42.聖女は誰だ
アリスの予想通り、最優秀賞はその少女の薔薇だった。
会場からは割れんばかりの拍手が飛び交う。審査員達も出品者達も皆その少女を取り囲み、惜しみない賛辞を贈っている。
あまりにもその青い薔薇が抜きんでていたという理由で最優秀賞以下は選ばれなかった。アリスの薔薇は何も評価されず、審査は早々に終了した。
アリスは茫然としながらも、『何かおかしい。何とかしなくちゃ。聖女は私。ヒロインは私』と頭の中で必死に繰り返した。
そんな時、同じ会場の端で枯れかかっている薔薇が数鉢、アリスの視界に入ってきた。出品した園芸家達は『会場に納品するまで元気に咲いていたのに、さっき急に萎れた』と戸惑っている。審査が終わったとはいえ、まだ一般公開があり大勢の人達の目に触れるのだ。今日のために丹精込めて育てた薔薇の様子に、園芸家達は大きなショックを受けていた。
『そ、そうだ! この薔薇を甦らせれば私の光の魔法に注目が集まるよね。ゲームでもそうだったじゃん。この会場には観客も審査員もいっぱいいるもん。薔薇が賞を獲れなくても、私が聖女なんだって印象を残す!』
アリスはそう考えて、嘆く園芸家達に駆け寄った。
「私が復活させてあげます!」
「え? どうやって」
アリスは薔薇の鉢の前で手を組み、祈りを捧げるように光の魔法を施した。アリスの体から放たれる金色のキラキラとした粒子が薔薇に降りかかる。
枯れていた薔薇は四鉢あり、アリスの魔法で元気を取り戻したのは三鉢だった。その三人の園芸家達は『おお! 聖なる力だ!』と騒ぎ始めた。周りにも『聖なる力だって?』と人が集まりだす。
「わ、私の薔薇もどうかお願いします!」
魔法の効果が表れなかった薔薇の出品者がアリスに懇願すると、アリスは『勿論です!』ともう一度胸の前で手を組んで光の魔法を発動した。今度はその一鉢だけに金色の粒子が集中して降り注ぐ。
周囲の観客から『なんと美しい光景だ』『もしや聖女様なのか』とほぉっと溜息が漏れた。
アリスはその言葉に手応えを感じ、閉じていた薄茶色の瞳をゆっくり開けた。しかし目に飛び込んできたのは、何も変わらず萎れたままの哀れな薔薇。
『なんで? 学園では倒れた鉢の薔薇全部元気になったのに!』
「……私の薔薇には効かないのですか?」
出品者は肩を落として呟く。
アリスは焦りながら何度も何度も魔法を発動させた。しかし結果は変わらない。周囲の人々は三鉢救ったことよりも、その一鉢を救えないことにガッカリし散って行こうとしていた。
その時にまた聞こえてきたあの少女の声。最優秀賞受賞の神官の少女。『ヒロインは私』と言い放ったあの少女。
「あら、その薔薇には貴女の光の魔法は効かないのですか?」
「あなた……」
「本当に聖女なのかしら」
アリスは背筋が寒くなるような、自分の存在が全否定されるような不安を感じた。
「では私が救って差し上げましょう」
少女が枯れかかった薔薇の前で手を組むと、アリスのような光の粒子も何も現れはしないものの、薔薇は衆人環視の中でみるみるうちに活力を取り戻していった。
しばらくすると元の美しい瑞々しい薔薇に戻り、周りの人間は息を吞んだ。
「せ、聖女様だ」
「あっちの子みたいに派手な演出は無いが、現実に薔薇を救ったのはこちらの神官様だ」
「聖女様が現れた!」
放心状態のアリスの隣で、少女が深く被っていたフードを脱ぐと、輝くブロンドに緑の瞳の美少女が現れた。
「お集りの皆様、本日は私の薔薇を褒めて下さってありがとうございました。私は神殿におります。この国で聖なる力が必要な際は、神殿でお祈りを捧げて下さいませ」
会場にいた観衆全てが神の御業を見たかのように歓喜し、高揚して拍手喝采を贈った。
◇◇◇
私達はあれからずっと、保護魔法が五重にかけられたこの場所で、動かず周りの様子をじっと窺っていた。
