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186.辿り着いたマルス

 息を殺し続けてしばらく経った頃、やっと女が目を覚ました。


「ん~、よく寝た」

「おい、早くここから逃げるぞ。弓を射た男達がまだ近くにいる筈だ」


 俺に抱えられていると気付いた女は頬を染め、俺をうっとりと見つめてくる。またこの目だ。まったく……今はそういうのはいいんだよ。このお花畑め。


「あいつらはお前を追っているようだぞ。ここでお前が捕まったら水も食糧も無い俺まで命が危ない」

「マルス、喉乾いた?」


 女が指を鳴らすと俺の顔の前に水球が現れた。そういえば女の家の周りは岩だらけで井戸も無かったのに、いつも水瓶には水がなみなみと入っていた。水魔法だったのか。


 俺はその水で喉を潤してから女を急かした。


「まだ魔力は万全じゃないけど、仕方ないね」


 女はその場に魔法陣を描き始めた。


「それは何の魔法陣だ?」

「転移魔法」

「そ、そんなことが出来たなら家で使えば良かっただろう!」

「私は魔法陣が無いと転移出来ないから痕跡も残るし、魔力ですぐに位置を把握されちゃう。転移魔法は追跡されやすいし、私王都に近付いちゃいけないから本当は良くない。転移先は王都の外に設定するけど、それでも危ない」


 王都に近付いちゃいけない? 何をしたんだ。罪人か? じゃあ王都までは女を利用して、着いたら早々に離れた方が良さそうだな。


 女が魔力を込めると魔法陣は光を放ち、俺と女は王都の外壁の外に一気に転移した。強い浮遊感の後に突然景色が変わり、初めて経験した俺は呆気にとられた。これほど便利なら、今さらだが勉強しておくべきだった。


 体を低くして周りを見渡すと、騎士団が大勢巡回している姿が見える。昨日は大量の騎士達が王都から出て行ったと聞いたが何故なんだ? 誰を追っているのか知らないが、検問に引っかかりたくはない。身体検査をされてはウイルスを奪われる危険がある。俺達はとりあえず木の陰に隠れることにした。


「どうしよう、ここから中に入るには私にかけられている王都に立ち入れない魔法をいじらないといけない」

「……そうか。ここまでありがとう。助かった。ここからは別行動にしよう」


 あそこにずっと一人で暮らしてきた女を騎士団が今さら探しているとは思えないが、女は女で罪人か何かなのだろう。これ以上一緒にいると俺まで仲間だと思われるかもしれない。


「マルス、入場門から入ったら捕まる」

「お前はそうかもしれないが俺は違う」

「皆マルスを探してる」

「……?」


 どういうことだ。何故俺を? ヴィーナが捜索願でも出したのか?


「マルスがウイルスで何かするって警戒してる」

「なっ、何? ウイルスだと?」


 何なんだ? 女にも誰にもこの世界の人間にウイルスの話などしたことは無い。そもそもウイルスの概念など無いだろう。


「お前、誰かのスパイか何かか? 転生者か!?」

「私、頭の中が読めるだけ。近くにいる騎士さん達の頭の中読んだ」


 ……頭の中?


「三ヵ月前、マルスは私にノロウイルスっていうの食べさせた。それに王都に着いたらレトロウイルスを創るって楽しそうだった。昨日までも毎日レトロウイルスのこと考えてて、やっと完成したって。マルスの頭の中に何度も出てきた言葉だよ」


 嘘だろ? ノロウイルスを分かってて口にしたのか? 頭の中を読めるなら、何の料理に入れたのかも、どんな症状が出るのかも分かった筈だ。


 俺は使いたくて仕方なかった。俺の創ったウイルスで症状が出る人間を間近で見たかった。そればかり考えていたのだから。


「うん、分かってたけど」


 ……今のも俺は口に出していない。本当に頭の中を読まれてるのか。


「マルスが私に食べさせたいって思ってたから」


 そう言って女はへにゃっと笑った。



「だから入場門からもマルスは入れないし、烏になっても領空担当の魔術師団に捕まるし、中に転移した途端私の魔力を検知した魔術師団に追跡されて一斉に囲まれる。此処にもいつ来てもおかしくないよ」


 何だそれは。とっくに詰んでたのか?


