203.サラが会いに行く相手
サラ目線です。
ルイ殿下が魔法陣を書いたスクロールを床に広げる。認識阻害をかけているのか、ジッと見ても今一つ文字が頭に入ってこない。
「魔法陣の中へ」
言われるがままに魔法陣の中央に立つと、ドッと緊張が押し寄せてくる。
前世の家族に十六年ぶりに会うからではない。この聞いた事もない奇想天外な魔法が、あらゆる可能性を秘めているからだ。
私はエミリー様にもルイ殿下にも、この商会の人達にも本当に感謝している。言葉にするとまだまだ足りなくて、安っぽさまで感じてしまうくらいの心からの感謝だ。
私に居場所を与えて下さった。私を必要だと言って下さった。仲間だと受け入れて下さった。将来への希望を与えて下さった。
それなのに、その恩人に私は嘘をついてしまった。
「サラ。これが迷路の地図だ。間違えないよう進めよ」
この後魔法陣に魔力を込めると、私は一人で迷路の中に立っているという。その迷路を進む地図をルイ殿下が手に握らせて下さった。
「ありがとうございます」
ニッコリ笑って礼を言う私を、エミリー様が心配そうに見ている。
だけど私はその目を見返すことが出来ない。これほどお世話になっているエミリー様に嘘をついてしまった私は、その美しい緑色の瞳に映る資格も無い気がするから。
ごめんなさい。
緊張で喉が詰まりそうな中、突然声をかけてきたのは、ルイ殿下でもエミリー様でもなくロビンさんだった。
「サラ。来月には諸外国からの発注と新規事業でうちは忙しくなる。冬休み毎日出勤してもらうシフトは出来ているからな。サラがいないと回らない。しっかり行ってきて、ちゃんと戻ってきなさい」
ロビンさんが私を真っ直ぐに見てそんなことを言い出した。行ってくるとは言っても、魔法陣の上に私の体はずっとあるのに。ある筈なのに。
まるで私の存在が消えることを危惧しているかのようで、胸がキュッと締め付けられる。ロビンさんはいつも職員全員をよく見ていて、働きやすい職場を維持してくれている。誰より早くから遅くまで働きながら、皆を、この商会を守ってくれている。
こんな私のことも入った当初から目をかけてくれて、妹のように可愛がってくれて。だけど実際はこんな嘘つきで自分勝手な私なんかを、この先も必要としてくれるだろうか。
――どんなに申し訳なくて、どんなに不安でも、私の計画を実行するためには気取られてはいけない。
「はい! めいっぱい働きますからボーナスお願いしますね!」
軽口をたたいて無理矢理微笑み、ルイ殿下に向かって準備OKですとばかりに頷いて見せる。本当はこの先自分の存在がどうなるか分からなくて、ひょっとしたら二度と皆さんにお会いできないかもしれなくて、一人一人のお顔をしっかり焼き付けたいけれど、そんなことをしたら勘の鋭いルイ殿下に中止だと言われてしまうかもしれなくて。だからルイ殿下だけを見て頷く。
どうしても、会いたい人がいる。一度でいい。運命を変えたい人がいる。中止になんてなっては困る。
一世一代の大芝居だ。
なんてことないふりをして、パッと行ってパッと帰ってくるような顔をして、『行ってきます!』とにこやかに言う。
家族に会うのが楽しみな人間のふりをして、希望に満ちたいつもの元気なサラの顔で。
ルイ殿下の魔力が魔法陣に注がれた途端、説明通りの迷路の中に私は一人立っていた。
「えぇっと、ここを真っ直ぐ……突き当りまで」
地図の通りに進んで行くと、言われた通りの場所に出た。途端に私の前に広がる私に関わる全ての人達の映像。勿論エミリー様も、ルイ殿下も、ロビンさんも、前世の家族も、職場の人達もいる。
でも私が選ぶのは。
「佐藤光」
家族に会いに行くと言ったのに、嘘をついてまで会いたかった幼馴染。
光の映像が何万種類と並んでいく。説明通り、これは光の生まれてから死ぬまでの全ての睡眠。
あの事件の後、年齢的に考えてももっとあっていい筈の睡眠がどう考えても少ない。直後に死んだ訳ではないけれど、間違いなく佐藤ヴィーナスのせいで光の寿命は縮んでしまった。
ヴィーナには『光は死んでない』と言ったし、実際あの直後に死んだわけではない。私が事故で死んだ時はまだ光は入院して生きていた。
だけどどう考えても後遺症に苦しんだ人生だった筈。
こんなこと、あっていい訳がない。
ルイ殿下には自分が死んだ後の時間軸を選べと何度も言い聞かせられた。分かったと言わなければこの魔法を使っていただけないと分かっていた。
だけど私が死んだ後の光はもう既にBウイルスに感染していた。だから光を救うには私が死ぬ前の光の夢を選ぶしかない。
たとえ自分がどうなるか分からなくても。
光が入院してもしなくても、私はあの時事故に遭っただろうか。バタフライエフェクトは無いのだろうか。
毎日激務と勉強の疲労困憊の日々だった。光が入院してからは毎日病棟まで行っていた。感染病棟で入れてはもらえなかったけれど、知り合いの看護師仲間に様子を聞いていた。守秘義務があるから詳しい話は聞けなくても、生きてるかどうかだけは分かるから。
