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208.双子の最期

「毎日三冊ずつ本を差し入れ続けてもう随分経ちますが、まだ必要ですか」


『本当に読んでるのか』と弁護士が疑わし気な目で私を見てくる。言っとくけどちゃんと読んではいるからね。流し読みだけど。


 じっくり好みの話を見つけるためにこの量を頼んでるわけじゃない。どの世界が実在してるか分からないから、数撃ちゃ当たる作戦でとにかく異世界ものに目を通す日々なのだ。


 だけどこの人からしたら、私が一日三冊も読破してるなんて信じられないだろうね。だって底辺高校中退の私だから。ラノベだろうが何だろうが、『お前が本当に活字読むの?』と弁護士の目が語っている。


「当たり前じゃない。ちゃんとマルスにも同じの渡してくれてるよね?」

「ええ、言われた通りにしております」

「マルスは元気にしてるの?」


 相変わらず面会も手紙の返信も無い。あんなに憎くて負けたくなくて、でも一番近くにいたマルスが、今は生まれて初めてこんなに遠い。


「元気といえば元気ですね。毎日一心不乱にウイルスのことをネットで調べて勉強されてます。ご自宅にあった専門書も新たに買い直して揃えてますし、よほど研究に戻りたいのでしょう」


 弁護士は完全にマルスの味方で、マルスの優秀さの中に父の器を見出しているらしい。見た目は私の方が父に似てたっていうのに、中身が馬鹿で犯罪者だから父の権威を貶めたお荷物だと思ってそう。


「私が贈った本は読んでないの?」

「目は通されてるようです。情が厚い方なんでしょうね」


 何それ。異世界小説に目を通す理由がマルスの情が厚いから? 馬鹿にしてる。ウイルス学の方がずっと大事だって、マルスの時間を私が無駄にしてるって思ってる。分からない奴は分からなくていいわよ。マルスはきっと分かってるんだから。


 だって一心不乱にウイルスの勉強して小説にも目を通してるんでしょう? それって転生後を見据えてるに決まってる。


 もしも未知のウイルスのある世界に転生したら。逆に医療が遅れていて、私達が罹ったことがあるようなウイルスに滅ぼされる世界に転生したら。もしも魔法があって自分でウイルスを創れるような世界に転生したら。


 色々な可能性を考えて夢中になってるに違いない。


 私のメッセージにちゃんと気付いたんだね。





 ◇◇◇





 何故かウイルスの塩基配列まで気になって暗記する毎日。こんなもの、調べればいつだって文字で画面に表示されるのに、何故俺は暗記までしているのか。


 そう思うのに、俺の頭はまるでそれが当然であるかのように、四種の塩基の並びを延々と記憶していく。というよりも、記憶していたものを再確認するかのような作業。何故だ? 見るのは初めての筈なのに。


 Bウイルスの塩基配列を暗記している時、何故か胸の奥がチリチリと痛み、115,967塩基に差し掛かった瞬間、その痛みは増し胸をギュッと締め付ける。苦しい。何だ急に。何だこれは。


 149,959塩基からはその痛みが心地よくさえ感じられて、『もう忘れちゃいけない』と思いを新たにさせる。もう忘れちゃいけないって、暗記するのも初めてなのに何故そう思ったんだ?



「マルスさん、今日も熱心ですね」


 ヴィーナスの担当弁護士が毎日俺を訪ねに部屋に来る。景色が見事なタワマン上層階のこの部屋はこの人がオーナーで、衣食住全て不自由なくさせてもらってるのだから仕方ない。


「これはウイルスの遺伝情報ですか? あぁ、高校で少しやりましたね。理系分野は私は苦手で、はは。まさか暗記してるんですか?」

「…………」


 おかしいよな。こんなものを暗記する必要なんて無いのに、怪しまれるかな。


「流石ですねマルスさん。これは何万、何十万もあるんじゃないですか? 円周率とか暗記してる人っていますもんね。円周率は100兆桁まで判明してるらしいですけど、円周率の記憶のギネス記録は7万桁らしいです。マルスさんなら超えれるかもしれませんね」

「いや、俺なんかより凄い奴がいる」

「へぇ、そうなんですね。どなたですか?」

「……?」


 どなたって……本当に誰のことだ? 俺は今何故そんな言葉が自然と出てきたんだ?


