくる。
「あれ……騎士団は? ここはゼインの次の隠れ家? な、んで、手に枷が……あ、足も?」
ゼインルートで騎士団が踏み込む前に気を失ったセリーナは、まだゼインの隠れ家にいると思っているらしい。
「セリーナ嬢、目が覚めたかい」
「え? 誰?」
「助けにきたよ」
「ク、クリスティアン殿下!!」
一番最初に声をかけたのはクリスティアン殿下だった。さっきまでの憎悪は微塵も見せず、いつもの穏やかで優しい声で語りかける。
「大変な目に合ったな」
「ルイ殿下!!」
次に声をかけたのは塁君だった。何も知らない顔をしてクリスティアン殿下の隣に立っている。
「通報を受けてずっと貴女を探していました」
「やっと見つけたよ、聖女様」
「騎士団の総力をかけて探させて頂きました」
ローランド、ヴィンセント、ブラッドもいつもの口調で語りかけた。まるで相手が本物のヒロインであるかのように。
「や、やっぱり騎士団が探して下さったのね!」
セリーナはゼインルートの途中であると確信を持った表情で、手枷をしたまま鉄格子を両手で掴んだ。
「早くここから出して下さい!」
「それが出来ないんだよ」
「な、何故ですの!?」
「ゼインが逃亡してしまったうえ、鍵が何処からも見つからない。騎士団がゼイン一派を追っているから待っていてくれるかい?」
「は、はい……」
「なるべく早く助けるからね」
「はい、早くお願いします!」
クリスティアン殿下が出口に向かって振り返ると、皆一言ずつ励ます言葉をかけてから背を向けた。セリーナは高揚した様子で一人ずつを見つめて頷き、最後にブラッドが声をかけ終わった瞬間に、また気を失った。
「キセノンは本当によく効く」
塁君はそう言って扉の陰の私のところまで迎えにきてくれた。
地下牢の扉を閉めて私達は全員王城へ戻った。
◇◇◇
セリーナが再び目を覚ますと、そこは変わらず暗い檻の中で、自分一人きりだった。明かりは地下牢の壁の蝋燭だけ。窓も何も無いその場所は、時間の感覚さえ失わせた。
『何でゼインの隠れ家で気を失ったのかしら……まだ内臓疾患が完全に治っていないの? それにしたって失神したことなど無かったのに』
自分の体が病魔に侵されているのでは、と怖くなる。今まで散々人々を遺伝子疾患で苦しませてきたことなど頭に無い。
『あぁ、惜しいことをした。ゼインに抱えられるなんて、あの引き締まった筋肉を感じるチャンスだったのに』
ゲームで出てきた隠れ家とは全く異なる風景に、セリーナは首をひねる。本来次の隠れ家は木造の一軒家だった。何故ここはこんなに暗くて鉄格子まであるのか。しかも手枷足枷なんてゲームのアリスはしていなかった。
『でもメインキャラクター揃い踏みで助けに来るなんて信じられない! またシナリオが変わったのね。しかも最高の変更だわ!』
先程の五人の攻略対象者達を思い浮かべると顔がにやつく。皆が皆、自分を心配してくれた。初対面となるローランド、ヴィンセント、ブラッドまで現れた。
年齢が五歳も下のセリーナは学友にもなれず、婚約者選びの選択肢にも入れなかった。だからそう簡単には出会えない面子だった。薔薇の品評会で見かけた時は、全員婚約者と仲睦まじい様子だった。
姉に嫉妬し第二王子を奪ってやろうと考えたこともある。しかし口説き文句も功を成さず、夜這いも散々な結果に終わった。
『それなのに、全員私を助けに現れた』
シナリオは大幅に変わったとセリーナは確信した。
次の日になっても五人は現れなかった。食べ物も飲み物も与えられず、硬い鉄の上で横になり過ごした。手枷と足枷が段々痛みを与えてくるが、自分では外せない。額も何故かジンジンと痛む。しかし何よりも辛かったのは喉の渇きだった。
『何故誰も来ないの……鍵が見つからないとはいえ、せめて騎士団の誰かが差し入れを持ってきなさいよ』
しばらく眠って目を覚ました時、鉄格子の前に粗末なカップに入ったお茶らしきものとジャガイモがひとつ転がっていた。
いつもなら絶対に口にしない見てくれのそれらに、セリーナは飛びついた。手枷のせいで鉄格子の隙間から上手くカップを取れない。失敗して床にこぼしてしまったお茶を、必死にセリーナは舐めた。それほどに喉の渇きは耐え難かった。
『はぁ、はぁ、この芋は……生ではなさそう……』
次は失敗しないよう注意しながら時間をかけて、やっと芋を檻の中に引き入れた。蒸かしてある芋は皮が緑色をしていたが、お腹が空いていたので皮も残さず食べた。
食べてしばらくすると、また襲ってくる吐き気と腹痛。
『やっぱり、まだ治ってないのね……最悪だわ、ここには手洗いも何も無いじゃない!』
セリーナは檻の端で嘔吐した。せっかくの水分も、食物も、何もかもを吐いてしまい、また渇きに苦しむ羽目になった。
『早く来て、クリスティアン殿下……あなたの未来の妃になる私を救いに来て……』
この後も数日誰も訪れず、ただ同じお茶と芋だけが提供されることなど、この時の夢見るセリーナは、欠片ほども予想していなかった。




