18.新しい治癒魔法
「……はぁっ!!!」
ずっとピクリとも動かなかった塁君が、急に大きく息を吸って体を起こした。
「大丈夫!?」
私はグラスに入った冷たいお水を手渡した。
「はぁ……おおきに……」
一気に飲み干して額の汗を拭うと、塁君は『わかったで』と呟いた。
「炎の魔法でDNAの一部が焼かれてGBA遺伝子が変異起こしとんねん。間違いなく人為的なもんや。状況から考えてセリーナやと思う」
私はあまりにショックで言葉が出なかった。いくら転生者で自分より年上の日本人女性だったと言っても、この世界に生まれてきてから八年間は確かに私の妹だった。その妹が我が家の領民にこんなに苦しい思いをさせるなんて考えたくない。
「えみりが攻撃された証拠があんのに何処も燃やされてへんのはこれだったんや」
「どういうこと?」
「えみりの遺伝子になんかしよう思たんやろ」
「!?」
思ってもいない攻撃のされ方で呆気にとられてしまった。そんなの、どうやって防げばいいのか分からない。もしも指輪が無かったらどうなっていたか分からず足がすくむ。
私もトミーのようになっていたかもしれないの?
今朝セリーナが私を見て呆然としていたのは、私がピンピンしていたから? そこまでされるほど私は嫌われていたのかと、喉の奥がグッと苦しくなる。
「メープルシロップ尿症の子もそうかもしれへん」
塁君の言葉にゴドフリーの暗い表情を思い出す。ネルに叱られたセリーナは皆の前でネルの顔を何度も打ったと言っていた。周りにも咎められて罵ったと。
まさかそれの仕返しでこんなことをしたのだろうか。考えたくないけれど繋がってしまう。
「穂発芽もな、大学の講義で聞いた言うたのはあいつの講義でや。小麦の3A染色体短腕にあるMFT遺伝子が小麦の休眠性と穂発芽に関わる言うてな。あいつの専門分野や。こっちも遺伝子いじりよったと思うわ」
ネルの家の小麦が不作で困窮するのはネルの家族だけじゃない。アビーのようにネルの家で働くたくさんの従業員、小麦を取り扱う商店、それに領主である我が家もだ。
もう、善悪の判断が普通じゃない。どうしたらいいんだろう。自分が悪いのに咎められて暴力をふるった上に、ここまでの報復をするなんて。お父様とお母様で対処できるとも思えない。これ以上被害を出さないようにしなきゃいけない。でもどうやって??
動揺する私の両手を塁君がギュッと強く握ったので私はハッと我に返った。
「落ち着き。焦ったらあかん。トミーの治療が終わったら一緒に考えよ。絶対守るし何もかも悪いようにはせぇへんから」
塁君の言葉に私はなんとか気持ちを落ち着かせて頷いた。
「今はトミーの治療を優先する。俺も途中で魔力不足で倒れるかもしれへんけど、えみり絶対先に帰ったらあかんで」
「勿論ここにいるよ」
「屋敷から誰か迎えに来ても俺の意識が無い時は絶対にあかんで。約束してや」
「うん、約束する」
「セリーナが来よったら治療の途中でもなんでも俺を呼んでな」
「うん、わかった」
塁君は念入りに私に言い聞かせてトミーの部屋へ移動した。
「トミーは楽にしていてくれればいい」
「わ、分かりました」
トミーの体に両手を置いて塁君は目を瞑り無言になった。
◇◇◇
もうすっかり夜も更けてトミーはそのまま眠ってしまった。アビーのご両親とアビーは心配そうに何度も部屋の前まで来るものの、邪魔しないよう扉の前でお祈りを捧げて戻っていく。
私もさすがに塁君の体が心配だ。魔力切れは危険だと言われているから、そうなる前になんとかしたい。私の魔力は弱いけれど、魔力切れを起こしそうになったら分けてあげたいと思う。
それに私と塁君二人の魔力が足りない時にセリーナが来たら、もう防ぎようがない。念のためアビーには誰が訪ねてきても入れないようお願いして、馬車も別の場所で待機してもらっている。でもセリーナがその気になったら、そんなことくらいじゃ防ぎきれないだろう。
私も塁君の傍でお祈りするしか出来ることは無かった。
夜明け近くになって、塁君がやっと声を発した。
「……治療、終わった」
倒れそうになる塁君を支えてお水を飲ませると、『はぁ』と息を吹き返すように顔を上げた。
「大丈夫? 魔力切れは?」
「まだ大丈夫だ。時間魔法で元に戻せないか試してみたが、焼かれた前には戻らなかったから手間取った。最初は骨髄幹細胞から一つ一つ作業してたから時間がかかり過ぎた」
疲れているのが見てすぐわかる程、塁君の顔色は悪かった。
「セリーナが細胞1個1個に魔法を使ったとは思えないから、どうやったのか考えたんだ。多分体中の遺伝子の特定部位にだけ集中して一度に使ったんだろうと推察してやってみたら、なんとか俺にも出来て時間短縮につながった。まぁ、ただ焼くのと、塩基を新しく構成して組み入れていくのとでは集中力と必要な魔力量が全然違うんだけどな」
「本当にお疲れ様。本当に本当にありがとう……」
私は思わず抱きついてしまった。
「……こんなご褒美があるなら頑張った甲斐がある」
そう言って塁君は私の頭を撫ででくれた。
寝ずに待っていたアビーのご家族は私と塁君にたくさん手料理を出してくれて、まだスヤスヤと眠るトミーの寝顔を見に行った。
「心なしか顔色が良いように思います」
「いつも体が痛くて満足に眠れていなかったのに」
そう言って涙ぐむと塁君の前に膝をついて平伏した。
「この御恩は決して忘れません」
「いつか必ず御恩をお返し出来るよう家族一同感謝して生きて参ります」
「気にしないでくれ。俺が勝手にやったことだ。家族皆で仲良く暮らしてくれればそれでいい」
私と塁君は夜明けとともに馬車で本邸に戻った。セリーナと対峙する覚悟をして。
家に着いてみると屋敷の何処にもセリーナの姿は無かった。昨日私達が家を出てすぐ行き先も告げずいなくなったらしい。
「セリーナお嬢様は本邸にある金品を全てお持ちになり、使用人も連れずおひとりで出て行かれてしまいました。侯爵様と奥様にはいずれ手紙を送るとだけ言い残されて……」
ゴドフリーは暗い表情で報告してきた。セリーナが領地に戻ってから数ヶ月、困らせることも多かったのだろう。きっと今回も必死に窘めたのだろうと想像がつく。
「ゴドフリーの責任じゃないわ。あとはお父様お母様にお任せしましょう」
それから数日後、王都の両親の元へセリーナから『見聞を広めるために信頼出来る方と各国を見て回る』と手紙が届いた。
信頼出来る方とは誰なのか、今現在何処にいるのか、塁君が王室の力で調べても何の情報も出てはこなかった。




