198.ここに転生しなきゃいけない理由
夏休みが終わり一ヵ月、王都はすっかり日常を取り戻している。
王都では結局マルスのレトロウイルスに感染する人間は一人も出なかった。だから人々はベスティアリ王国での日々も、女性と子供がいなかった日々も、もう既に過去のものとなって毎日の生活に追われて過ごしている。
勿論それは魔法学園にも言えることで、夏休み明けは一般クラスを中心に、一年生が逮捕されたという衝撃のニュースで持ちきりだったようだけど、それも新しい情報が出てこなければ興味も失せていくもので、今では皆自分達の課題で頭がいっぱいというところだ。
特に第三学年は卒業に向けて魔法に関する論文を書き始める時期のため、もう本当にそれで頭がいっぱいもいいところ。ソースは私。
私は当初『料理における風魔法と氷魔法の応用について』を書こうかと思ったんだけど、リリーに『第二王子妃に相応しい内容でお願いします』と言われてしまい、新たなテーマを再考中だ。
「だって私お料理以外で魔法ほとんど使ってないからね」
私の魔法なんて、食材の保存や加工に氷魔法、調理の補助で風魔法、ほんとにこれだけ。菜園に活かせるくらいの土魔法も使えれば良かったけど、私には悲しいかな土属性は無い。地道に手間暇かけて手入れするのみだ。
でもレオに色々教えてもらったおかげで、今年の夏採れたトマトもトウキビも甘くて最高だった。朝茹でしたトウキビの甘さに塁君が『え!? 砂糖使てない!?』と驚いてたほどだもんね。
『美味しいトウキビの育て方』で書かせてくれたらスイスイ書けるのに。あとは『美しい青海苔の作り方』とかね。
「ほんとにお料理以外で思いつかない……」
「そもそも貴族令嬢はお料理をしませんからね」
「第二王子妃に相応しいってどんな魔法……」
「グレイス様は夏期ボランティアでご使用になった水魔法についてお書きになると聞きましたよ」
リリーはグレイスの専属侍女とすっかり仲良くなっていて、ベスティアリ滞在中も空き時間はよく一緒にお茶してたのを知っている。
私もクリスティアン殿下に頼まれた通り、ベスティアリではグレイスとよく一緒に過ごしていた。避難と知らずに避難してきた貴族女性達のために、ベスティアリ国王陛下が毎日のように開催してくれた豪華な音楽会や晩餐会にも一緒に出席した。
グレイスはいつも凛としていたけれど、クリスティアン殿下を心配して空元気を出しているのはひしひしと伝わってきていた。私はそんなグレイスに気分転換させようと、ドラゴンエリアのジェットコースターに一緒に乗ったりもしたんだけど、急降下中に両手を上げて楽しむ私をよそに、隣のグレイスは気絶寸前でこれはミスったと思ったものだ。でもあの瞬間は心配とか吹っ飛んだよね。多分。きっと。
だから何もかも片付いた今、クリスティアン殿下ともラブラブで、充実しきったグレイスの能力発揮は凄まじい。もうクリスティアン殿下の執務の補佐も一部請け負っているのだとか。いやぁ凄いね。
「いやぁ凄いねじゃないですよ」
「あ、口に出てた」
「グレイス様は慰問先の高齢者施設や養護施設で、水魔法を用いて効率の良い体の清拭をされたり、街の清掃でも水魔法を使用して石畳を綺麗になさったりしたそうですよ」
「いやぁ凄いね」
「エミリーお嬢様、他人事じゃないですよ」
そんなこと言ったって私は氷魔法と風魔法しか使えないからね。あっ、変化の魔法も使える! いやいや、お料理以上に貴族令嬢に不要の代物だ。幻影魔法も低レベルだしどうしたものか。
結局論文のテーマさえ決められずにその週は過ぎて行った。
◇◇◇
「私なんて魔力もそこまで多くないので、二年後はエミリー様以上に悩むと思います」
週末、執務室でぼやく私にサラが笑いながらそう言う。
「あ、でも前世の記憶を活用すれば、私でも夏期ボランティアでお役に立てるかもしれません! 私も水魔法は使えるので、より効率的な清拭や口腔内のケアも出来る気がします!」
「そっかぁ、元看護師さんだもんね」
「血圧とか点滴とかは魔法じゃどうにもならないですけど、患者様のお世話は真心こめて丁寧に、だけど素早く無駄なくさせていただきます!」
「まだ一年生のサラが一瞬で論文の見通しをつけている……!」
「ああぁぁ、すみませんエミリー様! 眩暈起こさないで下さーい!」
その後も業務の手を止めることなくサラは前世の話をしてくれた。ベスティアリでも少しは聞いていたけれど、あの時以上に私を信頼してくれているってことだと温かい気持ちになる。
