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23.羽鳥えみり②

 片思いは苦しいけれど楽しくて、顔を見れたらそれだけで幸せだった。


 今日もいっぱい愛情を込めてクロックムッシュを焼く。耳まで美味しいように丁寧にベシャメルソースとチーズを挟もう、一番美味しい色の時に取り出そう、今日のメッセージは『YOU'LL BE ALRIGHT』『あなたなら大丈夫』にしよう。メッセージを入れ始めてもう半年が過ぎていた。



 バイトに入って一ヵ月の有栖羽音(ありすはのん)ちゃんは明るくて都会的な女の子。東京ではこんなにオシャレな子と普通に同じお店でバイトしたりなんてことがあるんだなぁ。


『えみりちゃんって彼氏とかいるの?』

『えっ、いないいない!』


 羽音ちゃんは恋バナが大好きで色んな子に同じ質問をしている。そこに私とバイトを始めた時期が一緒の女の子が話に加わった。


『えみりんは大好きな人がいるんだよね~』

『そうなんだ! 教えて教えて!』

『や、やだ言わない』

『誰かは私も知らないんだけど、時々何か思い出して一人でニヤニヤしてたり悶絶しててえみりん可愛いんだよ~』

『えみりちゃんピュアピュアだねぇ』


 こんなところで彼のことがバレたら冷やかされかねない。彼にも迷惑をかけるから絶対バレないようにしなくちゃ、と思っていたのが失敗だった。


『羽音ちゃんは?』

『私は今募集中♪』

『この間火曜日のお客さんがイケてるって騒いでたでしょ』

『だってあの人かっこよくない?』

『えみりんは厨房にいて知らないだろうけど、いつも火曜に来てクロックムッシュ頼むお客さんが爆イケなんだよー!』

『そうそう! 私明日声かけちゃおうかなぁ』


 それを言われたのが昨日の月曜日。


 今日は火曜日、そろそろ彼が来る時間。私の気は重い。でも私に出来るのはいつも通り美味しくクロックムッシュを焼いて提供することだけ。その日のメッセージは『I HOPE IT'S DELICIOUS』『美味しいといいな』。いやおかしいよね。でも昨日あんなことを聞いたら何も思いつかなくて。


 私はその日、彼の食べる姿を厨房から見ることも出来なかった。片思いの苦しさを初めて本当の意味で理解した。


 バイトが終わりスタッフルームで大学に行く準備をしていると、羽音ちゃんが『えへへ~、メッセージアプリのID渡しちゃった♡』と言ってきた。


 私は胸がギュウッとなったけれど、何を言う権利もないので『そっか、きっと連絡くるよ』なんて返事をした。


 きっと本当に連絡は来る。羽音ちゃんは可愛いしオシャレで男の子達は連れて歩きたいと思う筈。私だって男だったら羽音ちゃんと付き合いたいと思うもん。


 その日は大学でも元気が出なくて友達に心配されてしまった。こんなことでバイトに行くのが気が重くなっている私は本当にポンコツだ。


 次の日、羽音ちゃんはニッコニコで現れて『火曜のイケメンのお客さんから昨日の夜連絡もらっちゃった!』と報告してきた。


「そっかぁ、良かったねぇ!」

「ありがと~! 週末遊園地に誘っちゃった♡ お泊りとかなっちゃうかなぁ。キャー♡」


 何とか笑顔を作って祝福した。


 いつも友人に彼氏が出来ると同じように祝福してきた。今回も同じようにすればいい。でも友人が自分の好きな人とうまくいくのってこんなに辛いって分かった。


 馬鹿だなぁ私。本当にいつまでも初心者で、両想いに憧れてばかりの夢子ちゃん。でも何ヵ月かかっても私にはIDを渡すなんてきっと出来ない。だから仕方ない。


 羽音ちゃんは他のバイトの子達にもキャッキャと幸せそうに報告していて、両想いになるとこんなに女の子は嬉しくてキラキラ可愛いんだなぁと眩しく見ていた。


 心の何処かで『なんで彼を知ったばかりの羽音ちゃんなの』って思ってしまう自分が嫌。片思い期間の長さで選ばれる権利が得られる訳じゃない。分かってる。ちゃんと勇気を出してIDを渡した羽音ちゃんに恋の神様が微笑んだんだよね。仕方ないよ。私には勇気が無かったんだから。偉いよ羽音ちゃん。


 次の火曜に彼が来店した途端、羽音ちゃんが彼の元に飛んで行く。そうだよね、もう彼氏彼女なんだから。以前メッセージに微笑んでくれた彼を見て、少しは脈があるんじゃないかなんて勘違いしてた自分が今となっては恥ずかしい。


 私がいつまでもおかしな気持ちを込めたメッセージを送るのも、彼女の立場からしたら嫌だよね。そう思ってその日からメッセージを『GOOD MORNING』に戻した。その日は厨房から顔を出すことも出来なかった。


 その次の火曜も彼が来ると羽音ちゃんは飛んで行く。厨房にも羽音ちゃんのキャッキャした声が響く。店長が後で私語を慎むよう注意していたけれど、恋する女の子だもん、仕方ないよ店長。


 彼は変わらずクロックムッシュを注文してくれる。もう半年以上週一で食べてくれてるけれど飽きないのかな。もう注文に喜んだりしない方がいい。他のお客さんに作るように、今日もいいことがありますように、とだけ念を込めて作ろう。でも羽音ちゃんの声が聞こえると気持ちが乱れてしまっていけない。辛い気持ちで作ったら美味しく出来ないかもしれない。ダメだ私。


 次の月から私は朝のシフトを外れた。朝派の私には向いていたけど、夕方からのシフトに変更してもらった。火曜になっても夕方なら彼に会うこともない。羽音ちゃんともシフトがかぶらない。淡々と過ごそう。きっとまたいつか誰かを好きになれるよ。


 大学の講義が終わってバイトに向かう時間、暑くて暑くて何だか具合が悪い。東京の夏は北海道出身の私にはきつくて、特に夕方は一番ムワッとしてる気がする。慣れない体温超えの気温に汗が止まらない。視界もグラグラしておかしいから店長に電話して休ませてもらうことにした。


 最寄り駅のホームで電車を待っている間も立っているのが辛い。電車座れたらいいなぁと思って何とか立っていたら、誰かに思いきりぶつかられてしまった。


『邪魔よ!』と怒鳴る声がする。『すみません』と謝りたかったけど、声も出ないまま私はふらふらと押された方向へ転びそうになった。脚に力が入らなくて、膝がふにゃふにゃで止まれない。


 まずい、こっちは線路だ。この駅にホームドアは無い。落ちる。もうすぐ電車が入るのに。


 落ちる瞬間、『えみりちゃん!』と男の人の声が聞こえた。知らない声。誰だか確認も出来ないまま、私は落ちて頭を打ち意識を失った。








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