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209.ハートリー領から始めよう

 冬休みが始まって私はハートリー領に来ている。卒論で通信教育について書くと決めた私は、まずは領地の子供達に協力してもらおうと挨拶に来たのだ。


 家令のゴドフリーが用意してくれた領内の子供のリストを基に、一軒ずつ回って鉛筆と消しゴム、まずはお試しの簡単な問題を手渡していく。


 最初は〇や△をなぞり、迷路をなぞり、線を引くことに慣れさせる。鉛筆の扱いに慣れたら徐々に文字に移行する。見たことがあるような身近な文字、自分の名前、家族の名前。


 そして全10回分の問題に解答を提出して協力してくれた子供には、もれなく頑張ったで賞の色鉛筆プレゼントだ。元々領内の子供達には寄贈して回ろうと思っていたから丁度いい。



 次に向かうのはよく見慣れた大きな家。


「ネル!」

「エミリーお嬢様! またお綺麗になられましたね!」


 久しぶりに会ったネルはすっかり小麦農家を切り盛りする女将さんの風情だ。二人目の赤ちゃんが亡くなって五年、ネルには三人目の子が生まれていた。


「ぇ、ぇみいー」

「かっ、かわわ!!」


 まだ二歳にもならないその女の子は、たどたどしく私の名前を呼んでくれた。


「エミリーお嬢様、よ」

「えぇみい゛ぃ!」

「もう今日からえぇみい゛ぃでいいです」


 ネルは豪快にアハハッと笑って、『相変わらず子供好きですねぇ!』と私の背中をバンと叩く。


「そのうちエミリーお嬢様も、お可愛らしいお子様の母君になられますからね!」

「今から抱っこの練習させて」

「アハハハッ、どうぞどうぞ。光栄です!」


 何でもいいから理由を付けて小さい子を抱っこしたい私は、ここぞとばかりに小さなやわやわを堪能する。やっわやわでもっにもにだ……。もう! なんて可愛いんだ!


「エミリーお嬢様、鉛筆と消しゴムありがとうございます。僕お勉強頑張ります」


 そう言って私にぺこりと頭を下げるのは、ネルの一番上の子だ。五年前のあの日、ネルの七人の弟妹がおろおろと隣の部屋から顔を出していた時、部屋の奥で眠っているこの子がちらりと見えた。あの時まだ二歳になったばかりだった子が、今はもう七歳のお兄ちゃん。日本で言えば小学校一年生。厳しいけれど優しいネルに躾けられて、とっても礼儀正しい良い子に育っている。


「あ、あの。これ、僕の名前ですよね?」


 一人一人の年齢に合わせて作った教材。配布時に分かりやすいよう、右上に小さく名前を入れておいた。この子の名前はフィル。


「そうよ。最後のページには練習用に大きく書く欄があるからね。もう読めるなんてすごいね」

「あの、あの、他の家族の名前も教えてもらえますか」

「うん、いいよ。じゃあ新しい紙に書くね」


 新しく紙を出して順番に名前を書いていく。ネルのお父様、お母様、ネル、ご主人、そして私に抱っこされているのはパールちゃん。ネルは自分と同じように、最後が『ル』になる名前を子供達に付けている。


「さぁ、出来た」

「……あ、あの。ニールって字も教えて下さい」


 ネルが切なそうな表情をしてフィル君の肩に手を載せた。これは、あの亡くなった赤ちゃんの名前。領地に戻る度、私も家族も小さなお墓にお花を手向けに行っている。いつも綺麗にされているあのお墓に刻まれた名前はニールだった。


「すみませんエミリーお嬢様。お気付きの通り、五年前に天に召されたあの子の名前です。パールが生まれてから、フィルは特にあの子がいたことを忘れないようにしているようで」

「だって、僕はまだ小さかったから、僕だけニールのこと全然覚えていなくて、パールとの思い出は毎日増えていくのに、そんなのニールが可哀想だから。それにニールがいたことパールに教えるのは、お兄ちゃんの僕の役目だから」


 泣きそうなフィル君の肩をネルが優しく何度も撫でる。こうして今もニール君は家族の心の中にいるんだね。


 私は紙に『ニール』と書いて、フィル君に手渡した。





 ◇◇◇





 領地を回ったその日の夜から、次々と私の元に子供達の答案が届きだした。風魔法を付与したのであっという間に届いてくる。


「は、はや!」

「エミリーお嬢様、添削用の赤鉛筆はこちらに置いておきますね。でもあまり根を詰めずに早めに切り上げて下さいよ。教材作りでずっと寝不足なんですから。明日も明後日もきっと毎日答案は届きます。その日の分が終わるまで寝ずに作業してはキリがありません」


 心配したリリーはもう遅い時間なのにハーブティーを淹れてくれる。


「大丈夫大丈夫。リリーはもう下がっていいよ」

「本当に無理はなさらないで下さいね」

「しないよ~」


 信用してなさそうな表情で出て行ったリリーは正しい。そう、私は全部に目を通す気満々だ。だって子供達が私の卒論に協力してくれてるんだよ。色鉛筆が欲しいって理由だっていい。昼間家の手伝いや仕事がある子もいるのに、空いた時間で取り組んでくれている。しかも、枠外には親御さんから感謝のメッセージや、子供が描いたイラストがあったりするのだ。そして何より感動するのは、一生懸命文字の練習をした跡が見られること。枠の外にまでたくさん練習してる子もいる。


