表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
174/217

174.佐藤火星(さとうマルス)②

 その日から俺は通勤中も食事中も、脳内でウイルス感染のシミュレーションばかりしていた。


 人が死ぬかもしれないのに、普段より高揚感を感じている自分の異常性。結局はあの姉と、母を殺しておいてネトゲに夢中の異常な姉と、同じ遺伝子を持っているということだ。


 うんざりもするが、もう仕方がないという諦めと、だったら自分も好きなようにウイルスを使ってしまおうかという企みが脳内に混在する。


 俺は今回のケースに最適なウイルスを選び、会社を利用して密かに入手した。発覚が遅れるよう注文書も納品書もすぐに改竄し、その日のうちにウイルスは姉に手渡した。


『4℃で安定してて40℃以上で失活してくから温度管理注意して。体内に入ると感染するから、ヴィーナスも触った部分に傷あったら感染するよ』

『分かった。うまくやる』


 その後のことは分からない。どうやって感染させるのか。姉でうまく出来るのか。


 うまく相手に感染させられたら致死率は50%。年上の甥が罰を受けるか否かはフィフティフィフティ。ちょうどいいじゃないか。


 夜中興奮して帰ってきた姉は『やった』と何度も繰り返し、心底満足げに笑い声を上げていた。


 潜伏期間は最短で二日、通常は二~五週間。結果が分かるまで絶対に捕まりたくはない。俺は職場を辞め、ちょうどよく甥の家の向かいにあるホテルで姉と張り込む生活を送った。



 その間姉がまたも突拍子もない提案をしてきた。



『この人生では私達多分捕まって終わりじゃない? だったら転生してまた面白いことしようよ。マルスはウイルスばら撒くの結構楽しいんでしょ? だってこんなに協力的なの初めてだもんね。だけどさ、今世じゃウイルス攻撃なんてこれっきりだけど、転生したらもっと何でも出来ちゃう世界かもよ』



 姉は死ぬ前に読んだ小説やゲームの世界に転生出来る可能性があると言う。何馬鹿言ってるんだとは言わない。ここまで来てしまったらこの人生でウイルスに関わることは不可能だろう。だったらどんなに馬鹿げた理論でも試してみようか。


 それからは延々と小説やゲームを何十種類と頭に入れる日々。姉が新作を手に入れに行ってる間、俺は転生したら使ってみたいウイルスの構造を塩基配列まで暗記した。転生先は近未来でもっと危険なウイルスが存在している世界かもしれない。そう考えるとワクワクする。これだ。この感情だ。俺がウイルスにだけ感じる高揚感。自分ならどんな未知のウイルスを創るだろうと考えると心が弾む。


 そして張り込んでから二週間後、甥はその日出勤しなかった。代わりに昼頃タクシーが止まり、乗り込む甥は脚を引きずっている。


『どっか出かける! 何か具合悪そう!』


 喜ぶ姉と共に窓から双眼鏡で観察していると、ちらりと見えた足首には水疱性の病変。


『脚から感染させたのか』

『うん。有刺鉄線にウイルス塗って玄関出てすぐのとこに置いておいた。『痛っ』て言ってたから刺さったと思ってたんだ。念のため目薬にウイルス入れて、サンプルプレゼントっぽくしてポストに入れたりもした』


 俺が選んだのはBウイルス。自然宿主はマカク属サルであり、ニホンザルも約34%が抗体陽性。サルでは単純疱疹様症状くらいで死亡例は稀だ。だけど人間が感染した場合、その致死率は50%に至るバイオセーフティレベル3のα-ヘルペス属ウイルス。


 早期症状として接触部の激痛、掻痒感、外傷部周囲の水疱や潰瘍、リンパ節腫大がある。中期症状として発熱、接触部側の筋力低下・麻痺。甥は今この中期症状の段階なのだろう。晩期症状としては二十四時間以上の頭痛、悪心、嘔吐、意識障害、脳炎がある。


 今タクシーで向かったのは恐らく病院。そこでBウイルス感染の診断が付くだろうか。いや、そうは思わない。世界でも50例ほどしか症例が無く、日本でも2019年にサルを扱う動物実験施設で一例確認されたのみ。もし気付いたとしても初期段階は超えている。アシクロビルとガンシクロビルの効果も思わしくないだろう。


『死ぬかな?』

『致死率は50%だけどね』

『見届けたいんだけど』

『俺も症状が進行していく様子を見たいけど、病院まで行くわけにもいかないだろ』



 俺は退職前に仕掛けておいた盗聴器で元職場の様子を度々窺い、そろそろ俺達も潮時だと知っていた。甥が意識障害や脳炎までいくのかどうか見てみたいがそうもいかない。Bウイルス感染者と判明すればすぐに感染源の調査が行われる。外傷部が咬傷でもなく、サル飼育に全く関係無い甥が感染していることから、事件も視野に入れられるだろう。そうすれば俺がBウイルスを入手したことも、姉が実行犯であることも、親戚であることも、そして母のことも、何もかも白日の下に晒されることになる。



 さて、引き際はどうしようか。



 自宅に戻った俺達は、それぞれの自室で入手しておいたペントバルビタールを服用し、眠るようにこの世を去った。







 転生して記憶が戻ったのは二歳の時。隣の家のお嬢さんが姉の生まれ変わりだというのにもすぐに気付いた。なぜなら名前がそのままで、どことなく面影があったからだ。


 栗色の髪、ヘーゼルの瞳は転生後の姉と一緒だった。だけどこの世界の両親は全く違う色。運の悪いことにヴィーナスの父親が栗色の髪とヘーゼルの瞳の持ち主だった。


 母の不貞を疑った父は家を出て行き、今世での俺は母子家庭で貧しい暮らしをすることになる。まぁ前世に引き続き俺の感情はフラットで、それで悔しいとか腹が立つということもなかったが。そんなことよりも此処がどの作品の世界なのか、ウイルスに関わっていけるのか、そればかり考えていた。


