29.アリスはめげない
あのアリスは羽音ちゃんなのだろうか? 第二王子のフルネームは国民なら皆知っている筈。羽音ちゃんなら名前で第二王子は彼氏の塁君だって気付くよね? それに逆ハールートなんて狙わないよね? じゃあ羽音ちゃんじゃないのかな? 私は少しの希望を持った。
入学式が終わって教室へ移動すると、私と塁君は同じ特別クラスだった。アリスは平民なので一般クラスで少しホッとする。
ちょっとだけ怖いのはグレイス嬢とユージェニー嬢も同じ特別クラスで、二人がピリピリした空気を醸し出していること。クリスティアン殿下が一学年上で良かった。同じクラスなら争奪戦で大変だったかもしれない。
私と塁君は座席も隣同士で、学園側が王子に配慮してくれてる気がする。
「これから毎日エミリーの隣で授業を受けるのが楽しみだ」
キラキラの笑顔で爆イケ王子が微笑んでいる。
「わ、私もです」
思わず薄目で返事をした。眩し過ぎるから直視したら視力が低下しそう。
「これから私達は毎日ルイ殿下の溺愛を見せつけられる羽目になるんですね」
ローランドがやれやれと両手を上に向けて首を振る。そう言う割には自分もネクタイをアメリア嬢と交換している上に、タイピンまでアメリア嬢の瞳の色石を使っている。
お茶会で趣味が悪いと言われていたアメリア嬢のカフリンクスだけど、タイピンはなかなか素敵だと思う。
「まぁ見てて微笑ましいし、側近としては殿下の精神が安定しててくれた方が何かと助かります」
ヴィンセントが私に向かってウィンクした。
「ヴィンス、今エミリーにウインクしなかったか」
「余裕の無い男は嫌われますよ」
「嫌われたりなんて……」
「一ヵ月も避けられてたのに?」
「さ、避けられてない! エミリーは幻の食材探しに行っていたんだ!」
「あんなに落ち込んでたくせに」
「余計なこと言うな」
肩を震わせて笑いを堪えているヴィンセントの頭に塁君がチョップしている。私が避けていたせいで塁君が落ち込んでいたなんて思わなかった。なんかごめん。私もいっぱいいっぱいだった。無心になるために本当に食材探しには行った。嘘っぽいけど本当に行った。頑張って幻のブドウエビを手に入れて冷凍してあるから今度塁君に食べさせてあげよう。
「婚約者と毎日会えるのは、勉学や鍛錬の励みになりますし良い事です」
ブラッドが塁君の肩をポンポンと叩いてチョップする手をやんわり押さえる。
「皆さん仲がよろしくて見ていて楽しいですわね」
ブラッドの婚約者のレジーナ嬢が私に声をかけてくれた。
「そうですね、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、エミリー様。どうかレジーナとお呼びになって下さい」
「あ、わ、私のこともエミリーと呼んで下さい」
「私達も仲間に入れて下さいませ」
「フローラです。よろしくお願いします」
「アメリアですわ。どうぞよろしくお願いしますわ」
悪役令嬢達含め、貴族令嬢とは一切交流を持ってこなかったけれど、皆ゲームと違って穏やかそうにニコニコしていて驚いた。これは攻略対象者達と良い関係を築いているからだろうか。いいな、両想いで幸せなキラキラ女子。可愛いな。
アリスがここにいる誰かの婚約者ルートに入ったら、こんなに幸せそうな女の子が嫉妬で意地悪になってしまうんだろうか。
意地悪には絶対参加する気はないけれど、でも彼女達が傷つくのも壊れていくのも見たくない。好きな人が他の子の元に行く辛さ、私は知ってる。
どうか、クリスティアン殿下単独ルートで悪役令嬢不在で落ち着きますように……。
◇◇◇
帰りの馬車に向かう途中、アリスが校門の手前でウロウロしているのが見えた。こんなのゲームには無かった。入学式当日はもうイベントは無い。
明日からは朝の挨拶を毎日繰り返して好感度を地道に上げたり、アイテムを集めたり、イベントをこなして好感度が上がったら屋敷を訪問したりするけれど、今日はもう何も無いと思って油断していた。
「エミリー、こっち」
