217.未来へ続いていく
あっちからもこっちからも、『ルイ殿下、念願叶って良かったですね!』『一週間だなんてラブラブですね♪』『初恋が実りましたね☆』『あらあらまぁまぁ♡』みたいな声と共に生温か~い視線が飛んでくる。
塁君は何故かいつも以上に堂々としていて、一瞬見習おうかと思ったけど私にはやっぱり無理だった。だって恥ずかしい! ものすごく! 予想以上に皆にバレてる! うわぁぁぁぁ!!!
あまりの恥ずかしさに誰の顔もまともに見れない私に侍従さんは言う。
「我々のように長く王城に勤めている使用人は、ルイ殿下が四歳の頃からエミリー様に恋をしているのを見守ってまいりましたから。お二人がやっと結ばれて一週間も仲睦まじくお籠りになっていれば、それは一同喜びと感動で胸が熱くなるというものなのです」
フォローなんだろうか。追い打ちをかけられた気もする。
遠巻きにお祝いオーラを出している皆とは違って、ずばり直球で斬り込んでくる人がいた。
「エミリーちゃん、腰とか股関節大丈夫? 光魔法かけてあげるね」
「アリス、オブラート!!」
「えぇ? じゃあ、ルイ殿下に抱き潰されて辛いとこあったら言って下さいね~。みたいな?」
「全然包まれてない! オブラート破けて全部こぼれてるよ!!」
アリスは前世から恋バナも開けっぴろげで、スタッフルームでも色んな話してたっけ……。
でも光魔法の金色の粒子が私に降り注いだ途端、一瞬で体が楽になったのは事実。やっぱり聖女はすごいな。シナリオが終わっても、やっぱりアリスは聖女としてこの国を護っていくのだろう。
「アリスは王城の診療所に勤務しながら医学院に通うんだっけ」
「そう。見習いだけど結構お給料もいいし、医学院も目と鼻の先だし、講義ある日は学業優先させてもらえるの。しかもレオと同じお城勤めなんて好条件過ぎて詐欺を疑うレベルだよ。今日挨拶に来たらエミリーちゃんの噂を聞いちゃって、あちこち大丈夫かなって様子見に来たわけ」
この一週間。私の身の回りのお世話は全て塁君がしてくれた。食事は元々部屋の前に準備しておくよう指示を出していたらしく、お腹が空いた頃合いで塁君がワゴンを運んできて、ベッドの上の私にあーんして毎食食べさせてくれていた。入浴も、お肌や髪のお手入れも、リリーから前もって教えてもらっていたらしい塁君が、それはもう丁寧に入念にお手入れしてくれたのだ。
だから一週間部屋に籠りきりだったのに私のお肌はツルスベ。だけど納得いかないのが、私以上に塁君のお肌がトゥルントゥルンなことだ。特別なことなんかしてなかったのに。
「アリス来てたのか」
一週間ぶりに執務をこなしてきた塁君が休憩時間に戻ってきた。
「わー、ルイ殿下ツヤツヤ。そんなにたくさんしたんだ。流石ビンビンの十八歳」
思わず紅茶を吹き出す私に、塁君がすかさずハンカチを差し出して私の背中をさすってくれる。
「それを言うならピチピチの十八歳だ……」
「あっ、そうじゃん! ヤバ! アハハ!」
皆さんご存知の通り……うちの聖女は振る舞いは全く聖女らしくないんだけど、でも人を救おうと努力し続ける姿も、迷うことなく何処にでも駆けつけて人々を救う姿も、ゲーム以上に尊い聖女だと私は思っている。
そしていつか、その弛まぬ努力で必ず遺伝子疾患も治せるようになるだろう。
だって聖女の師匠は誰より努力する頭脳明晰の天才王子なんだから。
「春期休暇中の宿題は終わったのか」
「は、半分は終わってますよぉ……。でも春休みはまだ一週間残ってるんだから半分もやってればいい方だと思う! ちゃんと減数分裂についても何となく分かってきたの私! 今に遺伝学もマスターした死角無しのスーパー聖女様になるんだからね!」
「へー」
全く信じて無さそうな声で塁君がスルーした。
「DNAとRNAで塩基が違う利点は?」
「ぇっ、ぇぇぇ???」
「……まさか塩基が違うことも知らなかったりしないよな?」
「まさか! それは知ってますー! DNAがTだけど、RNAではUです!」
「Cが脱アミノ化すると何になる?」
「……U?」
「疑問形にするな……。ではDNAの塩基にTではなくUが使われていたらどうなる?」
「RNAと同じ塩基になります!」