警察が幼馴染の私にも話を聞きたいと、任意で呼ばれたこともある。もう一人の幼馴染・健太郎は佐藤ヴィーナスとオンラインゲームで絡んでいた張本人だったため、聴取にもかなり時間がかかっていた。健太郎は安易にヴィーナスと関わったことを深く後悔していたけれど、何もかもが遅かった。
Bウイルスをヴィーナスが光に使ったことは、私が生きている間は結局捜査中のまま発表されなかった。逮捕されたのは母親殺しと死体遺棄の件。こっちは報道されたものの、何だかんだ言って名士の子という事情からか、取り扱いはひっそりしたものだった。
憎悪まで感じるほどの怒りが湧き上がっても、私には光を救えなかった。
光も健太郎も実家が近所で、私を含めて全員が資産家の子女。三人とも実家で色々面倒があるのも一緒で、お互いの悩みを共感出来る存在。私立幼稚園からずっと一緒だった私達三人は、同士のように仲が良かった。
私が茶道の家元である実家を継がずに看護師になりたいと言った時、応援してくれたのは二人だけ。結局内緒で受験して合格した途端、学費は出さないと勘当された。
金銭面でだけは何不自由なく育ってきた私が、いきなり苦学生になって必死にバイトしてる姿を、二人はずっと応援してくれていた。
多忙な私のたまの休日には、負担にならないよう一人暮らしの光の家に集まって、美味しいご飯をたくさん食べさせてくれた。本当にありがたかった。
あの時健太郎がオンラインゲームを始めるのを止めていれば。佐藤ヴィーナスらしきプレイヤーを見つけたと言った時、これはやめて違うゲームにしろと言っていれば。せめて遊ぶなら自分で作ったプレイヤーで遊べと言っていれば。
運命は違っていたかもしれない。
紛争で亡くなる人や、負傷する人を助けたかった。貧困で苦しむ人に手を差し伸べたかった。疫病で苦しむ人を看病して安心させてあげたかった。
だけどそもそも苦しみを生み出す事象そのものが、消えてなくなればいいと思っていた。
『国境なき医師団』に入って派遣されても、手を差し伸べる相手は既に傷ついて苦しんでいる人達。紛争が無ければ、貧困が無ければ、疫病が無ければ、彼らは苦しまなくても済んだのだ。
そうは思っても、日本の一看護師に出来ることは無くて。
しかも事故なんかで死んで、何も成せずに終わってしまった。
ルイ殿下、エミリー様、ロビンさん、出来ることなら皆さんの元に戻りたい。あの世界で私の持てる力でお役に立ちたい。でも手段があるのに、苦しむ幼馴染を救えるのに、その手段を取らない選択肢は私には無いんです。たとえ自分自身の存在が消えてしまうとしても。
私は目の前に広がる光の一生涯の全ての睡眠の映像から、事件前の健康な光が寝心地の良さそうなベッドに入る映像を選んで手を伸ばした。
その途端、私はそのベッドの横に立っていた。見覚えのあるジャケットがハンガーにかかっている。カレンダーは事件の三日前。心臓が早鐘を打つ。
『誰?』
聞き慣れた穏やかな声が私に語りかける。
こんな見知らぬ外国人が部屋にいるのに、心霊現象だと騒がないのが光らしい。ビビリで騒がしい健太郎とは違うところだろう。
『これから言うことを絶対に忘れないで。三日後、玄関から出る時に足元によく気を付けて。有刺鉄線があるかもしれないから。それには危険なウイルスが付着していて、それが肌に刺さると死ななくても大変な後遺症が残る。なんならしばらく家から出ないで。光は佐藤ヴィーナスに狙われてる』
光が私を見ながらポカンと口を開けている。
『どういうこと?』
『健太郎が光のIDでログインして遊んでるゲームで、佐藤ヴィーナスと関わってる。それで逆恨みされた光が命を狙われてるの。ただの夢だと思って油断しないで。あの女は母親まで殺してる。いい? 油断しちゃダメよ?』
私は冷静に話すよう努めた。
『咲良じゃないか? なんか、見た目は違うけど、何でかそう思う。何で俺はこんな夢見てるんだ?』
『……!?』
何で私だって分かるの? 今の私はこげ茶色の長い三つ編みにそばかす顔の十六歳。前世の私は真っ黒なひっつめ髪でいつも疲れた顔した二十六歳。全然違うのに。
『まぁいいや。咲良が言うならちゃんと聞かなきゃな。気を付けるよ、ありがとな』
遠い記憶の中にしかなかった光の優しい笑顔が今目の前にある。
忠告だけして消えようと思っていたのに、意図せず涙がこみ上げる。『このまま消えたら自分の存在ごと消えるのかな』とか、『あんたのこと、ちょっと好きだったんだからね』とか、『あんなに頑張ったのに、もう少しでこの世界の私は死ぬんだな』とか、色んな思いがこみ上げて鼻の奥がツンとしてしまう。
でももう消えなきゃ。忠告以外の余計なことはしちゃいけない。忠告の内容が薄まってしまわないよう、もう行かなきゃ。
『目が覚めたらすぐにメモするなりして忘れないように』
それだけ言って私は立ち去った。




