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57.ラボノート

 今、農作物イベントの種明かしと、数ヵ月後に起こる国民の疫病イベントに関して執務室でミーティングをしている。


 私は当事者になり得るからと同席しているけれど、理解力が足りずに苦戦しているところだ。毎回本当に難しい。


 テーブルの中央に置かれた紙に、塁君が花と葉っぱの絵を描いて説明してくれているのを、私と同志ブラッドは口を真一文字に結んで聞いている。



「植物にはフロリゲンという花成ホルモンがある。まずフロリゲンであるFTタンパク質が葉で合成され、茎頂部まで篩管を通って移動する。そこでFDタンパク質と合体し、核内でさらに複合体を作る。これがDNAに結合して花芽形成遺伝子の転写を活性化し、花芽を形成させるんだ。このFTタンパク質をコードしているのがFT遺伝子だ。フロリゲンの量を人工的に変化させることで、一年に一度しか咲かない花を季節ごとに年に四度開花させたり、逆に何年も開花させずに実をつけさせないということも出来る」


 葉っぱの上にある丸で囲まれたFTマークが、茎の先端に異動する様子を矢印で描いてくれている。なるほど。こんなに長距離移動しちゃうんだね。そこだけは分かった。


「セリーナはフロリゲンを抑制することで作物が芽吹かないようにした。だが今回魔法を取り消し、更にFT遺伝子を活性化することで一気に芽吹かせたんだ」


 塁君の右手には芽吹いた人参の種がある。


「セリーナの魔法の残滓は確認済みだ」


 ローランドとヴィンセントも頷いている。


「それにしても植物関係は得意分野と見えて手が込んでいますね。薔薇といい、今回といい」

「次回の疫病イベントも手が込んでるかもしれないぞ」


 ローランドの言葉に反応して、塁君は紙の束を取り出した。


「ジュリアンから届いたセリーナのラボノートの写しだ」


 ジュ、ジュリアン? 王家の諜報員の? 神殿に忍び込んだのだろうか?


「神官として今は神殿に、というかセリーナに仕えている」

「えっ!」


 まさかここに来て本来の神官姿が仮の姿になるとは。


「ジュリアンが神官として神殿に現れても、セリーナは疑問に思わないだろう?」

「確かに」

「相当気に入られてるようだ」

「麗しいもんね……」

「エ、エミリー」


 またしても塁君がちょっとショックを受けた顔をしたけれど、客観的意見であって推しは塁君なので気にしないで欲しい。


「このラボノートによると、セリーナは18番染色体まで実験済みだ」


 全員が眉根を寄せた。


 疫病イベントでセリーナを華々しく見せるためだけに実験対象にされた人々がいる。罪のない人々の苦しみを思うとセリーナに沸々と怒りが湧く。


「ハートリー領から始まって、巡礼に行く先々で実験していたようだ。日付と焼いた染色体の大体の部位が書かれている」


 テーブルの中央に広げられたその写しに皆が目を奪われた。そこには染色体と思われる図が描かれていて、18番までの数十ヵ所に丸が付いていた。そしてその中の二ヵ所に二重丸が。


「セリーナは染色体の場所も大体しか分かっていないからざっくりだが、丸の付いている場所が今まで焼いてみた部位だろう。二重丸の二ヵ所は数ヵ月後の疫病イベントで作り出す疾患の候補として考えている部位だと思う」

「2番染色体の長腕と8番染色体の短腕ですね」


 ローランドが二重丸の部位を見て訝しむ。


「2q34は道化師様魚鱗癬のABCA12遺伝子、8p12-p11.2はウェルナー症候群のWRN遺伝子ではありませんでしたか」

「その通りだ」


 聞きなれない病名だけど、ローランドの調査書に確かにあった気がする。最初に見た時も症状が重くて辛い気持ちになったのだ。


「魚の鱗のように皮膚の表面が乾燥して硬くなり、剥がれ落ちる『魚鱗癬』という疾患がある。その中でも最重症なのが道化師様魚鱗癬だ。皮膚の深い亀裂、眼瞼外反、口唇の突出・開口が特徴的で、皮膚の脂質輸送に関係するABCA12遺伝子の変異によって引き起こされる。出生時が一番重篤度が高く死ぬことも多い。角質の亀裂が道化師の服の模様に似てるという理由で道化師様魚鱗癬と呼ばれている。三十万人に一人の割合だ」


 症状を聞いてますますセリーナへの怒りが止まらない。


「それを実験された人がいたんだよね?」

「ああ、ローランドの調査では大人で似た症状の者がいた。皮膚症状だけだが、角質を落とすことと保湿の知識が無かったため皮膚の亀裂が酷く、関節が強張っていた」

「エミリー嬢、報告書の患者達は既に全員遺伝子治療済みですからご安心を」

「そ、そうなんだ! 良かったぁ!」


 心の底からホッとした。ハートリー領で1番染色体から始めたのが約三年前。2番染色体ならその次の筈。三年近く苦しい思いをしただけでも本当にお気の毒だ。セリーナには猛省して謝罪行脚して欲しい。


 塁君はもう一つの遺伝子疾患についても説明を始めた。


「ウェルナー症候群は早老症の1つで、思春期を過ぎた頃から低身長、低体重、白髪、皮膚の硬化・萎縮、かすれ声など早いスピードで老化する。若年性白内障など老化に伴う老人性疾患も合併し、40代50代で悪性腫瘍や動脈硬化で命を落とすことも多い」


 ヴィンセントが不愉快そうに顔を顰めて吐き捨てた。


「この二つを選んだのは、誰が見ても一目で重い病気だと分かり、かつ直ぐに死ぬわけじゃないから、自分が聖女の奇跡を見せる時に派手に分かりやすく出来るようにってことだよねぇ?」

「醜悪な考えですね。聖女が聞いて呆れる」


 ローランドも眼鏡をクイッと正し、低い声でボソッと呟いた。


「兄さんに右手を治してみせると誓ったそうだな」

「ああ、私には分かると言っていたね。ルイのために隠しているのだろうと。治す力を得るまで何年でも祈りを捧げて力を鍛えるそうだよ」

「兄さんのお人好しに付け込もうって作戦だな」

「ふふ、僕もそこまでお人好しではないんだよ。一応健気な聖女を相手にしているように振る舞っておいたけれどね」

「そもそも怪我してないしな」

「ルイのおかげだね」

「いや、怪我させないのが当たり前なんだ」


 いつも穏やかなクリスティアン殿下は話す口調は穏やかではあるものの、その瞳には静かで冷たい怒りが宿っていた。







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