195.もしも私達が転生しなかったら
決戦の数時間後、遅い時間に塁君はベスティアリ王城の私の部屋に来てくれた。
アウレリオ様とネオ君のおかげでだいぶ落ち着いていたし、あの後サラにも会いに行ったくらいだけど、塁君の顔を見た途端、堰を切ったように涙腺が決壊して涙が溢れてきた。
「え、えみり! かんにんな。怖い映像やったな?」
塁君に抱き締められて頭を撫でられても、頭や額に口付けを落とされても、余計に涙が零れるばかりで止まらない。
体は本当に大丈夫なのかとか、痛いところは無いのかとか、訊きたいことはたくさんあるのに、言葉一つも唇を通り抜けてはくれない。ただただ息が詰まったような嗚咽だけが喉を締め付ける。
塁君が両手の平でそんな私の両頬を包み込む。
「えみり。俺を見て。ちゃんと生きとる」
「あ、あったかいぃ~。うぅ~」
「俺らは長生きしてよぼよぼなってから、手ぇ繋いで一緒に笑て死のうって約束やんか」
「うん、うん!」
泣きながら何度も頷く私を、涙が止まるまで抱き締めてくれた私の大切な塁君。そのまま一時間以上は経っただろうか、ようやく私の涙が治まってきたところで塁君が口を開いた。
「明日にでも親父の夢に礼言いに行ってくるわ。その後おかんのとこにも行かなあかんねん」
ジーン君発見の『夢の中なら異世界にでも意識を飛ばせる魔法』をすっかり使いこなしている塁君。私も使えるようになれば札幌の父と母に会えるのだろうか。その気持ちを見透かしたように塁君が提案してくれた。
「えみりもご両親に会いたいやろ? 魔法陣も魔力も俺がやるし、ジーンのオノマトペも俺が正確に地図にするから会いに行ったらどうや?」
魔法陣に魔力を込めた後に現れるという迷路。私はそこで迷子になる自信しかなかった。理由は単純。迷路での正確な道順を示すジーン君の説明に、大阪オノマトペが多過ぎて意味不明だったからだ。
でも、自分で魔法を習得しなくても大丈夫なの? 会いに、行けるの……?
「わ、私でも、行けるかな?」
「魔法陣を使う魔法は誰が描いても誰の魔力注入しても、魔法陣の中に居る人間に作用するだけや。転移かて魔法陣使う時はそうやろ?」
そういえばそうだ。ネオ君はアウレリオ様が敷いた魔法陣でベスティアリ王国とクルス王国を行き来している。魔道具として超高額で売られている転移魔法のスクロールなら、魔力を持たない人でも転移出来る。それと同じなのか。
じゃあ会えるの? お父さんとお母さんに、十八年ぶりに。
考えただけでまた涙が溢れてくる。もう、私の涙腺はどうなってしまったんだ。でも両親のことを考えるとどうしても涙が出る。あんな事故で先立って親不孝をしてしまって、申し訳なくて、それ以上に会いたくて寂しくて。十八年経っても色褪せない記憶の中の両親の笑顔。
「塁君ありがとう。私、行きたい。お願いしてもいい?」
「勿論ええよ。ほな明日な。今日はもう遅いからこのまま寝たらええ。俺は戻るな」
「もう少し一緒にいて欲しい……」
「えっ!?」
塁君の胸に顔を埋め、背中に回した腕に力を込めて、塁君の心臓の音に耳を澄ます。ドクンドクンと拍動する音に再度『生きてる』と確認して泣きたくなる。
塁君が苦しんで死んでしまうあの光景、忘れられない。あれほどの恐怖は前世でも今世でも初めてだった。大切な人を失うってこれほどの事なのかと、じゃあ前世の私の両親や、塁君のご両親もこれほどの恐怖と悲しみを経験したのだと、改めて申し訳なさがこみ上げる。
そんなことを考えながら塁君の心臓の音を聞いていたら、どんどんその音は速さを増していった。あ、あれ?
耳をべったりと心臓の上にくっつけると、さらにさらにドッドッドッと速くなる。大丈夫これ? まさかウイルスの何か?
「塁君……!?」
心配になって顔を上げると、すぐそこに真っ赤になった塁君の綺麗な顔。具合が悪いのかと思ったらそうじゃない。私は知っている。これは照れに照れた顔だ。もう結婚もしたし、毎朝健康チェックでハグしてるのに、なんでそんな真っ赤??