塁君が私の袖を引いて柱の陰に隠れた。
「アリスがいるから少し待とう」
ちゃんと気付いていて回避してくれた。あのまま歩いて行って声をかけられたらと思うと胃がキュッとする。
柱の陰から見ていると、最初に通りかかったブラッドにアリスが声をかけている。塁君が魔法で会話を聞こえるようにしてくれた。空気の粘性がとか、音の減衰がとか言ってたけどさっぱり分からない。とにかく離れていてもよく聞こえる。
『ブラッド様、初めまして。私アリスと言います』
『……初めまして。俺に何か?』
『今朝会えなかったので挨拶したくて』
『今朝?』
『本当は今朝職員室の前で、私達会える筈でした』
ブラッドは『????』という表情で困惑している。少し離れたところでレジーナが心配そうに見ていてこっちがハラハラしてしまう。
「何言ってるんだあいつ。あれじゃただの不審者だ」
塁君が呆れたように呟いた。確かに今朝職員室に行っていないブラッドにとっては謎過ぎる主張だろう。
『よく分からないが俺は婚約者を送っていくから失礼する』
そう言ってブラッドは真っ直ぐレジーナに向きなおり、振り返ることなく立ち去った。
「今のでお互いときめくとか無いよね?」
「少なくともブラッドは無いだろうな」
柱の陰でこそこそ話している私達の耳にアリスの独り言が聞こえてきた。
『おかしいなぁ。やっぱり転びそうになれば支えてくれるかなぁ。明日にでもわざとぶつかってみようかな』
怖い。男の子を落としに来るってこういう感じなのか。塁君にこんな風に狙いを定められたらどうしよう。私がビビっていると今度はヴィンセントがフローラの腰を抱いて校門に差し掛かった。
『ヴィンセント様、初めまして。私アリスと言います』
『どうも』
『今朝ベンチでうたた寝してなかったのでご挨拶に来ました』
『なんの話?』
『今朝本当はヴィンセント様はベンチでうたた寝してる筈でした。私は体調が悪いのかと心配してお声をかける筈だったんです』
『……とりあえず眠くもないし体調も悪くないよ。では失礼』
フローラが不安そうにヴィンセントとアリスを交互に見ている。ああ、胸が苦しい。その不安、すごい分かる。一晩語り明かせそう。
『おかしいなぁ。ヴィンセントの体を心配しないといけないから、ヴィンセントにもわざとぶつかってみる? 私よりあなたは大丈夫ですかーみたいな感じで』
怖い。隣にフローラがいて思いきり腰を抱いているのに全く眼中に無い。奪う気満々だ。
次にローランドが一人で校門へ向かうのが見える。
『ローランド様、初めまして。私アリスと言います』
『初めまして』
『今朝は階段でローランド様に会えなかったので挨拶したくて声をかけました』
『階段は毎日使うことになると思いますが、何故今朝限定なのですか?』
『今朝本当はローランド様が階段でプリントを落とすんです。それを私が拾って私達出会うんですよ』
『結果的に落とさなかったので意味の無い話ですね。それでは失礼します』
『待って下さい。私、あなたがいつもお父様の期待に応えるために努力してるの知ってます。頑張ってますね』
『ありがとうございます。では』
ローランドは無表情で校門を出て行った。
『今のちょっといい感じじゃない? ローランドは偉大なお父さんの背中を追いかけてストレス抱えてるから、認めてあげるといいんだよね。うふ、次はルイ王子かな。クリスティアン王子は二年だから来ないよね』
ゾッとした。間違いなく逆ハールート狙いだ。塁君も狙われてる。桜の木の下で出会わなかったから代わりにどんな出会いをする気だろう。羽音ちゃんじゃなくても塁君を狙われるのは怖い。
クリスティアン殿下は二年生だからまだ授業がある。今アリスが校門前で待っているのは間違いなく塁君なのだろう。私の心臓がキュッとする。
「エミリー、裏口から出よう」
「う、うん。そうする……」
裏口から出ると、風魔法で伝令を受けた御者が裏口に馬車を付けてくれていた。
馬車の中でも私は不安で何も言葉を発することが出来なかった。




