206.サラが救った命
次にやって来たのはダンとウォルトの村だった。以前はマルスとヴィーナの故郷でもあった村。
塁君は真っ先に診療所らしき建物を訪問し、出てきた医師に十年前に胃腸の風邪が流行ったかどうかを質問した。
その医師は几帳面に棚に並んだ診療記録から十年前の分を持ってくると、『特にそういった記録はありません』と答え、塁君の身なりを怪訝そうにチラチラと見る。
「……あの、失礼でなければ、お名前を伺っても……?」
「あぁ、これはすまなかった。俺はルイだ」
「ルイ、様……!? というと、まさか、第二王子殿下でいらっしゃいますか!?」
「ああ」
「な、なんと!! は、肺炎の薬を五歳でお創りになった、あのルイ殿下!!?」
名前を聞いた途端、医師はガクガク震え出し、慌てて跪いて平伏した。
「そんなことしなくていい。立ってくれ」
「あ、貴方様のおかげで……! 毎年何人もの犠牲者が出ていた肺の病で、死ぬ村人が出なくなったのです!! 医師として、これほど感謝すべきことはございません!!」
そういえばマルスの借家に潜入した時、酔ったダンがその薬の話をご機嫌で話していた。潜んでいた私はきっとインフルエンザのことかなって思っていたんだ。私はタミフルくらいしか知らないけれど、ジュリアンの故郷の件も聞いてるし、塁君なら有り得ると納得したんだよね。
「薬は足りているか?」
「はい! 王家から定期的に見回りが来て下さって、足りない分を補充して下さるのです! おかげさまで日々の診療でも物資が足りずに困ることはございません!」
「それなら良かった。ところでダンとウォルトが何処にいるか教えてもらえるだろうか」
「ダンとウォルトでございますか? あの二人はそこの大きな商店に品物を卸す仕事をしておりますので、そろそろ街から戻ってくる頃かと思います」
そう言って医師が指差した場所には、恐らく村で一番大きな商店があった。
「あそこはヴィーナの生家だ」
私とサラにだけ聞こえる小さな声で呟いた塁君は、私達を連れて躊躇いなくその商店のドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
真っ先に声をかけてきた店員は、マルスとよく似た美しい年配の女性だった。
王都から遠く離れた小さな村にあるにも関わらず、その商店は中規模の街と同じ位に品揃えがいい。ダンとウォルトが品物を卸す仕事をしてるって言ってたから、二人のおかげなのかなと思った時だった。
「ママァ」
店員の女性とよく似た可愛らしい黒髪の女の子が女性のスカートを引っ張っていた。
「ダンとウォルトまぁだ? 色鉛筆、今日も無い?」
「こ、これ。お客様の前ですよ。もう少しで来る時間だから、お店の奥でパパと待ってなさい」
奥をチラリと見ると、顔だけ出して手招きしている黒髪の男性がいる。
「マリリア、ママは仕事中だって言っただろ。こっちに来なさい」
どうやらこの女の子のお父さんで、この女性店員のご主人らしい。その男性の横から、栗色の髪とヘーゼルの瞳の大柄な男性が出てきて、女の子の頭を優しく撫でた。
「どうしたどうしたマリリア。ダンとウォルトはもうすぐ来るから、奥でお父さんとお菓子でも食べて待ってなさい」
「店長、すみません。どうしても色鉛筆が待ちきれないみたいで」
「いやいや、村の子供達は皆そうだ。何処に行っても個数制限があって手に入らないからな。毎日馬で数ヵ所回ってくれるダンとウォルトの手に入らないなら、うちの村で手に入る子はいないさ」
思わず謝りたくなる私とサラに、塁君はまた小声で言った。
「あれはヴィーナの父親だ。以前の記録ではマルスが栗色の髪とヘーゼルの瞳だったため、不貞を疑ったマルスの父親が家を出て行ったようだ。顔が似ているこの女性店員がマルスの母親だとすると、今回は夫婦円満のようだな」
私達の身なりを見て、上客だと思ったその店長は、丁寧に塁君に声をかけた。
