40.品評会は目前に
「やっぱり神殿関連やったなぁ」
塁君は驚きもせずに伝書用紙を眺めていた。
「分かってたの?」
「いや、王家の諜報員が足取り掴めへんってことは、神殿関連しかないやろなって思うてた」
セリーナが姿を消してからもうすぐ三年になる。王家の諜報員達なら、国内は勿論、外国にいたとしても何か掴んでいただろう。しかもあの時セリーナはまだ八歳だった。
『見聞を広めるために信頼出来る方と各国を見て回る』
本当だったらとっくに居場所も、その信頼できる方とやらも特定していた筈。
ゲーム内ではヒロインは聖女として認められると神殿に所属し、光の魔法で奉仕活動をする。そして平民のヒロインは聖なる乙女・王国の光という高貴な存在として王子とも釣り合いの取れる立場になり、晴れて攻略対象者達と結ばれる。
「王家でも神殿のことは分からないの?」
「別に対立してるわけちゃうで。ただあっちはあっちで歴史ある確固たる存在やからな。お互い踏み込み過ぎんようしてんねん。うちの諜報員達もそこはやり過ぎんよう気ぃ付けとる。そやかて神殿の中間層くらいやったら何でも暴いてくんねんけど、何も出てこんかったいうことはセリーナはもっと奥深くに隠れてきたんやろな」
セリーナは神殿の奥深くで何をしていたんだろう。薔薇の品評会で姿を現すだろうか。もし会ってしまったら、また私を狙ってくるだろうか――――
塁君の保護魔法がかかったアクセサリーを身に着けているとはいえ、遺伝子を焼くようなセリーナに不安は消えない。
「えみりは品評会当日俺から離れたらあかんで」
「うん。絶対離れない」
「俺が絶対守るから安心してな」
他の誰のどんな言葉よりも、塁君のその言葉が私を一番安心させてくれる。でも、どうか何も起こりませんように。塁君が危ない目に合いませんように。
◇◇◇
薔薇の品評会に向けて頑張ると決めたあの日から、アリスは我が家に来ていない。朝の校門挨拶も本当に挨拶だけになり、やれば出来るじゃんと見直した。
攻略対象者四人も拍子抜けしたようで、朝の学園はすっかり平和になった。
休み時間、皆は婚約者と共に薔薇園でイチャイチャ過ごすことが習慣化しつつある。クリスティアン殿下もグレイスとユージェニーの水やりを手伝っていて微笑ましい。どっちを選ぶのかな、と思うとき、選ばれなかったどちらかの気持ちを想像して胸が痛む。
「グレイス、重くないかい?」
「だ、大丈夫ですわ! クリスティアン殿下にお手伝いして頂くなんて恐縮です! あっ!」
グレイスが慌て過ぎて、水がクリスティアン殿下の足元にかかってしまった。
「も、申し訳ございません! どうしましょう、今従者に靴を用意させます!」
「いいよいいよ。これくらいすぐに乾くから」
グレイスは涙ぐんで必死にハンカチで拭いている。
「こんなことくらいで泣かないで」
「わ、私、殿下に相応しくないのでは……!」
「えっ、本当に気にしないでいいのに。君が辞退してしまうのは悲しいな」
「そ、それって……」
グレイスは頬を赤らめてポーッとしている。可愛い。
「兄さんもなかなかやるやないか」
離れたところで私と一緒に観察していた塁君が感心して呟いた。
次にユージェニーの水やりを手伝いに行ったクリスティアン殿下は、ユージェニーが如雨露を持つ手に自分の手を添えた。その途端ユージェニーが『はぁっ!』と驚いて体を強張らせたのでまたもや水がパシャッと撥ねて、今度はユージェニーのスカートの裾を濡らしてしまった。
「あ、僕のせいだね。ごめんね、僕が拭こう」
「いえ! いいえ! 殿下にそのようなこと! 私の失敗ですから!!」
クリスティアン殿下がスカートの裾を拭こうと膝を折ったことで、ユージェニーは大慌てでハンカチを持つクリスティアン殿下の手を押さえた。
「あっ! も、申し訳ございません! つい!」
ますます慌てたユージェニーは手を放してアワアワしていた。可愛い。