サラは小さい頃から『国境なき医師団』を目指していたらしく、応募条件の臨床経験五年を満たすまで後一年というところで亡くなったらしい。罪のない人々が紛争で怪我を負うのも、疫病に対する手段も持たずに亡くなっていくのも、黙って見てることなんて出来なかったと言う。
「新卒で救急を希望して配属された時は嬉しかったんですけど、すぐに無力な自分に打ちのめされて毎日泣いてましたよ」
「それでもずっと英語とフランス語の勉強も続けてたんだね。すごいなサラは」
「何でしょうね、自分を突き動かす原動力みたいなものがあって。泣きはしましたけど、諦めようとは思ったことなかったです」
そういうのを信念って言うんだろうな。私の信念って何だろう。前世の知識を活かすテーマなら何だろう。教育学部だった私が、今第二王子妃の立場として、この国の役に立てることって何だろう。
その時、ノック無しで執務室のドアが開けられた。
「立派な志だ。同じく医療に生涯を捧げる者として嬉しく思う」
「塁君」
「はわっ! ル、ルイ殿下! い、今お茶をお淹れ致します!」
「いやいい。サラ、卒業後のサラをスカウトしたいんだが、座って聞いてくれるか」
楽し気に微笑んだ塁君は私の隣に腰を下ろし、向かいのソファに座るよう手でサラに促した。恐縮しながら座ったサラは、何が起こったかと緊張が表情に出まくりで、サラの代わりにお茶を淹れに立ったロビンがサラの肩をポンポンと叩くと、少し解れたのか息を整えサラは塁君に真っ直ぐ視線を合わせた。
「スカウトというと、王宮の侍女でしょうか? もしかしてエミリー様付きの?」
高揚したようにサラがそう口に出すと、塁君は即座に否定した。
「いや、俺は適材適所を心掛けている」
その言葉にサラはちょっとシュンとした。王宮に勤められる侍女は貴族出身で、王子妃の侍女となるとそれなりに経験も必要だし、側仕えの教育を受けた令嬢が多い。リリーは男爵家出身だけれど、ハートリー家でずっと私専属だった経歴から王宮にも付いてきてもらった。勿論お給金はいいし、結婚の際も箔が付く。女性の憧れの職業ではある筈だ。
だけど塁君の今の言葉はそういう意味じゃない。塁君は出身階級なんかを適材適所とは言わない。あくまで能力と人間性を見る人だから。
「サラが卒業する頃を目途に、王立看護学院を設立しようと思っている。そこで教鞭を執ってもらいたい」
「……えっ?」
「医学院一期生が卒業する頃に開設予定だ。卒業生数人には看護学院で講義を受け持ってもらおうと思っている。サラには開設までは必要なものを準備する仕事をしてもらいたい」
「オープニングスタッフのような……?」
「そういうことだ」
私も今初耳で驚いているんだけど顔には出さないでいる。第二王子妃だから。一緒になって『えー!』なんて言ったらどこかでリリーの耳に入って叱られる。
「看護学院の一期生が卒業する頃には、王立医学院附属病院を開設する計画だ。医師だけでは当然不十分だから、人を看る専門である看護師にも従事してもらい、共にこの国の医療を支えて欲しい」
サラのブラウンの瞳にキラキラと光が宿ったのを私は見逃さなかった。
「この世界にも疫病や戦争はある。うちの国は今は平和だが、同盟国がその周辺国と戦争を始めれば、当然支援することになる。そして支援には軍事的支援、財政支援は勿論、人道支援も含まれる。その時派遣するのは医学院で学んだ医師と看護学院で学んだ看護師だ」
「そ、そうなのですか!」
「紛争地域以外でも、自然災害や貧困で危機に瀕した人々を助ける活動も視野に入れている。まぁ、まずは看護師育成が第一の目標ではある。全てはそこからだ。サラにしか出来ないと俺は思っている。力を貸してもらえるだろうか」
サラは第二王子から直接熱烈なスカウトを受けて口をハクハクさせている。でも瞳はキラキラと輝いたままだ。分かる。夢のような話で本当に夢かと思っちゃうよね。でも夢じゃないよサラ。
「給金は看護学院開設までは王城の侍女と同等、開設後は1.5倍を確約しよう」
「やります!!」
ハートリー家のタウンハウスか商会に、と思っていたけれど、王城の侍女の1.5倍は破格だ。平民出身の女性が就ける職業の中では王立医学院卒の医師に次ぐ待遇になるのではないだろうか。
「ほ、本当に、そんなに頂けるのですか」
「専門の知識と技術を持つ人間には正当な報酬が必要だからな」
「あ、有難いです! 是非お願い致します! 全力で頑張ります!!」
塁君が『ここに転生しなきゃいけない理由』をサラに作った瞬間だった。




