200.ベスティアリ王国第二王子誕生
ベスティアリ王妃様のお腹の赤ちゃんは、もういつ生まれても大丈夫なくらい順調に成長している。今は妊娠37週を過ぎたところで、元々38~40週の間に計画分娩をする予定だった。
「ルイ殿下、それでは予定通り今週末でよろしいでしょうか」
「ああ。既に胎児の体重は2,800gを超えている。母体の体調もいいしそうしよう」
「僕が補助に入りますが、控室にはアリスさんとイーサン君、ライガ君に待機してもらう予定です」
アウレリオ様、塁君、ネオ君が話しているのを同じ部屋で私はジッと見ている。何故私まで居るのかっていうと、ベスティアリ王妃様が私も近い将来同じ状況になるだろうから、後学のために見に来たらどうかと誘って下さったからだ。
そうなのだ。確かに私の周りに妊娠出産しそうな女性は今はいない。卒業後は攻略対象者達が次々結婚していくだろうし、私達より先に赤ちゃんを授かることもあるかもしれないけど、今現在既に夫婦なのは私と塁君だけ。
「エミリー、今蹴っているから触ってごらんなさい」
お言葉に甘えてベスティアリ王妃様のお腹を触らせていただくと、確かに手の平にトントンポコポコと衝撃を感じて、思わず私は『ひゃぁ』とか言ってしまった。王妃様はそんな私の奇声にクスクス笑っている。
「元気いっぱいでしょう?」
「はい! す、すごいです! 可愛い!」
手の平にぼんやりと感じる小さな足。触っているのが分かるのか、しっかりと手の平にクリティカルヒットしてくる。それが『ちゃんと生きてて、ちゃんと何かを感じてる』のだと伝わってきて、胸の中にぶわっと満開の花が咲くような錯覚に陥ってしまう。
ドキドキして、ときめいて、感動して、何故か泣きたくなるような、胸がギュッと温かく苦しくなるような感覚。
セリーナがお母様のお腹にいる時、私はまだ五歳だった。出産間際まで悪阻が酷かったお母様は、寝室で寝込んでいることが多くて私は近付けなかった。だから赤ちゃんの胎動を感じたのは生まれて初めてで。
「エミリー、生まれてきたら抱っこしてあげてね」
「い、いいのですか?」
「勿論よ。貴女は我が国の恩人の妃で、嫁の義姉で、私の友人でしょう?」
私が感激していたら、遠くでネオ君が『よめ』と呟いている。どうしても未だに慣れないらしいけど、確かに嫁には違いないからね。義妹よ。
「ルイ殿下。出産後の処置が終わった後は、覚えていますよね?」
例の件を確認すべく、ネオ君が塁君の顔を下から覗き込む。そう、例の件だ。第一に楽しみなのは当然赤ちゃんの誕生なのは言うまでもないけれど、オプションの例の件も私は楽しみで仕方ない。
「……覚えている。はぁ、やるならとことんやるぞ」
小さく溜め息をつきながらも、塁君の声は開き直ったトーンだった。
ベスティアリ王国内の各地に貼られたポスター。書店や土産物店に積まれている期間限定のガイドブック。あちこちに大々的に書かれている例の件。
『第二王子ご誕生を祝福するためドラゴンがやって来る!』『ご利益に与ろう!』
あの真っ白な美しいドラゴンと、タワマンくらいありそうな真っ黒いドラゴンがまた見れるのだ。
そして事前に見せてもらった生誕直後に売り出す限定商品の数々も楽しみの一つ。限定御守りを売り出す話は聞いていたけれど、蓋を開けてみればユニコーンもホーンラビットも新バージョンの新商品が続々発売予定で、お土産のお菓子まで種類がグッと増えていた。しかもやたら美味しそう!と思ったら、ネオ君がうちの商会で食べたお菓子に目を付けて、マーシャさんのところまで行ってレシピ考案に協力してもらったのだとか。そりゃぁ美味しそうな筈だわ。いやもう買い占めちゃうよ。
おかげでマーシャさんには売り上げの数%が支払われるらしく、侍従さんの援助は一生涯必要ないくらいの額が入る予定らしい。すごいなぁ。
まぁ、とにかく生誕祭は派手にやるということだ。こんなの楽しみに決まってる。
そして予定通り、その週末にベスティアリ王妃様は元気な男の子をご出産された。ミルクティー色に輝く柔らかい髪に薄紫のアメジストの瞳、新生児なのに既に整った顔立ちだと分かるほどの美赤ちゃん。
第一啼泣と言われる最初の『おぎゃぁ』を確認した塁君とネオ君は、二人同時にこくりと頷く。
「おめでとうございます。元気な男の子です」
王妃様のご厚意で、出産するお部屋の隅に居させてもらった私は、もう生命の神秘とか母親の愛とか覚悟とか、とにかく色んな感情で号泣していてタオルがぐしょぐしょ。ハンカチなんかじゃ私の感動は受け止めきれない。
すごい。出産すごい。改めてお母さん、お母様、ありがとうありがとう。もう胸がいっぱい。気付けば助手として塁君の横にいるネオ君も泣いていて、王妃様の手を握るベスティアリ国王陛下も泣いていて、アウレリオ様と塁君は笑っていた。