グレイスもユージェニーも、ゲームでは気高く美しく堂々たる風格だったけれど、今現在すぐそこにいる二人は好きな相手にときめく普通の女の子だ。
「いいんだよ。手くらいいつでも握って。それにスカートも僕のせいだから拭かせてね」
クリスティアン殿下は王家の刺繍が入ったハンカチでユージェニーのスカートの裾を優雅に拭き始めた。その優しい微笑みとスマートな仕草があまりにキラキラ王子様でスチルのようである。
「えみり、見惚れてへん?」
「あ、ちょっとだけ。えへへ」
「くっ、確かに兄さんはかっこええからな」
「私にとっては塁君が一番かっこいいよ」
「……マジで。もっかい言うて」
「あ、アリスだ」
「……あいつはいっつもいっつも邪魔しよるな」
特別クラスの薔薇園の入り口でアリスが中を覗いていた。アリスは私達ではなくレオを手招きして呼んでいる。気付いたレオはアリスと一緒に一般クラスの薔薇園に走って行った。
「何やろ」
「一般クラスで何かあったのかな」
塁君と二人で一般クラスの薔薇園を覗くと、生徒の一人が鉢を倒してしまったようで、何鉢かを巻き込んでちょっとした惨事になっていた。
「どうしようどうしよう、品評会があるのに。皆ごめんなさいごめんなさい」
倒したと思われる女生徒が動転して泣いている。
「大丈夫、今特別クラスの園芸家さん呼んできたから! 直し方聞いて皆で直そう!」
アリスがその子の背中をバンバン叩いて励ましている。そういえばアリスは攻略対象者を追いかけてばかりで一般クラスにほとんど居なかったけれど、最近はめっきり大人しくしているからクラスメイトと仲良くなれたのかもしれない。
「鉢は割れてないのでこぼれた土を戻して支柱を立てましょう。足りない分の土は今お持ちしますね」
レオが薔薇園の倉庫に走って行った。
「ほら大丈夫だから。ちょっとくらい薔薇の元気がなくても私が光魔法で元通りにしてあげる。だから全然心配いらないって」
「ア、アリスさん……」
周りの生徒達も『手伝うよ』と口々に言って集まってきた。
「アリス、元気そうにしててよかったね」
「まぁ俺ルートにさえ来なければええわ」
「絶対来そうにないね」
「めちゃめちゃ嫌われとる思う」
二人で顔を見合わせて思わず爆笑した。あんなにヒロイン回避作戦を立ててたのに、今となっては第二王子はヒロイン・アリスの天敵状態。
「俺はえみりにだけ嫌われなければええねん」
「私は塁君大好きだよ」
「ぅっ!!?」
「もう一回言う?」
「う、うん!」
「私は塁君が大好きです」
「あかん、苦しい、心臓痛い。またキュン死や……」
塁君は心臓の辺りを押さえて苦しそうにしている。苦しそうでもかっこいいから凄い。
「る、塁君は?」
いつも言ってくれるけど何回でも聞きたくて、はしたなくも自分から催促のように聞いてみた。
「俺もえみり大好き! めっちゃ好き! 宇宙一好き!」
ここで焦らしたりしないで剛速球で返してくれるのが塁君だ。
「えへへ、両想い嬉しいな」
「うわぁー……なんやねん、可愛いどないしよ。婚約者が俺を殺しにかかっとる」
「し、死なないでね! 私のためにもう二度と死んだりしちゃダメだよ」
ずっと思っていたことがついポロッと口から零れてしまった。ずっと気になっていた。付き合ってもいなかった私のために死んでしまった前世の塁君。今の私は婚約者だから、また何かあったら塁君は私のために命を差し出すんじゃないかと心配になる。
品評会でセリーナが現れるかもしれない。私は狙われている可能性があるから、守ろうとした塁君が危険な目に合うんじゃないかと不安で仕方ない。
「死なへん」
塁君は不安な私の頭を優しく撫でながら言ってくれた。
「俺らは長生きしてよぼよぼなってから手ぇ繋いで一緒に笑て死のうや」
大好きな婚約者は美しいマリンブルーの瞳を細めてふわりと微笑み、私をギューッと抱きしめて安心させてくれた。