困惑する私の涙は引っ込み、怪訝な顔をしてしまったようで、塁君は真っ赤な顔をしたまま私の意向を確認してきた。
「い、今のは、朝までていうこと?」
「え、朝までなんて悪いもん。少しでいいよ。塁君も疲れてるし寝なくちゃね」
「もう少し一緒に居って言うのは……? 抱き締めてくる力もいつもより強いし……そういう意味ちゃうの?」
「(そういう意味?)塁君ほんとに無事で良かったなって。心臓の音聞いて安心してたの。でも今すごい音になったから心配。本当は調子悪かったりしない? 大丈夫?」
「……あ~、そっち……」
「?」
何故か遠い目をした塁君は、その後少ししたら帰ったというのに、次の日会いに来た時は目の下にクマが出来ていた。せっかく塁君の睡眠時間を確保するために帰ってもらったのに、あまり寝てないのかな? ひょっとしてマルスの件で夜中まで何かお仕事があったのかな? お仕事があったのに私のところに来てくれたのかと思っていると、そのクマを見たネオ君が遠慮なく指摘した。
「来栖君、もう徹夜作業も無いよね? 僕は久々に自分の部屋でぐっすり寝たのに、何で来栖君はクマなんて出来てるの?」
「俺の修行不足だ」
「え? ちょっと意味が分からない」
「ネオうるさい。もう妻帯者の俺の気持ちはお前には分からない……」
「うん、分からない。なんだろ?」
全く嚙み合ってない二人の会話は無視することにして、私は早速魔法陣の準備を始めた。塁君の計らいで、ネオ君も前世のご両親に会いに行くことになり、ベスティアリ王城の一室で私達三人は集まっている。
塁君からはこの魔法を使うに当たって、絶対に守るようにという約束事を決められた。
それは前世で関わった人間の夢を選ぶ場合、自分が死ぬ前の時間軸は絶対に選ばないこと。自分達の生死に関わるような選択をした時、この世界での影響が大きいからだ。
例えば私があの時あの電車を待たなければ、あの日何処かで涼んでから帰っていれば、私も塁君も死ぬことはなかった。そしてこの世界に転生することはなかった。そうなったら、ゲーム通りクリスティアン殿下は右腕を怪我するし、ローランド達も婚約者を愛することはない。セリーナを止める人間もいないし、被害者ももっと増えてしまう。ひょっとしたら私じゃないエミリーも殺されてしまうかもしれない。ジュリアンの家族も疫病で皆亡くなってしまうし、イーサンも栄養失調で幼くして亡くなってしまう。
そして、ヴィーナとマルスによって、この世界は滅ぼされてしまうだろう。
ネオ君も塁君が事故に遭わなければ亡くなることはなく、このゲームのことも知らないままだっただろう。ネオ君が転生しなければ、オーレリア様もベステラン王国も救えない。
ネオ君も私も、その約束事の重大さを十分に理解した。
魔法陣の準備が整うと、私達の手にはジーン君のオノマトペを正確に訳した地図が渡された。
「うわぁ、ビャーッとかキュッとか懐かしい……大阪だなぁ」
「ネオは卒業まで全く関西弁に染まらんかったな」
「なるべく気を付けてたから。急性の関西人とかなりたくないし」
「急性から慢性の関西人に移行した俺のおかんに言うとくわ」
「ごめんなさい!」
同級生同士の会話に思わず笑いながら地図を見直す。あのジーン君の謎のオノマトペはただの雰囲気とか勢いじゃなく、ちゃんと解読して数値化出来るものだったらしい。
「おし、準備はええ?」
「うん! 行ってきます!」
「何かあってもえみりの体はここにあって俺が居る。何も心配いれへんからな。ゆっくり話してきたらええ」
塁君が魔力を注入した途端、突然視界が変わって私は一人で迷路の中に立っていた。高い天井、窓の無い真っ白な壁。進むしかない構造だ。手の中のメモを見ながら慎重に進んでいく。
『真っ直ぐビャ~ッと行ってどんつきでキュッ曲がって』は『真っ直ぐ150m進むと突き当たるから90°に曲がる』という意味らしい。なるほどなるほど。
地図に描かれてある通りの道順で、書かれてある指示に従って進んで行くと、私に関わる全ての人達の映像が現れた。ここで、一人を選ぶんだね。
私は迷いなく前世の母の名前を口にした。