「臍帯を切断する」
「はい」
「羊水の吸引が終わったら酸素飽和度とアプガースコアを」
「1分後、酸素飽和度65%、アプ9点」
分娩が始まる前に軽く説明を受けたけれど、赤ちゃんが生まれたらする処置の中に、鼻や口の中の羊水や血液を吸引したり、体温を測ったりする他に、塁君が今言った酸素飽和度とアプガースコアというものがあった。
酸素飽和度は動脈中を流れているヘモグロビンが、どのくらいの割合で酸素と結びついているのかっていうのを示す値らしい。ずっと臍の緒から酸素をもらっていた赤ちゃんは、出産と同時に肺呼吸に変わる。だから酸素飽和度を見ることで、呼吸が上手に出来ているかの目安になるのだとか。普通は95~100%らしく、出生後数分で正常値に届くという。
アプガースコアっていうのは生まれたばかりの赤ちゃんの皮膚の色、心拍数、反射、筋緊張、呼吸の五項目を点数化して、状態を評価する指標になるものらしく、1分後と5分後にチェックするんだって。0~10点で、7点以上が正常だって言ってたから、9点ならとっても元気ってことだよね。
「抗生剤の点眼完了」
目薬をした後、待ちわびた王妃様に抱かれた赤ちゃんは、去年見たアウレリオ様の赤ちゃん時代と当然ながら瓜二つで。
「なんて可愛いの」
「よくやった」
愛し気に赤ちゃんを抱く王妃様の額に、優しくキスをする国王陛下の涙が止まる気配は無い。
「5分後、酸素飽和度85%、アプ10点」
再度赤ちゃんをチェックしたネオ君が安心したように塁君に視線を合わせて頷いた。
その後少し経って、塁君が『胎盤娩出完了』と言うと、控室で待機していたアリスが呼ばれ、王妃様に光の魔法を発動した。キラキラと降り注ぐ金色の粒子と、赤ちゃんを抱く王妃様が、まるで聖母様のようで、ますます胸が詰まって涙が溢れて止まらない。もうなんかスイッチが入った。でもネオ君も国王陛下もスイッチオンだから一人増えても大丈夫そう。
「私も立ち合いたかったなぁ」
ぽつりと小声で拗ねるアリスに、塁君は毅然と『聖女であるお前に代わりはいないんだ。卒倒した時のデメリットが大きいから我慢しろ。同盟国の後継者の誕生の場なんだからな』と窘める。
「私血とか平気だよ? この間もサラがヴィーナボコボコにしてた時平気だったの見たでしょ?」
「……嬉々として大声援を送ってる場面は見た。おい、そういうことじゃない……」
キョトンとしたアリスをよそに、イーサンとライガ君も入ってきて、後片付けをテキパキと済ませて早々に出て行った。二人はベスティアリ王国は初めてだから、ドラゴンが来るまで一緒に観光に行くらしい。
私はアリスの光魔法で腫れた瞼を治してもらい、リリーとアリスと時間まで王都を回ることにした。
準備してお城を出る頃には『第二王子誕生』のお触れが出ていて、街はすっかりお祝いムードでいつも以上に賑わっていた。そして人々は口々に『ドラゴンが来るぞ』と言っている。
「エミリーお嬢様、店頭に色鉛筆が並べられますよ!」
お触れが出た途端、うちの商会の限定色鉛筆が店頭に並び始めた。どの店にもどんどん行列ができ、個数制限にがっかりしているお客さん達もいる。そしてまた最後尾に並んでくれている。なんて有難いことなんだ。
「なんかお菓子が更に美味しそうになってる! レオに買って帰ろ~」
マーシャさん監修のお菓子をあれこれ買うアリスの後ろで、リリーはニヤリと笑っている。侍従さんのお母様だから、内心『お買い上げありがとうございます』なんだろうね。
夕焼けが空を茜色に染める頃、遠くの空の向こうに塁君の魔力を感じた。そしてキュルルという鳴き声。これはネオ君の方。
「来た!! ドラゴンが来たぞ!! 竜神の姫も!!」
何処からともなく上がった声に、民衆がワッと同じ方角を見る。夕焼け色に反射する真っ白な鱗のドラゴンと、その何倍もある漆黒よりも黒い巨大なドラゴン。
「え、速くない?」
「う、うん」
アリスがたじろぎながら言った言葉に迷いなく同意する。なんか、もう、前回よりも猛スピードなんだけど? 米粒が見る見るドッジボールくらいになったんだけど?? ふ、風圧! 風圧は大丈夫!?
「皆、私の婚約者が竜の姿で駆けつけてくれるようだ。飛ばされないよう保護するよ」
アウレリオ様が王城のバルコニーに立ち、王都中を保護する規模の魔法陣を展開した。私は指輪があるから大丈夫だけれど、アリスとリリーが吹っ飛んでいくのは困るから助かります。
ベスティアリ王城の真上にゴオォッという轟音と共に飛翔してきた二頭のドラゴンは、民衆の畏怖と歓喜と興奮の昂りの中、満を持して声を発した。