 いや、王都までは来れたんだ。レトロウイルスを放たずに終われるか。放ってしまえば皆死ぬのだから俺を捕まえるどころじゃない。ウイルスの存在がバレて多少の感染対策をしてたって、所詮は現代医療とはかけ離れたこの世界だ。たかが知れている。直径100nmの俺のウイルスを防ぐ術など無いんだ。



「俺を王都の中心街まで連れて行ってくれ」



 転移した後、囲まれる前に俺の最終兵器、俺の芸術作品を放ってやる。その場にいる民達も、集まってくる魔術師団も騎士団も、誰もかれも朽ちて死ね。


 体中の再生系の細胞がアポトーシスで死んでいく。その光景を俺は必ず見てやる。そして俺だけが残るんだ。ヴィーナに真っ先に感染させてやろうと思っていたが、どの道あいつも感染する。あいつの魔力に反応して感染させないよう、今まで加えてきた一手間は今回は無しだ。


 俺は共に隠れている女をジッと見た。女は分かりやすく頬を染めて俺を見る。何度も見てきたこの眼差しは、俺の秘密も異常さも、何もかもを知っても変わらなかったということか。


 この女も死ぬことになるが、俺の望みならその通りにするんだろう?



「マルスが望むなら」



 女は地面に魔法陣を描き始めた。





 ◇◇◇





 今日は朝早い時間に塁君がベスティアリ王妃様の検診にやって来た。


 王妃様はもうすぐ妊娠八ヵ月。お腹もすっかり大きくて、足元が見えないって笑っている。その幸せに満ちた笑顔が周りにまで幸せをくれる気がして、私は王妃様と一緒に居るのがとても心地いい。



「もう心臓も肺も脳も完成形に近付いています。生まれた後の呼吸の準備もし始めていますし、脳の神経回路も出来上がっています。この時期の記憶が残る子もいますからたくさん話しかけて下さい。体重管理も適切で理想的です」

「ルイ殿下のおかげです。アウレリオの時より私の体も歳を取っているのに、ずっと体調がいいんです」


 ずっと研究所に籠っていたネオ君も今日は一緒で、アウレリオ様と嬉しそうに塁君の言葉を聞いている。


「ルイ殿下、お忙しいところ毎日ありがとうございます」

「アウレリオ、礼は俺の方が言わなければならない。我が国の王都の民がもう一週間も世話になっている。しかもこれ以上ないくらい幸せそうに笑っていて、ベスティアリ王国の尽力に心から感謝する」


 私達がベスティアリ王国に避難してからもう早いもので一週間。


 毎日のように催される晩餐会やティーパーティー、音楽会や舞踏会。ドレスも宝石も何もかもベスティアリ王室でご用意下さっている。貴族女性達は我が国と違うデザインのそれらに夢中で、毎日お洒落に余念がない。


 平民の人々はユニコーンやホーンラビット、観覧車にコーヒーカップ、メリーゴーラウンド、ドラゴンエリアを楽しむ毎日。ドラゴンエリアにはジェットコースターまで増えていて大人気だ。食事も買い物も上限は決まっているものの、かなり自由に出来る額で、人生で初めてここまで贅沢したという人々も大勢いる。


 王妃様の部屋を出た後、塁君はアウレリオ様と私にマルスの報告をし始めた。遂に見つけたと。


 ――いよいよなんだ。



「ゼインの部下が昨夜マルスを匿っていた女魔術師を見つけた。その後転移魔法陣の痕跡があったから今日王都に入ってくる筈だ」

「私も行きましょう。魔力を役立てる場面があるかもしれません」

「アウレリオとネオはベスティアリに居た方がいい。何事も無いとは思うが、お前達は他国の王太子と未来の妃なんだ」

「ルイ殿下。僕もナノマシン作製に協力したんですから効果のほどを見させて下さい」

「安全な此処から見ていてくれ」


 塁君はそう言って水晶玉のように綺麗な球体の魔石をポケットから取り出した。魔力を込めた途端、部屋中にプラネタリウムのように王都の様子が映し出される。久々の王都、幻影魔法の効果で普通に女性も子供も街に溢れている。避難前と何も変わらないように見える王都の日常がそこにあった。


「エミリー、今日決着をつけてくる。待っててくれ。全て終わったら時間を気にせず二人で過ごそう」

「塁君、どうか気を付けて。此処で待ってるからね。無事を祈ってる」


 私の指先をキュッと握って軽くおでこにキスして戻ろうとする塁君に、アウレリオ様が声をかけた。


「遠慮なさらず勝利の女神の口付けを。私とネオは背を向けてましょう」


 いつもなら『出来るか!』と言う塁君が、『気が利く』と言って私の背中に腕を回してグイッと抱き寄せた。


「ゎ……」


 久々の長いキス。苦しくなるほどの時間、私の唇を塞いだ塁君は、唇を放した途端おでことおでこを合わせて『行ってくる。俺の愛する奥さん』と日本語で呟き姿を消した。










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