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194.魔力が枯れた後

 魔塔に足を踏み入れた瞬間、自分の中の魔力が一気に消えていくのを感じた。



「魔塔には受刑者の魔力枯渇魔法を始め、逃走防止魔法、処刑までは病死でも自死でも決して死ねない徹底された死亡防止魔法、処刑を受ける運命から絶対に逃がさないためのあらゆる魔法が何万とかけられているんだよ。自分の魔力が消えたのが分かったかい?」



 第一王子が冷たい微笑をたたえながら言う。美しく穏やかそうに見えていたが、別の一面があることに気付くには遅過ぎた。油断していたのは認めざるを得ない。


 こんな小説かゲームの世界のキャラクター風情に、現代日本で社会人経験まである自分が出し抜かれるとは思わなかった。


「君のウイルスだけど、自分自身が感染しないよう、君固有の魔力を忌避する魔法をかけていたんだよね? ひとつ言っておくけれど、今の君の魔力はゼロだ。そして君の左手の手の平にはウイルスが付着している。意味は分かるかい?」

「…………っ!!!!」


 思わず狼狽して後退りしそうになったが、まだ蔓の名残が足枷のように巻き付いているせいでよろけてしまった。


 そうだ。俺は自分とヴィーナは感染しないよう、俺達固有の魔力に反発するよう手を加えていた。最後のレトロウイルスは俺だけに。持ち運ぶため、あくまで俺達の細胞内に侵入してこない程度に調整していた。だから手の平に付着しているウイルスはそのままだ―――



 今の俺は魔力が消されてしまった。それがどういうことか、俺は完全に理解した。だが、俺のウイルスを破壊するヴィロファージも、感染細胞内で働くナノマシンもあるのだろう?



「だ、第二王子のヴィロファージが無効化すると言っていた筈だ!」

「君が特定個人の魔力を忌避するように設計していたのなら、ルイだってしていると思わないのかい?」


 体の脳天から爪先まで、冷たい電流が流れるような衝撃。


 もし、そうだったなら。さっき魔力が消えた瞬間、俺は俺が創ったレトロウイルスに感染したことになる。



「ルイ、実際のところは?」

「当然俺も同じ設計をしている。俺のウイルスはお前の一定以上の魔力には反発するようにしてある。つまり、空気中に浮遊しているレトロウイルス程度の微量な魔力に邪魔されることはないが、お前自身の体には近付けない。お前の手の平や体に付着しているウイルスには当然作用しない。ナノマシンの方はお前の微量の魔力に引き寄せられ感染者の体内で活動を開始するが、一定以上の魔力には反発するようにしてある。だからお前の体の中にだけは絶対に取り込まれない。そして魔塔の敷地内には一粒子たりとも俺の創ったものは入り込ませていない。お前の魔力が枯渇する前に、ナノマシンもウイルスも存在していない空間になっていたという意味だ」

「分かったかい?」

「そ、そんな……」


 それが意味するのは、『俺の最終兵器は、今はもう俺にしか感染力を持たない』ということだ。


「あ、あぁ……」


 体に異変を感じる。体中がざわざわと違和感を感じ、次第に痛み、苦しみへと変わっていく。想像していた感染者の症状と迫りくる死が、現実となって俺自身に降りかかる。


「あ、ちょっと待て。話せなくなる前に聞いてみたいことがあった」


 第二王子がそう言った途端、体の変化が停止する。時間魔法を使って止めたのだろう。頼む、そのまま止めていてくれ。



「前世でBウイルスを使ったんだってな。あれは温度管理も楽なのに、今世で作らなかったのは何故だ?」

「……」


 そこまで知られているのか。ヴィーナが既に捕まっているなら全て自白したということか。俺だってBウイルスを作ろうとしたさ。何度も何度も。前世でもBウイルスを選んだのは4℃で安定していて失活しにくいからだ。だけどどうしても、思い出せない塩基配列があったんだ。


 5,000塩基に近付くとG(グアニン)が、7,000塩基を超えるとT(チミン)が、115,967塩基からはC(シトシン)がやたら多くなる。131,795塩基からは異常な量のC(シトシン)にランダムにT(チミン)が入ってくる。149,959塩基からは大量のG(グアニンン)。ここでどうしても躓いてしまったんだ。


「塩基配列が思い出せなかったのか?」


 図星を突かれて何も言い返せない。俺は記憶力には自信がある。そもそも数十万もある塩基配列を覚えることなど出来る人間は多くない。それを何種類も暗記したまま転生した俺は、間違いなくずば抜けた記憶力を持つ筈だ。それなのに、たった一種類思い出せないことをそんな風に訊くのか? 思い出せない人間が99.9%の筈だろう?


