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207.巻き戻った魂

 ある拘置所の面会室。私は分厚いアクリル板越しに弁護人と話している。


 ちゃんと聞かなきゃいけないのに、何だか頭がひどく混乱して集中できない。何か、大きな出来事があった気がするのに少しも思い出せない。



「佐藤さん、聞いていますか? 貴女は殺人罪、死体損壊罪、殺人未遂罪で立件されています。裁判では、学校での対人関係の問題で退学に追いやられ、それによって心身に不調をきたしたこと、ケアが必要だった時期にも、高齢の父親の入院と付き添いで母親も不在がちだったこと、優秀な双子の弟と比較されることで孤独感に苦しんできたこと、これを裁判官の心証に訴えて減刑を図りますが、それでも実刑で八年は覚悟しておいて下さい」



 あぁ、そうだった。



 ママを殺して処理したのがバレちゃったんだ。ママと全く連絡がつかないって誰かが通報したらしい。余計なことする奴もいるんだね。


 佐藤光にウイルス感染させられないまま私は逮捕されてしまった。何日も待っていたのに佐藤光は現れず、ウイルスを塗った有刺鉄線は効力を発揮できなかった。


 これじゃとてもじゃないけど収まりがつかない。せめてあいつが感染したのを見届けてからなら悔いなく捕まってやるのに。



「佐藤さん。聞いていますか」

「あ……」

「私は貴女の御父上に御恩があるので弁護を引き受けましたが、この裁判が終わったら一切の手を引かせてもらいます」

「弁護料は支払うんだから偉そうにしないで。ねえ、マルスが全然面会に来ないんだけど」

「マルスさんも不正にウイルスを入手しましたので感染症法違反で取り調べを受けてます。不幸中の幸いですが、ウイルスで被害者は出ませんでしたし、殺人にも死体損壊にもマルスさんは一切関与しておりませんでした。なので犯人蔵匿罪のみで起訴される見込みです。それもヴィーナスさん、貴女が名前を盾に取り、通報すれば犯罪者家族としてマルスさんまで社会的に死ぬと脅迫したからです。マルスさんは良くて免除、悪くて執行猶予付き判決になるのはまず間違いありません」

「ふーん」


 それは仕方ないって思ってる。確かに私が巻き込んだ。きっと会社だって辞めなきゃいけなくなっただろう。あんなに打ち込んでいたウイルスの仕事だったのに。


 だけどこのまま会社で働くより、マルスにとって何か楽しいライフワークみたいなものがあるような、私にとっても利益があるような、そんな何かがあるような気がするのに、その何かが分からない。


 忘れちゃいけないことだった筈なのに、忘れたのか、最初から知らないのか、その辺も曖昧でよく分からない。



「ねぇ、差し入れに本を持ってきて。異世界もの。同じものを二冊ずつ買って、マルスにも同じものを渡して。出来るだけたくさんね」

「一日三冊と決まってますので、その範囲でお持ちします」

「ゲームもしたいんだけど」

「ゲーム類は不可となります」

「スマホもケーキもダメでゲームもダメなの!?」


 あ~、ほんとに嫌だこんなとこ。


 仕方なく決まりを守ってはいるけれど、早寝早起きも性に合わないし、トイレは丸見えだし、差し入れしてもらった布団や毛布が無ければ夜は寒過ぎるし、売店で食べ物が買えるとはいえ私が食べたいものなんて無い。此処は不便で居心地が悪くて仕方ない。もう刑が確定した人達よりはずっとましだと言われたけれど、他の人なんてどうでもいい。何とかして此処から出たい。解放されたい。


 マルスに渡した大量の本で気付いてくれただろうか。私からのメッセージ。逮捕前に少しだけ話した転生の話。


 私はこんなとこに居なきゃいけなくて地獄だけど、マルスはせいぜい会社を辞めなきゃいけないくらいで、引っ越して目立たなければきっと快適に生きていける。だから転生なんて狙う必要は無いかもしれない。だけどどうしてかマルスは転生したがるような気がする。なんで確信があるのか分からないけれど。



 だけどその後もマルスは一向に面会に来ることはなく、手紙すらもくれなかった。





 ◇◇◇





 犯人蔵匿罪。だがヴィーナスが元々居住している家だったこと、脅迫まがいの発言があったこと、何より俺が親族だったことで、俺の罪は免除された。


 刑法第105条『犯人蔵匿罪、犯人隠避罪について、犯人・逃走者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除できる』と規定されているためだ。


 おかげで俺は留置所から出て、弁護士が用意してくれた部屋で過ごすことが出来ている。元の実家は犯行現場でもあるため、まだ規制線が張られているのだ。とは言っても捜査が終わったって二度と戻るつもりは無いが。


 会社もクビになり、この業界でブラックリストに載ったであろう俺は、二度とバイオ関連の職に就くことは出来ないだろう。


 時間を持て余してる俺の元に、ヴィーナスからだと山のように本が届く。冒険ものや恋愛もの、共通するのは全てファンタジー、異世界ものということだ。


 そういえば逮捕前にヴィーナスが、『死ぬ前に読んだ小説やゲームの世界に転生出来る可能性がある』なんて馬鹿げたことを言っていた。


 佐藤光にBウイルスを感染させるバイオ犯罪が成立していれば考えなくもなかったが、今の俺はただ姉に強要されてウイルスを不正入手した程度のケチな人間だ。用意していたペントバルビタールも押収されてしまったし、姉の真偽不明な妄想のために苦しんで死ねるか? 