「……おい。DNAの塩基にUが使われていた場合、修復酵素がCの脱アミノ化で出来たUを元のCに戻そうとする時、どのUを戻せばいいのか分からなくなるんだ。本来C‐Gの塩基対が脱アミノ化でU‐Gになってしまった部分で、UではなくGを取り除くというエラーが起こる可能性が出てくる。つまり遺伝情報を永久保存する役目を持つDNAの機能が果たせなくなる。だがUでなはくTが使われていれば、存在するUを修復すればいいと分かる。確実にDNAを修復するためにも塩基の違いは合理的なんだ」
「へ、へぇ~~」
聞いてる私もチンプンカンプンだけど、アリスはそろそろ分かってた方がいい気もする。頑張れアリス。負けるなアリス。
「TはUを元に作られているから、合成と分解が頻繁なRNAではUを用いた方がエネルギー的に有利ということもある」
「へ、へぇ~~」
「いつ死角無しになるんだ!」
「すみません! だいぶ先ですぅ!!」
アリスは此処に居ちゃヤバいとばかりにそそくさと帰って行った。
「だいぶ先かもしれないけど、確実に来る未来だと私は思うな」
「俺もそう思う」
二人で手を繋ぎながら紅茶を飲む。五年前のあのティーパーティーの時には考えられなかった今のこの状況。
「あのね、これからは塁君のこと殿下って呼んだ方がいい? でもいつかは公爵閣下だよね? そ、それとも旦那様……とか?」
「うっ!! ヤバい! 旦那様ヤバい!!」
だって一週間経って部屋からやっと出た途端、リリーまで私のことを妃殿下って呼ぶから、私も立場を考えなきゃいけないのかなって思ったんだ。
胸を押さえて頬を赤らめた塁君は、私の耳元にそっと顔を近付けてきた。吐息がかかるだけでまだ私はドキドキしてしまう。
「ずーっと塁君でええよ」
リリー達に聞こえないように話しかけてきた内緒話は関西弁。
五年前、白薔薇の庭園で初めて日本語で話したあの時、『塁君でええよ』と言ってくれた時と同じキラキラの笑顔で微笑む私の愛する旦那様。
これからもずっとずっと一緒に生きて、そして一緒に手を繋いで笑って死のう。
そしてその後もきっと、私達の遺伝子も、意志も信念も、何もかも未来へ続いていく。この『十字架の国のアリス~王国の光~』を基にした、現実の世界で。
◇◇◇
「ねぇねぇベサニー。こっちの風魔法、僕がやってもいい?」
「ジーン殿下、そっちは国外の分ですので念のため私がやりますよ」
「僕出来るよ」
「存じておりますけど、一応私はこのお仕事でお給料を頂いておりますのでね。それより新しい色鉛筆の試作品が出来たようですよ。ジーン殿下が調合した美しいアイスブルーの色鉛筆です」
「わぁ! 僕行ってくる!」
ルイ王子とエミリー王子妃が結婚してから二年後、国中から祝福され生まれてきたジーン王子は、母であるエミリー王子妃が創設したハートリー商会に遊びに来るのが大好きだった。
三歳のジーン王子は、父であるルイ王子から受け継いだ天才的勘で、次々に新しい魔法や魔道具を創り出していた。
「ロビン! 色鉛筆出来たの?」
「はい。どうぞお試し下さい」
最近ジーン王子が調合した色鉛筆はアイスブルー。薄い色だから紙にうまく色が載るか、綺麗な色味が出るかがポイントだった。
「うわぁ! ええんちゃう!?」
「ジーン王子。また言葉が公用語じゃなくなられてますよ」
「あ。ごめんごめん。あんまり上手く出来たから」
「美しい色ですね。これは傑作です。ネオ君の瞳の色でしたね」
「それもあるんだけど、これはアウレリオとシンシアの赤ん坊の瞳の色だよ」
「お生まれになるまであと四ヵ月程もあるのに分かるのですか?」
「うん分かるよー! 僕夢の中に見に行ったから!」
父であるルイ王子の愛弟子でもあり親友でもある魔法使いネオは、六年前に出された特別で長い宿題をやり遂げていた。
「この色を入れて、『王子誕生記念限定パッケージ』売り出せばいいでしょ? リミテッドエディションっていうのもまた作ったらいいよね。僕母上に前聞いたことがあるんだ」
「四ヵ月前に教えていただけるなんて本当に助かります。ではアイスブルーの宝石を大量に仕入れておきましょう。ふふ、また大きな仕事になりますね」
ロビンとジーン王子が顔を見合わせてニッコリ微笑み合っていると、執務室のドアをノックする音。
「あ、サラ!」
「まぁ! ジーン殿下! 久々にお会いできて嬉しゅうございますー!」
「僕もー!」
サラは飛び付いてきたジーン王子を抱き締めてクルクルとその場で回り、王子のキャッキャと言う可愛い笑い声を楽しんだ。
「王立看護学院が開設して二ヵ月経ったが調子はどうだ?」
