59.ヒロインの薔薇は誰の元へもいかない
「うーん、品評会に選ばれた薔薇ですからね。特別クラスの薔薇は貴族用の王立薔薇園に植栽するんですけど、出品作品もクラス関係なく王立薔薇園に植える規定なんです」
「え! そうなの!?」
ゲーム内でヒロインの薔薇は、品評会に選ばれた上に受賞までした。本来受賞作品は王城の薔薇園に植栽される規定だ。それでもヒロインは攻略対象者にその薔薇を捧げる。だからこそ好感度爆上がり効果があるのだろう。
現実では受賞を逃した単なる出品作品。とはいえあの薔薇は本来なら受賞できるくらいの見事さだった。王立薔薇園に植栽されるレベルのものを捧げるなら、多少なりとも好感度は上がるのでは。アイテム効果、あるのでは。
アリス、よく考えて! 初めてのアイテムかもしれないよ! 心配する私の心の声は届かないが、レオは全く受け取る気は無さそうだ。
「手掛けた生徒さんの意向が尊重されるとは思いますが、僕はせっかく見事な薔薇でしたから多くの人に見てもらった方がいいと思いますよ」
「だ、だってそしたら園芸家さんと全然会えなくなっちゃう」
「別に僕の家に気軽に遊びにきてもらってもいいですし」
「いいの!?」
「ちょっと遠いですよ? 王都の西の外れですからね」
「私の家も西! 近いかも!」
「そうですか。じゃあいつでもどうぞ。仕事中はうちの裏で父と兄と一緒に作業してると思いますので」
「やったー! 行く行く!!」
なんだかどっちが年上か分からない会話だなーと思いながら、私と塁君は貴族棟に入り特別クラスに向かった。周囲に誰もいないのを見渡して、塁君が思わずツッコむ。
「園芸家さん園芸家さんて、名前知らへんのかい!!」
「レオは特別クラスの薔薇園専属の臨時職員だもんね。一般クラスの生徒とは関わりないからね」
「一般クラスで誰かが鉢倒した時、一度レオに助けてもろただけやろ。なんで十二歳のいたいけな少年があいつの愚痴り相手にされとんねん」
「まぁまぁ、アリスも踏んだり蹴ったりで愚痴りたくもなるよ。それにしても、レオといつの間にか仲良くなってた割に、名前は知らないんだね。あはは、アリスらしい」
「まさか兄さんやのうてレオにあの薔薇やろうとするとは……。今朝は廃人モード以来、初めて挨拶攻撃も無かったし。ま、その方がええけど」
アリスの朝の挨拶攻撃は既に日常の風景だっただけに、今朝はいなくて驚いた。塁君にクリスティアン殿下はもう無理だと言われて諦めてしまったのだろうか。
……ま、まぁ確かに私も無理だと思うけど。ローランドも、ヴィンセントも、ブラッドも無理だと思うけど。ジュリアンも、ゼインも、多分無理だと思うけど。あ、全員じゃないか!
「ルイ、エミリー、一時間ぶりだね」
教室に到着すると、王城で朝食をとった時ぶりにクリスティアン殿下にお会いした。
クリスティアン殿下は毎朝グレイスとユージェニーを一年の特別クラスまで送ってくる。日に日に二人の令嬢の瞳は熱を帯び、クリスティアン殿下も二人にとても優しい表情で対応する。
だけど私は気付いてしまった。同じように接していても、グレイスをエスコートしてきた時に、ほんの少しだけクリスティアン殿下が手を離すのが遅いことを。
どちらもとても素敵なご令嬢だけど、グレイスの皆をまとめる気質は王妃に向いていると思う。品評会の後のお茶会で、気持ちが沈んでいた皆に明るくケーキの話をし始めた時に思ったのだ。
勿論ユージェニーも令嬢の中の令嬢で文句のつけようがないんだけど、クリスティアン殿下が選ぶのはグレイスなのではないかと予想している。
「それじゃあまた昼食の時に」
「はい、お待ちしております」
「ありがとうございました、クリスティアン殿下」
うっとりと頬を染めて見送る二人に、クリスティアン殿下は美しく微笑んで手を振った。
◇◇◇
「セリーナ、ここしばらく体調が悪いことが多いようだが」
「大神官様、平気ですわ。ジュリアンがずっと付きっきりで看病してくれますし、体調が良い日もありますから」
「そうか? 聖女の力を自分自身に使うことを神は責めはしないであろう。どうか自分に使っておくれ」
「少しの力でも自分ではなく民のためにこそ使いたいのです」
「なんと尊い心がけだ。しかしお前が元気でいてこそ救われる民も多い。何より私も幼いお前が元気でいてくれると安心するのだよ。早く元気になって欲しいのだ」
「ご心配おかけして申し訳ありません。すぐに良くなりますから」
大神官は三年前ハートリー領を出た私を快く迎えてくれた。ゲーム内でも天涯孤独になったジュリアンを大切に育てていたから、ここなら安全に身を隠して暮らしていけると知っていた。
多忙な中でも時折こうして私の元を訪ねてきて、本当の孫のように大切に思われているのが伝わってくる。ゲームのジュリアンが純粋無垢に成長していた理由がよく分かる。現実のジュリアンも清廉だけれど、ゲームより少し色気があるように感じるのは気のせいかしら。
私にお気に入りのメイクをやめるよう言ってきたのも大神官だった。年寄りだから子供らしいのが好きなのだ。絶対にメイクをした方がイケてるのに。神殿トップの存在に言われ、拒否できずに今も仕方なく言うことを聞いている。品評会で華々しく姿を現す時、本当はビシッとメイクをしたかった。より鮮烈な印象を残せたのに。
「ジュリアン、今日は少し体調がいいから街に出るわ」
「はい。それでは昼食の後に時間を作りましょう」
「ありがとう。すぐ出かけられるよう準備をしておくわ」
今日は久々に街へ行こう。大神官も今朝寄ったのだから今日はもう来ない筈だ。ジュリアンと一緒だし美しい私を見せたい。ならばメイクをしてジュリアンとデートだ。
久々に施したメイクに私は満足した。目も大きく見えるし、意志が強く華やかな印象になる。
「お食事をお持ちしました」
昼食のワゴンを押してきたジュリアンが私を見る。どう? 美しくて驚いたかしら。メイク姿を見せるのは初めてだものね。
「お化粧をされると大人びて見えますね」
「ふふ、そうよね。だってジュリアンと出かけるのですもの。大人に見られたいわ」
崇拝するだけじゃなく、女としても見て欲しい。
なのに昼食後、また私の体は言うことを聞かなくなる。おかしい。何故。
「セリーナ様、大丈夫ですか。本日の外出はやめておきましょう。どうかこのままお休み下さい」
「い、嫌よ! 出かけるの!」
「明日はもっとお体の調子も良いかもしれません」
「嫌! 今日行くって楽しみにしてたのに! ……うっ!」
「セリーナ様、こちらの容器をお使い下さい」
最悪だ。よりによってジュリアンの前で嘔吐してしまった。何故こんなことに。
……昼食を食べてから急に吐き気がした。何か悪いものが入っていたのでは? 材料は何だった? 食中毒を起こすようなものがあった? 火が通っていないものは?
考えようとするけれど、気持ち悪さでそれどころではない。
「うぇっ……!」
結局その日はベッドから起き上がることは出来なかった。




