202.ハートリー家は続いていく
私が考案した問題を定期的に子供達に送付し、答案には風魔法を付与して回答後は私の元へ届くようにする。添削してまた子供達に送り返し、少しずつ文字や数、時計の読み方、お金の数え方、足し算、引き算、掛け算……と段階的に学ぶ内容をステップアップさせていく。これが概要。
国語も、算数も、理科も、社会も、子供達が生きる上で知っておいた方がいいことを、ちゃんと教えてあげたい。
小学校教師を目指していたから、全科目こなすのは当たり前のことだった。未熟なまま死んでしまった私だけど、熱意なら変わらず持っている。大丈夫、大変でも頑張れる。
子供達が自分で選んだ本を、自分の力で読めるようにしてあげたい。
本の中には未知の世界が広がっていて、皆の視野も広がるって私は信じてる。
「さすがエミリーだ」
塁君は私のアイディアを褒め称えて大賛成してくれて、協力は惜しまないと約束してくれた。いつだって私の味方をしてくれる、誰よりも心強い私の最強の旦那様。
そんな塁君に相応しい妃になるためにも、必ず成功させてみせる。
ベスティアリ王城に戻って第二王子を抱っこさせてもらいながら、その話をチラッとした瞬間、ネオ君の瞳がキラッと光ったのが分かった。ベスティアリ1のやり手事業家の目をしている。
「我が国も一枚噛ませて下さい」
「い、一学生の、卒論に、一国が……一枚噛むとは……?」
「卒論の段階までは協力で構いませんが、卒業後はハートリー商会でビジネスとして本格的に始めるんですよね? 将来の働き手の教育レベルを上げるんですから、これは国益にそのまま繋がります。我が国も平民向けの学び舎は殆ど無く、引退した役人が厚意で教える場が極少数ある程度です。ですが決して子供達に学ぶ気や欲が無い訳ではなく、時間と機会が無いだけなんです。通信教育はそれを根底から解決する手段です。我々は投資は惜しみません!」
ネオ君の声がどんどん大きくなっても、腕の中の第二王子は平然と眠っている。さすがアウレリオ様のクローン赤ちゃん。肝が据わっている。そして激かわ。
「クラウディオはエミリーに抱っこされて安心しているのね。横で兄嫁がお仕事の話をしてもへっちゃらなんだもの」
「あによめ」
一瞬だけネオ君が静かになった。
第二王子のお名前はクラウディオ様になり、ベスティアリ王妃様は私の隣でクラウディオ様のほっぺをふにふに指で押している。アリスのおかげで産後の肥立ちも何も関係ない王妃様は、今日出産したばかりなんて嘘のように全快している。『こんなに身軽なのは何ヵ月ぶりかしら』と言って、さっきまで中庭をスタスタ散歩していた。
「ビジネスと言うか、まずは卒論でハートリー領の子供達を対象に始めようと思ってるの。それなら私の風魔法でも何とかなるし」
「我が国には魔力持ちがほとんどいないので、そのような企画自体不可能です。ですから受注するしかありません。どうか助けると思って投資を受けて下さい」
さっき思いついたテーマなのに、その日のうちに出資者まで付いてしまった。でもこれは第二王子妃としてやりたいことでもあるから、儲けるつもりはない。
「エミリー、投資を受けておくといい。恐らく我が国で軌道に乗れば、ベスティアリ以外の国からも依頼が来るのは間違いない。無償の奉仕事業にしてしまうと、次から次へと群がってくるぞ。正当な相場で取引出来るよう、ハートリー商会でビジネスとして始めるといい」
塁君はそう言うけれど、現在のハートリー商会は書類上ハートリー家の持ち物だ。そして我がハートリー家には娘しかいない。セリーナは話にならないし、養女のシンシアはネオ君でベスティアリ王太子妃になる。私に至ってはもう結婚してしまっている。王家が民間の商会を持つことは出来ないので、私が結婚した後の所有権はハートリー家にしてあるのだ。
だからこの先ハートリー商会をどうしたらいいのか、王子妃として始めた事業をハートリー商会で続けていいのか、それとも王族として奉仕として続けるのか、ちょっと悩みどころではあるのだ。
「大丈夫だから」
塁君がニッコリ笑ってそう言う。何度見ても見慣れることなくかっこいい。塁君に言われると本当に大丈夫な気がして、私はベスティアリ王国からの投資を受けることにした。
帰る時間が来て、もう転移しなくてはいけないのに、可愛い可愛いクラウディオ様と離れがたくて仕方ない。たくさんたくさん抱っこさせてもらったというのに、まだまだ抱っこしていたい。
「いつでも来ていいのよ」
「王妃様ぁぁ」
「エミリーはすっかり母上と仲良しだね」
「ルイ殿下、顔に羨ましいって特大フォントで書いてありますよ」
気持ちを我慢してクルス王国に戻ると、塁君が私の腕を自分の背中に巻き付けて抱き締めてくる。
「強敵出現や……」
とかボソッと言っている。
「えみり、ハートリー商会はまだまだ続けて大丈夫やで」
私の心配していることなんてお見通しなのだとハッとした。
「ハートリー家は残るからな」
一応我が家は王子妃まで輩出した家門になるから、養子に来たい男性は大勢いるだろう。しかも侯爵家当主になれるのだから、公爵家・侯爵家の次男以下や、伯爵家以下なら長男だって来たいかもしれない。我が家はそこそこ財産もあるし、何よりこのハートリー商会の持ち主でもある。でも言い換えるとあちこちから狙われてるとも言えるわけで。
侍従さんの実家の件も知っている私は、貴族は当主の力量で、代々培ったもの全てを失うこともあると今は分かる。お父様が怪しい人物を養子にするわけないし、候補が現れても塁君が徹底調査してくれると思うけど、大事な実家だからやっぱり心配は尽きない。
「俺が継ぐ」
ん?