 一人一人に合わせた甲斐があった。報われるってこんなに嬉しいものなんだね。


 結局私は夜明け近くまで添削し、新しい教材と共に第二便を発送した。





 ◇◇◇





「エミリー様、来年度の新規事業起ち上げに向けて、風魔法属性を持つ人材に募集をかけようと思っていたのですが……」


 出勤したばかりの私に、ロビンが微妙な表情で紙を一枚差し出してきた。


「かけようと思っていたけどどうしたの?」

「まだかけていないのに履歴書が届きました」


 差し出された紙を受け取ってよく見ると、そこにあった名前は『ベサニー』。


「な、なな何故!!」

「何故なんでしょう……」


 その履歴書によると、ベサニーさんは今現在も魔術師団に所属している。十年前に王都追放になんてなっていない。ベサニーさんの運命が変わっているのだ。


 ノックと共にドアが開き、入ってきたのはいつものメンバー。


「エミリー、その件についてヴィンスから説明があるそうだ」

「ご説明しますね」


 半笑いのヴィンセントが塁君の後ろからひょこっと顔を出し、私にパチンとウインクする。その途端に塁君がヴィンセントの顔面を掴む。


「痛い痛い痛い!」

「何故脊髄反射でウインクするんだ……この小童め」

「同い年でしょうよ!」

「ベサニーさんに何があったの?」


 何も気にせず切り込む私にローランドとブラッドが噴き出している。


「スルーですか」

「スルーがいいですよ」


 その言葉さえもスルーしてヴィンセントを『はよはよ』という目で見ていると、塁君の手から逃れたヴィンセントが経緯を説明してくれた。


「さすがうちの団員の中でも実力者と言うべきか、彼女はジーン殿下の魔法を知らないにも関わらず、何か異変は感じていたようです。その結果、入団して父上に会っても、前回関係があった男達に口説かれても、『もっと好みの男がいる筈だ』と恋に落ちなかったってことです。だから問題も起こしてませんし、王都追放にも当然なっていません。残念ながら幼い頃の僕にも求婚してません」


 言葉と違って全然残念そうじゃないのは、ヴィンセントもゲームと違ってフローラ一筋だから。ゲームの中なら喜んで今頃口説いてそうだけどね。というかゲームでは魔術師団長がとっくに手を出していたっけか……。ゴミだな。つくづくシナリオが変わって良かった。


「彼女は魔塔の監視員をしていたんですけど、収監された罪人の中にたまにゼインを恨んでる人間がいるんですよ。王都で悪さをしようとして、王都を牛耳るゼインのおこぼれに(あずか)ろうと近付いてくるわけです。そしたらまさかの王家の忠臣で捕まえられてしまうんだから、嵌められたってなるようで。彼女は監視員としてその頭の中の恨みを読むたびに、ゼインという名前に感情が揺さぶられるんだそうです」

「だそうです?」

「本人に聞いちゃいました」


 踏み込むね~と思っていると、言い訳するようにヴィンセントが顔の前で右手をパタパタしている。


「あ、あっちから声をかけてきたんですからね!? マルスとヴィーナの担当監視員に聞き取りをしている時に、俺の顔を見た彼女が走ってやってきて、貴方に既視感がある、黒い髪の男を知らないかって。一応黒髪の知り合いはたくさんいるってその時は誤魔化したんですよ。ですが先週捕まえた罪人がこの商会を襲おうとしてたらしくて、気付いたゼインが相当痛めつけたせいで恨みつらみがすごかったんでしょうね。彼女はそいつの頭の中を読んで、この商会とゼインの繋がりに気付いてしまったわけです。で、もう一度俺のとこに来て、如何にゼインという人物に惹かれてやまないか、まぁ小一時間くらい聞かされました」


 ちょっと待った。うちを襲おうとしてた罪人がいるってさらっと流したけど流せないから!


「う、うちって襲撃されそうだったの?」

「まぁ今や大商会ですからね。でも大丈夫。ここには保護魔法が何重にもかかってますから。武器は勿論、魔法も毒も防ぎますよ」


 いやいやいやいや。大丈夫じゃないよ。職員が外回りに行ってる時とか、通勤の時とか危ないんじゃないの? 職員の安全を守る義務が私にはある!


「エミリー、建物だけじゃなく、ここの職員全員に実は保護魔法がかかっている。それでだな、逆にそれが仇になってベサニーに見つかってしまったわけだ。どうやら街中でサラに会ったベサニーが、平民の少女に不自然なほど高度な保護魔法がかかっていることに気付き、頭の中を覗いたようでな……。サラは新規事業も、風魔法属性の魔力持ちを雇うことも楽しみにしてる。後は分かるな……」

「すごいよく分かった。誰も悪くないし、むしろこんな優秀な人来てもらっていいのかなって。魔術師団は困らない?」

「皆に転職する権利がありますからね。おかしな転職先じゃなければ父上は止めないと思いますよ。ここなら文句ないでしょう」


 というわけで、その日の午後顔を見せたゼインは愉快そうに笑いながら、『あいつなら国内だけじゃなく、国外に事業展開しても全ての風魔法付与を一人で楽々やり遂げるでしょう。ただし採用条件に、【頭の中を読まないこと】を足しておきましょう』とOKを出してくれた。


 ベサニーさんを無事に雇い入れるためにも、まずはハートリー領での通信教育を成功させなくちゃね。



 その日の夜、フィル君の答案に丸付けしながら、丁寧に何度も書かれた『ニール』の文字に、私は胸がいっぱいになってしまった。










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