 あぁ馬鹿馬鹿しい、と思うものの、頭の奥の奥で『転生したら魔法でウイルスを創り放題だ』という考えが浮かんでくる。俺までおかしくなったのか? 俺はリアリストな理系の人間だ。ヴィーナスの起こした面倒のせいで俺も精神的に追い詰められているのかもしれない。


 そう思った俺は悪影響を与えるヴィーナスとの接触を避けるため、面会も行かず手紙の一通すら書かなかった。





 ◇◇◇





 俺は朝早うから執務室で感染地域巡りの報告をしとった。そん時聞いたのは、魔塔に収監されとったマルスとヴィーナは跡形もなく消えたっちゅうことや。


「やっぱり最初から存在していなかった状況になってるね。例の魔法について知っていた魔塔監視員上層部だけが狼狽えていたみたいだけど、知らない監視員達は『そんな囚人は来ていない。担当した覚えはない』と言うばかりのようでね」


「記憶のある騎士団上層部も、昨日は二人の住んでいた借家とヴィーナの雑貨店に駆け込んだようですが、他の団員達が何故なのかと困惑しきりでした」


 ブラッドによると騎士団でも同じパニックが起こっとる。魔術師団に比べて魔法に慣れてへん騎士団からしたら、そりゃあパニックにもなるで。どっちの記憶が今現在の真実か分かるとしても、まぁ上からの説明が欲しいとこやろな。


「今日午前中、陛下が上層部に招集をかけておられるので、現場の混乱は今日中に落ち着くでしょう」


 徹夜で状況をまとめたらしいローランドの目の下には、うっすらクマが出来とった。



「ここで注目すべきは、今代限りで魂を消滅させる術を監視員が二人に使ってたってことです」


 ヴィンスの言葉に俺は二年前のセリーナの担当監視員の報告を思い出した。


 頭の中まで監視しとる魔塔の監視員。自分で作った複数の遺伝子疾患に罹患したセリーナは、あまりの苦痛と前世から続く自分自身の業の深さに、『どうか処刑されたら、もう二度と転生なんてしませんように』と、ただ消えることを願ったという。


 それに対して担当監視員が施したのが、今代限りで魂を消滅させる術や。


 それは罪人を救うためやない。また転生して悪させぇへんようにって理由や。この術をかけられた魂は、次に死んだ瞬間、全ての世界から存在が消滅する。もう二度とどの世界にも生まれ変わることは出来ひん。プランクトンやろうと、カビやろうと、何にもなれへんねん。



「で、マルスとヴィーナはこの世界に生まれてこなかったわけで、前世の死ぬ前まで巻き戻った状態なんだと思うんですよね」

「うん。そうなると術も無かったことになるのかな?」


 いや、そうはならへん。


 ジーンの魔法もそうであるように、夢や魂みたいな異世界にも通じて時間軸にも影響あるもんに魔法かける時は、その記憶があろうとなかろうと術だけは消えへん。知らず知らずにその術の効果の中に居んねん。


 ヴィンスも俺の考えと同じ返事を兄さんに返す。


「へぇ、それならもしあの二人がタイミングは違えど前回のように自死したら、その魂は消えて無くなってしまうんだね」

「サラの記憶ではヴィーナだけが逮捕されたらしい。今回は一緒に心中というのは無理だろうな」

「じゃあヴィーナは囚人として、マルスは一人で自由に生きていくのかな。どちらにしろ、もう誰もあの二人の犠牲にならないことを願うよ」



 兄さんの言葉で俺達は解散し、兄さんは父上と上層部の緊急会議に出席しに行った。ローランドは俺の報告を追加で書き足す言うて執務机に向かってペンを走らす。ブラッドは久々にゆっくり鍛錬するて訓練場に向かい、ヴィンスは悲劇が起きへんかったコリンズ村を見たいて魔術師団副団長と転移して行った。


 俺は勿論えみりんとこに向かう。


 今朝はクロックムッシュ作ってくれるて約束やねん。あぁ、久々やー。思い出すだけで唾液の分泌がえぐいことんなる。フワフワで熱々でトロッとしとって、ミルクの甘さとハムとチーズの塩気がジュワッと拡がんねん。パンも小麦の味がしっかりして、きめ細こうて滑らかで、全部のソースと具ぅ引き立てる逸品や。えみりのクロックムッシュはほんまにめっちゃ旨い。



「塁君おはよ~! 出来立て~!」

「おわっ! 出た! 至高の薄黄色いやつ!」



 その日のクロックムッシュもめちゃめちゃ旨くて、俺はもう早う卒業して普通の夫婦生活しとうてしゃーなくなってもうた。


 そりゃそうやん。最愛の妻やで。ニッコニコで俺の向かいでレモンソーダ飲んどる可愛い俺の妻。喉で炭酸パチパチしとんの無言で楽しんどんのバレとるからな? たまに炭酸きつくて『ふわぁ』みたいな顔になんねん。


 あ、なった。えみりの『ふわぁ』や。う、うあぁ……ごっつ可愛い! こいつ〜食べてまうで〜! まだ我慢やけど! 三ヵ月はお預けやけど! 俺偉すぎちゃう!?


『普通だね』言う兄さんの声が幻聴で聞こえた気ぃするけど知らん。俺は偉い。




 後三ヵ月後に迫った卒業パーティー。えみりのドレスがどんだけ出来とるか、夫である俺は侍従とリリーにこっそり確認することにした。



 卒業パーティーで、断罪も何も無く、俺はえみりと最初から最後まで踊んねん。揃いのフォーマルとドレスを身につけて、完璧なシナリオ脱出を遂げたる。



 ほんで晴れて俺らは夫婦やで!!










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