「順調です! エミリー妃殿下の通信教育のおかげで、どの生徒も読み書きは完璧ですから! 毎日新しい知識を学んでキラキラしてますよ! やりがいがあって私も毎日楽しいです!」
「そうかそれは良かったな。そうだ、ジーン殿下がお持ち下さったエミリー様お手製のタルトがあるぞ。食べて行きなさい」
ロビンはサラの卒業パーティーでパートナーを務めたが、二人の関係は相変わらずだった。
「ロビンは相変わらず母親ポジションか」
「あ! ゼインー!」
「おう、ジーン殿下。今日もお元気で何よりです」
「ぶらーんしてー!」
「どうぞ」
ゼインの二の腕にぶら下がるのもジーン王子は大好きだった。
「俺も父親ポジションのままだな」
「そうですよお頭。ふふっ、父の顔になってます」
「畏れ多いが息子みたいに可愛いんだよ」
「ゼイン様ぁ!」
「げっ!」
そして定期的に訪れるゼインがベサニーに付き纏われる日常風景もジーン王子は大好きだった。
「ベサニーの分、僕風魔法やっちゃうねー!」
「あぁっ! いけませんジーン殿下ー!」
いつもこう言うと慌てたベサニーが追いかけてきて、じゃあ烏になって見せてというと変化の術で美しい烏になってくれる。ジーン王子は見よう見まねで三歳にして変化の術を会得していた。
「僕も出来るよー!」
「あぁっ! いけません! 絶対お外でやっちゃいけませんよ! 怖ーい人や動物がいるんですからね!」
「はーい!」
お外じゃなきゃいいのだと、ジーン王子が商会内をパタパタ飛びまわる。するとすかさずふわりと捕まえてくるのはジュリアンだ。
「落ちたりぶつかったらお怪我をなさいますよ」
「ジュリアーン! このままお城に帰ろー! 僕母上に見せたい! 皆集まってー! 帰るよー! 僕は父上みたいに諜報員置いて転移したりしないからね!」
サッと集まった諜報員は五名も居た。
「ロビン。ここの天井裏補強しとけよ」
「もうしてあります」
転移した先は第二王子宮、ルイ王子とエミリー王子妃の夫婦の居室だった。そこには並んで紅茶を楽しむルイ王子とエミリー王子妃。側に控える第二王子宮の侍従長と侍女長であるエリオットとリリー夫妻が居た。
「わっ、ジーン!」
「ただいまぁー!」
場所を瞬時に察した諜報員達が慌てて消えていく。そして消えながら『失礼しましたルイ殿下、エミリー妃殿下! ジーン殿下、次からはせめて廊下でお願いします!』というお願いが聞こえてくる。
「僕、烏さん」
「可愛いねぇ。でも危ないから絶対父上と母上がいないとこでやっちゃダメだよ」
「はぁい」
「ジーンは三歳にして変化の術を使いながら魔法陣無しの転移魔法を使えるんだな」
元の姿に戻ったジーン王子は、得意げに胸を反らす。
「ええ子やって褒めてもええねんで!」
ルイ王子とエミリー王子妃は、二人同時に両側から愛する我が子を抱き締める。そして両頬に左右からキスをする。
「いい子!」
「ええ子や!」
「さすが塁君の子!」
「さすがえみりの子!」
ジーン王子は大満足の笑顔でまんまるほっぺをもっちり上げて言う。
「そらぜーんぶ遺伝やもん!!」
二人の首に短い腕を回し、二代目天才少年は左右にチュッチュとキスを返した。
自分と同じマリンブルーの瞳をした父と、自分と同じ金色の髪の母。一番大好きな二人から受け継いだその色は、勿論ジーン王子の大のお気に入り。
味の好みも遺伝して、一番大好きな料理は母が作ったクロックムッシュ。
かくしてジーン王子は毎日幸せに包まれてすくすく育っていく。
――この愛に満たされた世界で。
クルス王国はこの先も、軍事大国、経済大国なだけではなく、高い教育水準、最先端の医療レベルを持つ豊かな超大国として長く繁栄を続けることになる。
そこには一人の天才と、その夫を生涯支えた最愛の妻の存在があることは、クルス王国民なら誰もが知るところであり、子供達が使う教科書、医学生が使う医学書には、ぞれぞれ妻と夫の名前と肖像画が必ず掲載されるようになる日が来るのは、もう少し先のことである。
そして遺伝子疾患も治せる聖女が誕生するのも、もう少し先のことである。
これにて最終章も完結です。
最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
読んで下さった皆様に感謝申し上げます。
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