 最近俺はおかしい。何か大事なことを忘れてる気がするが、何に関することなのかすら思い出せない。記憶力に自信がある俺が思い出せないなんて初めてだ。


 ただ、ヒントはあるような気がしている。ヴィーナスが弁護士に頼んで届けさせている小説の中に、『第二王子』という言葉が出てくると、何故かいつも動悸がするのだ。


 それが思い出せない何かに繋がるのではと推察してはいるものの、何十冊と目を通しても他にピンとくるものが無い。


 そして馬鹿みたいに転生について考えてしまう。


 もうバイオ関連の仕事には就けなくても、こうやってウイルスの情報を見ながら生きていったっていいじゃないか。ウイルス学は趣味として学べばいい。改名手続きをして、大学院に学び直しに行ってもいい。父の遺産で金はある。なのに、何故俺は死ぬことを考えてしまうんだ?


 ヴィーナスの妄想に引きずられてしまうと警戒していたのに、結局本にも目を通さずにいられないし、転生後に必要になる気がしてウイルスの塩基配列を暗記せずにいられない。俺はどうかしている。



「ヴィーナスさんは本だけじゃ足りずゲームもしたいようです。ゲームがきっかけで殺人未遂事件を起こしたというのに、反省が足りないと刑務官に受け取られかねませんね」


 ゲーム……そういえばヴィーナスは『死ぬ前に読んだ小説やゲームの世界に転生出来る可能性がある』と言っていた。なのに小説しか届かないのは自分がゲームが出来ないからか。


 そんなの俺には関係ないから、ゲームにも手を出してみるか。生まれ変わった先がヴィーナスと違うなら面倒ごとが減っていい。どうせ転生したってヴィーナスと一緒なら俺は搾取される側なんだから。


 こんな風に、まるで異世界転生が本当に実在するかように考えてしまう自分に、ハッと我に返って驚愕する。本当に俺はどうしたっていうんだ。小説もゲームも俺には必要ない。しっかりしろ。



 その夜、意に反して異世界に関するゲームを俺は次々と購入してしまった。その中でも何か感じたパッケージはまさかの乙女ゲームだ。


『十字架の国のアリス~王国の光~』


 俺はこんなゲームに興味は無い。乙女ゲームなんて見るのも初めてだ。なのにこの中央で祈るように腕を組むストロベリーブロンドのヒロインを見た瞬間、知っている相手のような気がしてしまった。たまたまネット広告か何かで見たのだろうか? そんなことも思い出せないのが逆に違和感すら感じる。


 そしてヒロインの後ろに銀色の髪の男が二人いた。その片方を見た時に、また激しく動悸がして冷や汗までが流れてきた。何なんだ一体。


 何かが引っかかり、攻略本もFD(ファンディスク)も購入してしまった。


 そして届いて開けた瞬間、FDの黒髪の男を見た俺に異変が現れた。惨めで、恥ずかしくて、寂しくて、胸が張り裂けそうに痛い。そんな感覚に襲われる。


 あれほど感情がフラットだった俺に何が起こってる?



 結局その日から俺は徹夜でこのゲームをやり続け、その銀髪の男が第二王子ルイだったこと、黒髪の男がゼインだったことを知る。


 記憶にないのに懐かしさを感じる街並み。アニメもゲームも興味ないのに聞いたことのある気がするキャラクター達の声。


 だけど違和感を感じるゲームの内容。第一王子は右腕に怪我? そうだったか? 第二王子の婚約者ユージェニー? いや何か違うような。神官のジュリアン? こんな笑顔なわけないし、何故全身黒い装束を着ていた気がするんだ? 犯罪者集団のリーダー・ゼイン? 頭の中は優しいって誰かが言っていたような。誰だ? 誰が言っていた? 胸が苦しい。


 きっと似たようなゲームの広告でも見たことがあるに違いない。そうじゃなきゃ説明がつかない。



 自分で自分の感情がコントロールできない。何故俺は女がやるゲームでこれほど感情が揺さぶられるんだ? 感情がフラットだった時は楽だった。こんなにいちいち動揺しなくて済んだから。ウイルスに感じる高揚感も心地よかった。