「お客様失礼致しました。高貴な方達とお見受け致しますが、何か特別なものをお探しでしょうか?」
「店主か?」
「はい、私がこの店の店主でございます。何なりとお申し付け下さい」
「店主に子供はいるか?」
「私ですか? い、いえ、私達夫婦には子がおりませんで、隣に住む先程のマリリアを夫婦共々可愛がらせてもらっております。あの子の両親は共にうちの店で長く働いてくれておりますので、家族のようなものなのです。ひょっとしてお客様は子供向けのお品物をお探しですか?」
特に探してはいなかったけれど、『そうだな』と頷いた塁君は、『ここからここまで全部くれ』と子供向け商品の棚にあるぬいぐるみやおもちゃを大人買いし始めた。
「プレゼント用にしてもらえるか」
「勿論でございます!」
大量購入のため、奥にいた黒髪の男性まで出てきて、店員総出でラッピングをし始めた。サラは思わず『お手伝いします』と参戦していて、その手際の良さと仕上がりの美しさに店員さん達も店主も『おぉ~!』と感嘆の声をあげている。
ラッピングを待っている塁君と私の耳に、聞き覚えのある元気な声が聞こえてきた。
「こんばんはー! 今日の分の品物でーす!」
「来たぁ!」
裏口から入ってきたのは、見覚えのある人懐っこい笑顔のダンとウォルト。その脚には当然麻痺も何も無く、むしろ体付き全体が逞しくなっている。
マリリアちゃんが猛スピードでダンの脚にしがみ付く。
「ダンー、色鉛筆はぁ? 色鉛筆ぅ!」
「それがなぁー、今日は十ヵ所の店を回ったんだけどなぁー」
「ダン、意地悪するな」
「じゃぁーん!! 最後の店で手に入れましたー!!!!」
「きゃぁー!!」
ダンは懐から色鉛筆を四箱取り出して見せた。
「箱がな、全部違うデザインなんだよ。マリリアの好きなの選んでいいぞ」
「私このお花の!」
お花の色鉛筆の箱を抱いてクルクル回る姿が可愛らしい。こういうのを見ると、自分達のやってきたことが誰かを幸せにしているのだと、何よりのご褒美に感じる。
「ダン、ウォルト、毎日苦労させて悪かったな。残りの分はお前たちの弟妹を優先してあげなさい。またいつか手に入ったらうちに卸してくれ」
店長が二人を労ってかけた言葉を聞いて、私は思わず割り込んでしまった。
「あ、あの! その色鉛筆は販売元の商会に注文書を送れば、確実に入荷出来ますよ?」
「ええ、ですが夏頃問い合わせた時は納期が数ヵ月後で、それなら別の店から買おうかと思って出遅れてしまったんです」
「販売当初は予約が殺到してましたが、先月他国でも特別版が販売されたので、元々の製品は今は在庫に余裕がある筈ですよ」
「そうなんですか!? あぁ、では急いで注文しなければ」
ホッと胸をなでおろす私の肩に、塁君がトンと体をぶつけてきた。
「前回ダンとウォルトはエミリーの笑顔を見て赤面したと報告を受けたんだが」
「そうだっけ?」
「好みなんてあの双子が転生してなくてもそう変わらない筈だ。エミリー、ここで笑わないように」
何言ってんだ。
ちょっと引いていたら、品物を裏口から納品しているダンとウォルトがチラチラこっちを見ている。
「可愛いよなぁ」
「俺あんな子初めて見た……」
え、私? いやいや違うでしょうと周りを見渡してもこっちには私と塁君しかいない。
「ほら……言わんこっちゃない」
私を背に隠すように立つ塁君に気付いて、ダンとウォルトはバツが悪そうに納品書を置いて店を出て行った。窓から見える二人は器用に馬を操って、厩舎の方へ駆けて行く。その姿は健康体そのもの。
「お待たせしました。こちらが商品になります」
「手間をかけたな。釣りはいい」
大量の商品を自分の前に積み上げた塁君は、『いい品物を仕入れてくれた先程の若者達にも感謝する。彼らにも、この可愛い少女にも、これで旨いものでも食わせてやってくれ』と代金以上の金貨を店主に渡した。
恐縮して店員全員が整列する中、私達は積み上げられた商品と共にコリンズ村に転移した。
「第二王子殿下! お待ちしておりました!」