隣の会場がいつまでも沸き返っているのがここまで聞こえてくる。どうやら隣の会場の薔薇が満場一致で最優秀賞に決まったようだ。どう考えても、それは先程皆が称えていた青い薔薇なのだろう。
ということはシナリオが変わった。
アリスはあちらの会場に行ったきり戻ってこない。少し心配だけど私達はここから動けない。
観客たちが徐々にこちらの会場にも戻ってきた。だが皆薔薇を見るよりも話に夢中だ。
『それにしても凄かった』『聖女様が現れるなんて我が国も安泰だなぁ!』『王子のどちらかのお妃になれば良いなぁ!』『それなら第一王子殿下だろう』『まだご婚約されてないからなぁ』『これはちょうどよいのではないか』
聖女。勿論アリスのことだと私は少しも疑わなかった。きっとアリスは隣の会場で光の魔法を使ってみせたのだろう。
ゲームでは確かに品評会でヒロインが祈りを捧げ、枯れかかった薔薇を復活させる設定だ。聖女の力を目の当たりにした人々はヒロインを神聖視し、攻略対象者達もヒロインを特別な目で見始めるというイベントで、アリスはこの日を待ちに待っていたもんね。
アリスは賞を逃したけれど、聖女としての登場は達成できたのだと私は思っていた。しかも当初の予定通り、クリスティアン殿下に相応しいとまで噂されるなんてすごい手腕だと。
だけど、その噂話を耳にして傷つく人がいるのを私は知っている。人々の口さがない噂話に、グレイスとユージェニーの表情が曇るのが視界に飛び込む。あぁ、辛いな……。
その時、クリスティアン殿下が一歩踏み出し、噂話で盛り上がる人々に声をかけた。
「君達、それは僕の話かな」
「あっ! えっ!? 第一王子殿下!?」
「い、いらっしゃったのですか!?」
「僕は自分の婚約者は自分で決めるよ。心配ありがとう」
「も、申し訳ございませんでした……」
「無責任なことを言ってしまいました……」
クリスティアン殿下はにっこりと彼らに微笑んだ。まさか第一王子本人が会場にいると思わなかった彼らは、目の前にいる偉大な国王の後継者に委縮して小さくなってしまった。
「分かってくれたらいいんだ。僕だけが聞いていたなら構わないけれど、僕の婚約者候補の大切な女性達が聞いていたからね。心無い言葉に傷ついてしまうだろう?」
「は、はい! 仰る通りです!」
「ご令嬢方、申し訳ございませんでした!」
「今のはほんの戯言でございます! どうか忘れて下さい!」
私達女性陣に向かって何度も深くお辞儀をし、彼らは急いで会場を出て行った。
クリスティアン殿下はいつも穏やかで、まるで麗らかな春の空のような方だけど、微笑みながらも言うことは言うのだと惚れ惚れしてしまった。勿論グレイスとユージェニーは私以上に頬を染めていて、ときめいているのが一目で分かる。可愛い。
「ルイ殿下、最優秀賞受賞者は青い薔薇を出品した神官のようです」
様子を見に行ったローランドが戻ってきて報告した。
「付き添いの神官達とまもなく会場を出るようです。今少し警戒致しましょう」
「ああ」
妹に会いたいという気持ちよりも、どうか何事も無く、誰に危害を加えることもなく神殿へ帰って欲しいという気持ちが勝つ。私の大事な人達に、最愛の人に、何もしないで。
遠くの会場の出口からぞろぞろと出て行く神官服の集団が見える。その中に一人、白いローブの小柄な少女がいた。そよ風になびく私と同じブロンドの長い髪。
ドクン。
私の鼓動が大きな音で全身に反響する。
ドクン。
少女は一瞬だけこちらに振り返り、私と同じ色の緑の瞳で私を見た。
セリーナ。
今日はおかしな化粧はしていない。私が見慣れていた素顔の妹。だからこそ余計に姉としての感情が蘇る。元気だったの? 今は幸せなの?
だけどそんな私の感情とは裏腹に、セリーナはパクパクと口を動かした。
『ヒ・ロ・イ・ン・は・わ・た・し』
そのままその一行は、その日私達に危害を加えることはなく去って行った。