 お前は確かに優秀かもしれないが、Bウイルスの遺伝情報まで覚えているのか?


 自分があれだけ暗記しようと努力して、それでも忘れてしまったものを、覚えようともしていなかった人間にあっさりと答えられるかもしれない。訊かない方がいいと心が警鐘を鳴らす。


『やめておけ。これ以上惨めになるな。これ以上相手に優越感を持たせるな。勝ったと思わせるな』


 それでも、二歳で記憶が戻ってから、何度も忘れないように気を付けて思い返してきたウイルスの全て。何十種類も覚えているのに唯一思い出せなかったBウイルスの塩基配列の一部。思い出したい、スッキリしたい、という強烈な知識欲が顔を出す。


「115,967塩基からと149,959塩基から……」

「あぁ、C(シトシン)G(グアニンン)が多くなるところだな」


 考えることなく返事をする第二王子に苦笑いするしかない。俺の十四年間の靄が今晴れるのか。敵の手によって。


「CCTCCCCTCC CCCGCGCCC CCCTCCCCTCC CCC…………」


 第二王子は淀みなくスラスラと塩基配列を口にした。


「GCCCGGGCCCC、これで116,261塩基までな」


 あぁ、そうだそうだった。そして第二王子は次に149,959塩基からも口に出し、俺は自分の中の靄が晴れ渡っていくのを感じてしまった。十四年間どうしても思い出せなかったその四種の塩基の組み合わせは、今俺の中で正解をやっと引き当てた。


「ウイルス専門なのか?」

「いや特に。学生だったしな」


 学生? まだ学生で、仕事として、専門家として携わっていたわけでもないのに覚えているのか?


「聞きたいことが聞けてスッキリした。じゃあな」

「俺もスッキリしたよ」

「そうか」


 この後またアポトーシスの苦しみが襲ってくるのは分かり切っていたが、それでも負け惜しみでもなんでもなく、スッキリしたと本音を吐露した。


「うぅっ!」


 痛みと苦しさが蘇る。時間魔法を解除されたのだ。だけど辛うじて死ねないのは、第一王子がさっき言っていた死亡防止魔法のせいなのだろう。自分から見える手の平も、腕も、皮膚が萎んでぼろぼろと表面から順に剥がれ落ちていく。呼吸をしたくても肺が動かない。


 しばらく進むと独房のような場所の前を通りかかり、そこに居たのはありとあらゆる穴から出血し、そこら中に嘔吐した跡があり、その中で涎を垂らし横たわるヴィーナだった。脚は片方が委縮し、意識は朦朧としている。


「……ヴィーナ」

「……マ、マル……ス? その、顔……」


 俺の顔面の皮膚も崩れ落ちているのだろう。さっき俺が見た幻影のように。


「失、敗、した、の……? 嘘……負け、た……?」


 血の涙を流したままのヴィーナの瞳には、諦めを通り越した絶望と、俺への蔑みと、ほんの少しの情が宿っていた。怒りと憎悪はもうそこには存在していない。


「君が創って持たせていた全てのウイルスに彼女は感染している。君が成したことの結末をよく見るといい。君が何を作り出し、それがどれだけ害を成すのか。人を苦しめ殺める生物兵器に手を出した結末を身を持って知るんだ」


 第一王子がもう微笑むこともなく言い放つその声は、背筋が寒くなるほどの冷酷さを宿していた。



「大、丈夫……。また、転、生して……」


 ヴィーナが力を振り絞って呟いた微かな言葉に、俺は光を見出した。そうだ、前世でも打つ手なしに見えた最期だったが、こうやって新しい命でやり直せた。今度はもっとうまくやる。Bウイルスの塩基配列も思い出したし、次の世界でも魔法が使えたら今度こそ創り出す。今世では処刑されるようだが、その次がある。



 俺を連行していた王子達は何も言わず、ヴィーナとは遠く離れた独房へ俺を収監した。






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