 三歳で俺は魔法を使えるようになり、構造を原子レベルで理解していれば作り出せることに気が付いた。だがまだまだ上手くコントロール出来ず、母に隠れて自主練の日々。そんな中俺の魔法を目にしたヴィーナスが前世の記憶を取り戻した。


『……やった……! やったねマルス! 私の言った通りでしょう!?』



 姉が記憶を取り戻してから、今世での力関係は前世以上にうんざりしたものになった。ヴィーナスの父は村一番の金持ちで、俺の母はその使用人。子供である俺達も女主人と召使いのようだった。


 それでもお互いに共有している過去がある。ヴィーナスは今世でも自分の気に入らない村人を痛い目に合わせようと俺にウイルス作製の提案をしてきた。


 村人達は俺には親切だから感染させたいとは思わない。だけどウイルスを創ること自体は当然してみたい。毎日人知れず練習して、やっと創り出したのは六歳の冬。RNAとカプシドだけのシンプルなポリオウイルス。


『出来たの!? 頂戴!』

『どうする気だ』

『うるさい。あんたはうちの使用人の子でしょ。口ごたえすんな』


 都合のいい時だけ双子ぶり、都合が悪くなると女主人のように振る舞う。今世でのヴィーナスはさらに面倒な人間になっていた。


 ヴィーナスは同時に作っておいた経口生ワクチンを自分と俺の口に入れ、どれくらいで免疫が付くのかと訊いてきた。これに答えたら、その期間が過ぎた頃にウイルスをばら撒くつもりなのだろう。それを分かっていても無理に止めようと思えない自分は、やはりずるくてしたたかな人間のままだ。作ったからには感染の様子を近くで見たいと思ってしまう。生まれ変わったというのに相変わらず俺も異常だ。


 この世界にポリオが存在するか否かは知らないが、正常な免疫系を持っていれば感染しても大多数が不顕性感染、無症状だ。少数に症状が出たとしても風邪のような軽微なもので、中枢神経にウイルスが侵入してしまうのは感染者のたった1%。その中でも麻痺型にまで進行するのは小児で1,000人に1人。成人なら75人に1人。この300人にも満たない村で麻痺にまで至る者はいないだろう。


 そう思っていたのに、村人三名に下肢の麻痺が残り、妊婦一名が死亡してしまった。麻痺が残ったうちの二人は俺の友達、ダンとウォルトだった。


 ほんの少しだけ罪悪感というものが生まれたが、自分が創り出したウイルスが感染性も病原性も持つことに興奮を抑えられない。眉唾物の転生計画を実行した甲斐があったのだ。



 その後も数年かけて動物実験を繰り返し、何故かこの世界で俺が作ったウイルスは感染力が高いことを知った。潜伏期間を左右する氷魔法や時間魔法も取得して、ヴィーナスと共にこの国のあちこちでウイルスをばら撒く計画を立てたのは二年前。実行は王都の魔法学園に入学するために村を出てから。


 村で学園に入学できるほど魔力があるのは俺とヴィーナスだけだった。これも転生チートなのだろうか。努力が嫌いなヴィーナスは簡単な氷魔法と時間魔法は使えるが、ものの原理を理解して無から有を作り出すことは出来ずじまいだった。


 そうして俺達の計画は始動した。


 乗合馬車を途中で降りて馬を買い、『強盗に襲われて歩いて旅をしてきた』という(てい)で六月ごろに王都入りする計画だ。馬で三ヵ月間の間に回れる地域はかなりある。まずは南西部のコリンズ村とレイトン島へ向かおう。コリンズ村は陸の孤島のように辺境地で、感染症が流行してもなかなか外に漏れないだろう。エボラなら街に着く前に死亡するから感染拡大抑止にはさらに適している。レイトン島はそのまま島だから狂犬病感染者は水を怖がって島から出れない筈だ。


 閉ざされた集団内での純粋なウイルスの影響を知りたい。


 だけどすぐに捕まっては面白くない。この世界ではウイルスなんて概念は無いが、流行地域全てに俺達が現れたなんてことになると状況証拠だけで処刑されかねない。俺達が王都に着いてしばらく経ってから発症するよう調整して時間魔法をかけておこう。


 その後も数ヵ所の集落に立ち寄りながらウイルスを放っていけばいい。ああ、胸が躍る。数ヵ月後、俺は王都で学生生活をしながら、新聞で俺のウイルスがもたらした被害を知るんだ。そして最終的には俺の創り出した未知のレトロウイルスを王都で解き放つ。


 メインキャラも、サブキャラも、モブも、同じウイルスで同じように死んでいく。この世界の原作者でもプロデューサーでもない俺が、シナリオの結末全てを変える。俺のウイルスで。




 ウイルス完成の目途はついた。邪魔な存在になるかと危惧した聖女は遺伝子疾患を治せない。であればレトロウイルスで組み換えられた遺伝子も治せないだろう。敵じゃない。相手にならない。



 王都を壊滅させる俺の計画の中には、当然ヴィーナスも被害者の中に含まれていた。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