185.ベサニーという魔術師
「寒いな……」
女が烏の姿で飛び始めてから数時間。夏とはいえ上空で風を切るのは寒い。だが、馬よりも速く王都の光が近付いてくるのは良い誤算だ。まさかこの女が変化の魔法を使えるとは。しかも鳥になれるとは。
空からなら騎士団にも会わずに王都に入れる、と期待しかけた時だった。
「マルス、私そろそろ魔力が切れそう。降りるね」
あと半分ほどの道のりという所だろうか。こいつを置いて俺だけ進むかという考えも頭を過ぎったが、女にすぐに連れてこられたせいで水も食糧も用意していない。辛うじてウイルスは服の下のベルトに収納してあるが、それだけだ。
女が降下準備に入った時、突然何かが飛んできて、女は悲鳴を上げて地面に急降下し始めた。落ちる途中で見上げた俺の目に入ってきたのは、光る矢が刺さった黒い翼。
「ダ、ダメ。マルス、落とさない……」
女が必死で翼を羽ばたかせるものの、真っ逆さまとは言わないまでもかなりの速度で俺達は地面に落ちていく。これはタダでは済まないと烏の脚を掴んで自分が上になろうとしたが、激突寸前に女が展開した保護魔法の効果で何とか衝突は回避した。
「だ、大丈夫……?」
「ああ……」
女の魔力は底をつく寸前で、しばらく休憩が必要そうだ。
それにしても何故急に射貫かれたんだ? もう夜も遅く、狩りをするような奴はいないだろう。怪我が酷ければもう烏になって俺を運べないか? だったらお荷物だからやはり置いていこう。そう思って女の腕を確認すると、確かに光る矢が貫いていた筈なのに血が出ていない。
「翼は腕だよな? 出血が無いのは何故だ? というか矢傷そのものが無い?」
「魔道具だと思う……。魔力の矢で、怪我は負わないのがあるから。もの凄く高価なものなのに……初めて見た」
そんなものがあるのか。それにしたってあんな上空から落ちたら死ぬだろうに。密猟者か何かか? デカいとはいえ烏を射て何になる。
「保護魔法、使わなきゃ良かった……。この魔道具で落ちた獲物は……地面に落ちる瞬間に射手の元に転移する仕掛けなの……。そしたら射手なんて私がやっつけたのに……それなのに、魔力使っちゃって……あぁ、眠い」
「おい!」
女は岩だらけの地面でも気にせずスゥスゥ寝始めた。置いていくか? いや、だが水と食糧が。女が目を覚ましてからもう一度俺を運ばせる方がやはり早い。
「くそっ、起きるのを待つしかないじゃないか」
仕方なく女の横に座って夜空を見ていると、遠くから聞こえてくる男達の声。射手の奴等か? 事情を聴かれたら説明が面倒だな。
『あれは間違いなくベサニーだ。烏に変化するという情報は得ている』
『当たった筈なのに転移してこなかったから落ちなかったのか。保護魔法を使ったな』
べサニー? この女のことか? 随分世話になったが名前も聞いてなかったな。前に来た時にヴィーナが俺を呼んでるのを聞いて、俺の名は知っていたようだが。相手が一人だから呼ばずに用件を話し始めても特に問題は無かった。
ツイてない。この女が狙われていたのか。あんな場所で一人で暮らしているから訳ありだとは思っていたが、俺まで巻き込まれるとは。とは言えこいつが居なければ王都まで辿り着くのは困難だ。仕方ない、今度は俺が匿う番だな。
『この辺りだと思うんだが』
岩の窪みに二人で身を隠し息を潜めた。男達は俺達が元いた場所に正確に辿り着き、僅かな痕跡も見逃すまいと闇夜の中地面を調べている。
この女は一体何をやったんだ? 奴等に女を引き渡して馬を融通してもらうか? いや、暗殺者か何かだったら顔を見た俺の命まで危ないかもしれない。高価な魔道具を使ってでも女を捕らえたいとなると余程のことだ。