 だけどこのゲームに感じる雑多な感情は気分がいいものじゃない。だったらやらなければいい。捨てればいい。他の本もゲームもまだまだある。新しいものに移ろう。何度も何度もそう思うのに、俺はウイルスの研究とそのゲームに全ての時間を費やすようになった。


 そして自分で新しいウイルスを創るならどんなものにするか想定し、アポトーシスを引き起こすレトロウイルスを思いついた。関連遺伝子も暗記した。必要になる知識も全て頭に叩き込んだ。なのにどうしても失敗する気がするのは何故だ。



 結局俺は毎日、『そんな馬鹿な、どうかしている』『いや転生出来るかもしれない』の二つの考えのせめぎ合いの中に居て、とてもまともな精神状態ではいられず、ある夜ヴィーナスの妄想に乗ってしまった。



 そう、何かに追われるように、求められるように、ベランダから身を乗り出し、光の海に飛び込んだ。





 ◇◇◇





 その日はいつもと違う弁護士が面会に来た。顔色が悪く焦っている。同じ事務所の人らしいけど、あの弁護士に何かあったのだろうか。


「何? どうしたの?」

「佐藤さん、落ち着いて聞いて下さい。今日未明、マルスさんがお亡くなりになられました」



 ――――は?



「身を置いていたマンションから飛び降りたと見られています」



 自殺?


 じゃあ、転生するために? 私を置いて!?



「詳細が分かり次第また来ますので。どうかお気を確かに」



 心臓がギュッと掴まれるように苦しいけれど、泣き叫んで悲しんだりしない。だってまたすぐ会えるかもしれないじゃない。一時的な別れなだけよ。マルスだってそう信じてくれたんだよね?


 でも私に会いにも来ないまま、手紙も寄越さないまま勝手に先に死ぬなんて許せない。転生したら言ってやらなきゃ。



 私はその日の夜、刑務官の見回りが行ったのを確認した後、下着の布を裂いて紐状にしたものを排水管に繋いだ。


 急がなきゃ。マルスはきっともう転生している。私もすぐ行くからね。


 手製の紐を捩じりきつく首に巻き付け、見つからないよう掛布団で体を隠す。なるべく首が締まるように体重をかけると、今まで感じたことのない息苦しさに挫けそうになる。苦しい、苦しい、外して呼吸したい。でも。今見つかったら今後の監視が厳しくなってしまう。


 マルスに出来て、私に出来ないことなんてたくさんあったけれど、この転生プランは私の発案なんだから。私が遅れを取るなんて嫌だ。



 目の前が白くなった瞬間、頭の中に突然蘇る知らない男の声。




『魂は今回限りで消滅する』




 ――――!!!!



 ダメだ! 死んだら二度と生まれてこれない!! そうだ! そうだった!!



 こんな拘置所での生活なんて何も地獄じゃなかった。


 本当の地獄を私は知っていた。


 死ぬほどの苦しみと痛みが永遠に続くあの地獄を。


 忘れてた。忘れてた! あぁ、マルスに教えてあげなきゃ、死んだらダメだって。もう私達は消えるしかなくなったんだって。ああぁ、もう遅い。マルスはいない。


 どうしよう、忘れて私がマルスに死んで生まれ変わる提案をしてしまった。マルスは死ぬほどの人生では無かったのに。私だって、何年かでここを出られたのに。


 転生してやり直せるなんて甘く考えてた。遅かった。ここはゲームじゃない。リセット出来ない。もう遅い。マルスは今日死んでしまった。消えてしまったんだ。


 私の瞳から、両親が死んだ時も流れなかった涙が溢れてくる。私の双子の弟が、この世のどの世界からも消えてしまった。


 なのに私はまだ性懲りもなく、『だったら死ぬのを止めよう』なんて思ってしまって、紐を解こうと首に手を伸ばす。だけど絶対成功させようときつく巻き付けた紐は解けない。酸欠でもう手に力も入らず意識が遠のいていく。



 私も、消滅する時が来たんだ。




 私とマルスは同じ日の違う時間に、それぞれ別の場所で命を終えた。










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