何か空耳。
「兄さんが即位したら俺は公爵位もろて城を出るやろ? そん時にハートリー家の後継者んなれば万事解決やんか」
何か言ってる。
「そ、それだと、うちは陞爵されるってことに?」
「なるなぁ」
「……ぇぇえ」
すごいこと過ぎて頭が追い付かない。
陞爵というのは元々の爵位が上がること。功績によってそういうこともあるけれど、戦争も無い平和な今の時代にはなかなか難しい。数年前に準男爵位だった騎士が男爵位に上がったという例は聞いたことがあるし、大きな商団を持っている子爵が海運を活発にしたとかで、晩年伯爵位に上がったというのは知っているけれど、最近はとんと耳にしていない。特に公爵家という最上位に陞爵された家門は聞いたことがない。
今の陛下の弟、王弟殿下が公爵様になったのも十数年前だし、それは独立という形なわけで、元々あった家門が陞爵されたわけではない。
「お父様が狂喜乱舞しそう」
「してもらおうや」
こうして私の悩みは愛する旦那様のおかげで解決してしまった。そうとなったら全力で通信教育始めさせてもらいます!
その日から、幼児向け教材を手作りする私の寝不足な日々が始まった。
◇◇◇
「エミリー様! 私もお手伝いします! 私丸付けのバイトしてたんです!」
今日も元気にサラがお手伝いを申し出てくれる。寝不足な私にはキラキラなサラの笑顔が眩しい。若いっていいね。
「エミリー様、では来年の春からは新規事業を起ち上げるということですね。卒業論文の進捗を見ながら、俺の方で必要になる物品の一覧表、企画書、見積書を作成しておきます。申請書も取り寄せておきますので、ご心配なく論文に集中して下さい」
「あ、ありがとうロビン……ッ!」
あぁ、ロビンはまさに私の右腕。いなくちゃ困る。
「看護学院に人道支援、教育改革まで! 本当に私、この世界のこの先が楽しみで仕方ないです!」
サラは今まで以上にやる気に溢れて生き生きしていて、これはもうジーン君の魔法を教えてもいいのではないかなと私は思っていた。
塁君もやっぱり同じように思っていたようで、その日早めに迎えに来た塁君は、私とロビンもいる執務室でおもむろにサラに話をし出した。
「そ、そんなことが、可能なんですか?」
「言う順番が遅くなって悪かったな。お前がこの世界の理を変えないか見極めていたんだ。俺達の将来の子供が関わっている魔法だけに、慎重にならざるを得なかった」
「じゅ、順番なんて気にしません! 教えていただけただけで、本当に光栄です! た、ただ、影響を考えると、恐ろしいというか……」
自分一人の選択で過去も未来も変え得る魔法。サラはそのリスクにも気付いて怖気づいていた。
「今の自分には必要ないと断ってきた者もいる。どうする?」
「…………わ、私は、行きたいです」
「誰に会う?」
「…………家族に」
「自分が死ぬ運命を変える気は無いな?」
「ありません。私はこの世界に生まれてこれて、本当に良かったと思っていますから」
最後の答えは胸に手を当てて、きっぱりとサラは言い切った。
私も雇用主として最近のサラをずっと見てきたけれど、今の言葉に嘘は無いと断言出来る。サラはこの世界での自分の役割に希望も責任も見出している。自分が誰よりも役立てる場所があるのだと、必要とされる場所があるのだと、居場所を得た心の安定が日々の立ち居振る舞いに現れているのだ。
「ではこのままここで行使する。悪いが魔法陣は俺が管理するから教えてやることは出来ない。もしまた使いたい時があれば、その都度用意するから俺に言ってくれ」
「……いえ。この一回限りで構いません。これが最初で最後です」
サラはいつもの元気で活発な笑顔が抜け落ちて、どこか達観したような静かで優しい微笑みをたたえて俯いた。
……誰に会いに行くの?
大学に進学してから会っていなかったというご家族。生きてる間はもう会わなくたっていいと思ってたとしても、まさか自分が先に死ぬなんて知らなかったからそう思うわけで、本当は一目会いたかったりするのかな。
私はあの後お父さんにも会いに行ってきたけれど、やっぱり顔を見たら泣いてしまった。初回は即座にお母さんに会うのを選んでしまったというのに。ありがとうって伝えてまた泣く私を、お父さんは撫でてやりたいのになぁと笑いながら涙ぐんでいた。
どうかサラも会いたい人に言いたかった言葉を言えますように。そして思い残すことなくこの世界で幸せになれますように。
私はそう願ってやまない。