俺は授業で習ったうち覚えている数少ない魔法を使うことにした。ウイルス作製に関係ないと適当に受けていた授業だが、いくつかは取得したものもある。
気配を消す魔法を使い、熟睡中の女を抱えて息を殺す。もっと上位互換で認識阻害や姿自体を消す魔法もあった筈だが、俺に出来るのはこの程度だ。
『早く行ってくれ……』
そう願いながら息を殺し続けた。
◇◇◇
面食いベサニーか。皆侮っとるようやけど、うちの魔術師団に入団出来たいうことは優秀な魔術師な筈や。俺は詳細を聞くべく魔術師団本部のレイノルズ魔術師団長の部屋を訪ねた。
「これはルイ殿下! お呼び下さればこちらから出向きますよ!」
「俺が聞きたいことがあっただけだ。早速本題だが、べサニーを覚えているな?」
名前を出した途端、魔術師団長は複雑そうな表情に変わった。カートライト宰相と違うて割と表情に出やすい分かりやすいおっさんや。見た目も中身もヴィンスによう似とる。
「ベサニーはどんな魔術師だ?」
俺の質問の理由も何も訊かず、魔術師団長は柔らかく微笑してから口を開いた。
「あの子はあの惚れっぽい性格と行動力で侮られやすいのですが、とても優秀な魔術師ですよ」
「やはりそうか」
頭が弱い人間は魔術師団には入られへん。行動がむちゃくちゃなんは何か訳あってのことなんか?
「あの子は自分の愛に忠実なんです」
それは相手の状況を考えんかったら自己中と同義やで。
「そしてその愛は盲目です」
どういうことや。
俺の努力の甲斐あってこの世界では夫人だけを溺愛するおっさんは、執務机の上の夫人の肖像画を見ながら話を続けた。
「王都を追放になった者は二度と王都に立ち入れない魔法をかけられます。ですがベサニーならば解除出来る。なのにしないのは最後に惚れた相手が『二度と王都に近寄るな』と願ったからでしょう」
自分の惚れた相手の望み通りにするいうことか?
「自分より魔力の強い者の心は読めません。ですから私が『家族に近付くな』と考えても言わなければベサニーには伝わりません。ですが普通の人間相手であればベサニーには何もかもお見通しだということです」
「ではベサニーと揉めた男共も揉める前はベサニーを求めたということだな」
「仰る通りです。なのに女房にバレた途端『失せろ』と願い、『お前が悪いんだ』と責任転嫁をする。男を見る目が無いあの子も悪いのですが、男達も悪い。相手に貴族が数人いたため、被害者でもある私が口添えしても王都追放の裁定は覆りませんでした」
公爵邸に忍び込もうとしたり、公爵家嫡男に接触しようとしたら魔術師団退団なってもしゃーない。それは分かる。せやけど王都追放にまでなってもうたのは、それだけ男達がベサニーを食い物にした結果や。ベサニーは惚れた男の頭の中読んで、それが如何に身勝手で醜い願いでも自ら叶えてまうんやな。
自分の愛に忠実で、その愛は盲目。
「いずれは魔塔の監視員になれる器でした」
そないな魔術師がマルスの味方やったらどう王都に現れる?
「マルスはベサニーの所に居る可能性がある」
「……なるほど。それでは捕縛するにはうちの団員が行かなければ。それ以外の人員には手に余る相手でしょう」
「マルスが王都に戻りたいと願えば手を貸すだろうな」
「間違いなく」
ゼインの手下は捕縛用魔道具を持っとるけど、ベサニー相手なら五分五分かもしれん。王都外は騎士団が捜索の手を拡げとる。マルスは逃げるよりはきっと王都に来る道を選ぶ筈や。ヴィーナが捕まったことも知らへんし、あいつの危機感は薄い。第一に最終兵器を使いたいやろうしな。
「俺に考えがある。手を貸してくれるか」
「全て仰せのままに」




