197.レオとアリスの選択
早いもので夏休みも終わりに近付き、既に秋の気配が漂い始めている。日が落ちるのが早くなり、日が落ちれば涼しい風が心地よく体の熱を奪っていく。
「帰りはだいぶ過ごしやすい気温になりましたね」
その日の業務を終えたサラが、包装紙を綺麗にまとめながら声をかけてきた。順調に他国からも大量注文を頂いている色鉛筆。今日はユージェニーの嫁ぎ先である隣国の王家からの注文分を準備した。
隣国の国旗をデザインした上品な包装紙で包み、国花であるミモザをデザインしたサテンリボンをかけていく。もうこうなるとサラの独壇場で、サテンリボンより幅の広いゴールドのオーガンジーリボンを、一緒にダブル蝶結びにして華やかに飾っていく。このバランスが絶妙で可愛くて溜め息が出てしまう。
「何回見ても可愛い……! サラありがとう!」
「お役に立てて嬉しいです! 昔取った杵柄です!」
執務室でだけはサラも転生者であることを隠さなくなり、ロビンも知るところとなった。初めて話した時ロビンは額に手を当てて、『何人いらっしゃるんですか』と目を瞑って呟いていた。分かる。ほんと何人いるんだろうね?
「それにしてもサラは箱推しだったんだね。皆に会っても全然態度に出さないから、思い過ごしかなって思ってたくらいだよ」
「俺もルイ殿下に転生者の見分け方を聞いた時、サラのことは微塵も疑いませんでした。俺もまだまだです」
「あはは。むしろ攻略対象者並みのイケメンが増えてて、ますます推せると滾ってました。ゲームより今の皆さんが幸せそうなので、波風立たないよう見守ってた次第です。さすがにゼインさんが執務室に居たのには驚きましたけど」
「だよねぇ」
「ですです」
そうなのだ。サラが攻略対象者の皆にアピールするでもなく、距離を置くでもなく、まるでこの世界の女子達のようにキャーキャーしながらも一線を保っていたのは箱推しだったため。誰か一人が特別なわけではなく、平等に全員を応援しているのだそう。今はアウレリオ様とネオ君のことも応援しているのだとか。
「あんまり近づきすぎないようにって思ってはいたんですけど、ここのお給金がよくてホワイトだって噂だったのでつい応募してしまいました!」
「来てくれてありがとうだよ! ほんとに助かってます! ねぇロビン?」
「その通りです。サラのおかげで業務が捗ります」
気を良くしたサラは、退勤前に私とロビンにお茶を淹れてから帰って行った。お茶も本当に美味しく淹れられるようになって、王城の侍女にも劣らない腕前だ。
「夏休みが終わっても週末だけ働きに来てくれるって」
「それは有難いですね。正直、夏期だけの短期雇用では勿体ないと思っていたところです」
サラは魔術師団に入団出来るほどの魔力があるわけではないので、就職はどうしようか迷っていると言っていた。平民なので貴族の屋敷に侍女として行くとなると、下級貴族の屋敷勤めになるだろう。でもそれは勿体ないと私も思うわけで。
サラほど気が利く人材なら、ハートリー家のタウンハウスでも、勿論この商会でも、サラが希望する方に受け入れたいと思っている。まぁ、サラが卒業するのは二年半後だけれど。それまでにサラにやりたい事が見つかったなら全力で応援しようと思ってる。
この世界で幸せに過ごして欲しい。
前世で若くして亡くなるという辛い経験をした者同士、今世こそは長生きして幸せに過ごして欲しいと思う。でもそれだけじゃない。この世界に生まれてきて良かったと思えれば、ジーン君の魔法陣を教えても過去を変えようとはしないんじゃないかと思うからだ。
まだ塁君はサラには話をしていない。
自分達やネオ君ほどの『ここに転生しなきゃいけない理由』がサラにあるかどうか見極めたいと、頃合いを見ている最中なのだ。
数日前、塁君はまずレオと王城の薔薇園で話をしていた。レオは私達転生者の中で元は一番大人で、今も中身は大人で、軽率な判断をする人ではないと信じているから。
そしてレオの答えは『僕には必要はありません』だった。
早期発見・早期治療で癌を克服し、クリスマスイブに羽音ちゃんと別れず結婚したとしても、それはやっぱり今の二人の関係とは違うからと。
別れがあって、そして生まれ変わって、また出会って今があり、今の自分達に満足しているから戻る必要は無いと、レオは微笑んで断ってきたと言う。
前世での家族との別れも納得しているから、もう一度会いに行く必要は無い、相手の感情を揺さぶる必要は無いのだと。
だけど羽音ちゃんは事故で死んだ。突然の家族との別れだったから、レオのように病気が原因じゃない分もう一度会いたいと思うかもしれない。死んだ後の時間軸なら問題ないけれど、もし、迷路の最後の場面に辿り着いた時、病気のレオを助けたいと思ってしまったら。