出稼ぎ労働者の男性が駆け寄ると、塁君は『子供達にお土産だ』とプレゼントの山を指差した。
困惑して手を伸ばせずにいる男性の肩をポンポンと叩くと、塁君は遠くで見ている村の子供達を手招きする。
「小さい子も大きい子もおいで。皆にプレゼントだ。お前達が元気で笑っていてくれること、何より嬉しく思う。これからも家族で支え合うんだぞ」
子供達がわぁっとダッシュして来るのを、大人達は失礼が無いように止めようとしてるけれど、秘境育ちの子供達の脚は大したもので、キュキュッと大人を躱してあっという間にプレゼントに辿り着く。
「いいの!?」
「勿論だ。皆で仲良く分けるんだぞ」
「うん!」
子供達がきゃあきゃあとプレゼントを開けるのを見ながら、男性は涙ぐんで何度も頭を下げた。
「こ、こんな良いものはこの村には無くて、行商もここまでは来ないもんですから。あいつらはあんなの見るのも生まれて初めてなんです。ありがとうございます、ありがとうございます!」
そうして家族にまた別れを告げた男性を連れて、私達は穀倉地帯まで転移した。
「最後はフィルポットの街に行く。ここは日本脳炎患者が四人出て、内二名が死亡した場所だ」
そういえばヴィーナはダンとウォルトの首に注射針を刺して、日本脳炎ウイルスに感染させたって話だった。その前に使ったのはフィルポットの街だったのか。
岩山の合間にあるその街は、鉱山で働く労働者や、旅人が多い街だった。もうだいぶ空も暗くなっているけれど、あちこちに大きな篝火が灯されて街はワイワイと賑わっている。
塁君はまた診療所を訪れて脳炎患者の有無を訊くと、やっぱりここでも患者は発生していなかった。
三人で賑わっているレストランに入ると、豪快なお料理やビールがどんどんテーブルに運ばれていく。労働で疲れ切った人々が英気を養いに来ているようで、汗と土と、お酒とお料理の匂いでむせ返るほどだ。ベスティアリ王国の屋台が並んでいた広場よりもっと泥臭いけれど、生命力とか活力とか、人間のそういうパワーが漲っている感じで私とサラは圧倒されていた。
だけど皆お料理にかぶりつき、ビールを呷り、いい顔をして仲間同士で盛り上がっている。
いつの間にか塁君がオーダーしていたお料理とビールが私達のテーブルに並ぶ。この国では十五歳からお酒OKだけど、私が口にするのはワインやシャンパンだったから、ビールを飲むのは今世で生まれて初めてだ。
「わぁ、乾杯!」
「い、いただきます」
私とサラはちびちびとビールを味わいながら、美味しそうな煮込み料理や卵料理に舌鼓を打った。
「サラ」
そんな中、塁君は輝くような笑顔でサラに声をかけた。優しい優しい、慈しむような声で。
「は、はい」
「今日見てきた全ての人々の笑顔も、命も、営みも、サラが救ったものだ。もう自分を責めるな。ジーンの誕生にマルスもヴィーナも一切の関係は無い。俺とエミリーは、あいつらとは関係なく出会い、愛し合い、夫婦になった。奴らが居ても居なくても、俺達は卒業後に結婚を公にし、近い将来ジーンを授かるだろう。もう何も心配しなくていい。サラが為したこの国の今の平穏に王家の一員として心から感謝する」
胸に手を当て目を瞑る塁君を見て、サラの瞳にはぶわっと涙がこみ上げてきた。
「も、勿体ないお言葉ですぅ、ぅぅっ」
「さぁ、好きなだけ食べて飲め。また明日からはいつもの日常だ」
私達は初めて食べる豪快なお料理をお腹いっぱい平らげて、結局ビールもジョッキ一杯飲み干してから商会の執務室に戻ったのだった。
そこにはまだお仕事中のロビンが居て、吹っ切れた笑顔の酔っ払いサラを見てホッと息をつく。私達全員に酔い覚ましのアイスティーを持ってきた後、サラを家まで送って行くロビンはお兄ちゃんなのかお母さんなのか。
「おかんやな」
「やっぱりそうかぁ~、へへ」
「えみり酔っとる。かわい」
酔った頭のままお城に帰った私達は、リリーと侍従さんにもアイスティーを淹れてもらって、『此処にもおかんが二人居んな』と笑い合った。