レオもそれを懸念してはいたものの、今世でアリスが救ってきた人々が救われない世界になるかもしれないと思えば、さすがに軽率なことはしないだろうと推測していた。
私もきっとアリスは約束事を守ると思う。
これだけ医学院で努力してきて、たくさんの人々を救ってきた。攻略対象者以上の存在であるレオと再会して結婚も間近。あんなに綺麗な薔薇をたくさん贈られて、レオの家族にも大事にされている。それを全て無かったことに出来るだろうか。
今日この後、医学院の講義が終わってからアリスには話をするらしい。私はドキドキしながら待つだけだ。
◇◇◇
「……教えて欲しい。その魔法陣」
アリスは迷いながらも魔法を知りたい言うてきた。
「レオは過去を変えることを望んでへん。ええな? 本人に無断でどうこうすんのは無しやで」
「何もしないもん!」
「誰に会いに行く?」
「家族なんてママ一人だし、私に全然興味無さそうだったし」
「レオやろ」
分かりやすい奴や。図星も図星いう表情しとる。
この世界への影響についても散々説明した。レオの意向も散々言い聞かした。こいつが今世で成し遂げてきたことも褒めたった。せやけど一抹の不安を感じんのはこいつの日頃の行いのせいやで。
「大丈夫。私はこの世界の人達のことも好きだし、助けてきた人達がまた苦しむことになるようなことはしない。私もレオも生まれ変わってからたくさん努力してきたもん。それを無かったことになんて絶対しないから」
「早期発見しても再発のリスクは付き纏うねん。この世界で願い通り丈夫に生まれたレオの人生、お前が支えたれよ?」
「任せておいてよ! 私だって医学院でたくさん叩き込まれてきたんだから、よく分かってるから!」
せやな。俺はアリスには他の生徒の五倍は厳しく叩き込んだつもりや。他の生徒は国内各地から俺が選んだ優秀な奴らやけど、アリスは素養があったわけでもなく、光魔法の使い手やっただけや。それやのにこの一年半、よう付いてきたで。ほんまにようやっとると思う。
その努力に免じて、俺はジーンの魔法を教えることにした。
「ただし夢に入るのは俺の目の前でや」
「分かった。見張っててくれていい。ちゃんと自分が死んだ後の時間を選ぶから」
自分が死んだ後のレオに会いに行くんか。
魔法陣を準備して迷路の地図を渡し、アリスを中に座らせた。『行ってこい』と声をかけて魔力を注いだ瞬間、アリスの意識は無くなった。
そろそろ迷路の最後で映像を選択する頃やろと思うてたら、アリスは意識の無いままボロボロと大粒の涙を零し始めた。白い頬も、洋服の胸元も、止めどなく流れる涙で濡れていく。
……まだ呼び戻さん方がええやろな。
その後二分もせんとアリスは戻ってきた。
「うっうっうっ、ふぐぅ」
「ほらハンカチ」
「あ、あり、がと。うぅ、ふぇ」
闘病中のレオに会うたんか。アリスの知らへんかったレオの秘密。年上で男やったから、アリスには弱っとるとこ見せたなくて、秘密裏に入院して治してから会おう思てた奴や。今世でも闘病中の話なんてよう言わんのやろ。
愛する男がどう闘ってどう生きたか。医学の知識を学んだ今やからこそ分かることがあったやろ。
「あ、あんなに、弱って、や、痩せて、辛そうなのに、わ、私は、何もしてあげれなくて、光の魔法も、使ってあげれなくて、ううぇ~。レオ~!」
「今世では自分がレオの嫁はんや。レオの健康は約束されたも同然やろ? しっかりせんかい」
「うん。絶対長生きさせる! この世界のご長寿世界一にしてみせる!」
「その意気や」
小一時間泣き続けたアリスをレオが迎えに来た。いつも通りの礼儀正しさで礼をする。
「ルイ殿下にご挨拶申し上げます」
「レオ、アリスが前世のお前の夢に会いに行った。何か異変は?」
「記憶が一つ増えました。僕が死ぬ間際、もう意識混濁状態だったんですけど、今の姿でアリスさんが病室に現れました。僕はゲームのヒロインだとボーッと見ていて、ただただ泣いているし、僕もただ黙って彼女を見ていました」
名乗らんかったようやな。
「泣きながら『レオは生まれ変わって丈夫で立派な男性になる。辛いのは今だけ。信じて』と言って、涙を流したまま花のような笑顔を見せた瞬間消えました。ずっとあった記憶の筈が、一時間前に急に思い出したんです。それで気付きました。先日の魔法をアリスさんが使ったんだと」
だいぶ落ち着いとったアリスがまた泣き始めて、レオはそのままアリスを背負うて帰って行った。
ふーん? 自分の死にも相手の死にも関与せぇへんなら、記憶としてその夢が追加されるんやな? 今回はレオだけに影響する選択肢やったからな。大勢に影響するような選択をしたらどないなるんやろ。大勢の記憶が増えるんか? 改竄されるんか?
まだ分からんことも多いから慎重にならなあかん。
サラに言うのは時期をみることにした。




