168.ヴィーナの不満
ヴィーナが口ごもって黙ってしまうと、横からダンとウォルトが口を挟んだ。
「マルスはバイトもしてないし暇じゃない?」
「せっかく王都に出てきて学園にも入れたんだから、卒業後も王都で働くんだろ? だったら商会長様の言う通り人脈作りは大事じゃないか?」
ヴィーナは二人に冷たい視線を送り、早口で言い返す。
「マルスだってやる事があるかもしれないでしょ?」
ヴィーナの機嫌が悪くなりつつあることに気付いているのかいないのか、二人はマイペースに喋り続けた。
「やる事って何? 俺達は村に帰ったら毎日仕事だけど、マルスは夏休みなんだろ? 生活費だってヴィーナスが稼いでるっぽいし、将来のためにもマルスに人脈作らせといた方がいいだろ。旦那になった後もお前が食わしてやるつもりか?」
「……余計なこと言わないで」
「なんだよ。あ、商会長様失礼しました。ヴィーナスとマルスは小さい頃からずっと一緒で、まぁ女主人と召使いみたいな二人なんですけど、なんだかんだ言って結婚するのかなって俺達は思ってるんです。今も同棲してるみたいだし」
「ダンいい加減にして!!」
キレたね。そうか、一緒に住んでるってバレたくないんだね。だって『なんで寮に入らないの?』って思われちゃうもんね。だって私は学園の先輩だから。
ダンとウォルトに言ったような『知らない人と相部屋になるなんて気が休まらないじゃない』なんて理由、学園関係者は納得しないからバレたら困るよね。
だって女子寮は全室個室だから。
男子寮は個室と二人部屋があるけれど、女子寮よりも寮監が厳しいことで有名で、違反がないか入念な見回りをすると聞いている。
見回りでウイルスが見つかったら困るから入寮出来なかったんでしょう? 誰にも邪魔されずにウイルスを創ってばら撒くには家を借りるしかなかったんでしょう?
じゃあそのウイルスは今どういう状況なのか教えて。
「おいヴィーナス、せっかく商会長様が時間を取って下さったのに怒鳴るなよ」
「ダンが変なこと言うからでしょ!」
「俺だってダンと同じ意見だぞ?」
「ウォルトは黙ってて!」
ヴィーナは気が短い性質らしく、完全に頭に血が上っている。じゃあ貴女が知られたくなかったこと全てをスルーする発言をしてあげよう。
「落ち着いて下さい。きっとヴィーナさんとマルスさんは一緒に支え合いたくて同居されてるんですね。二人とも辛い目に遭ったんですから、一緒に乗り越えた相手と信頼し合うのは自然なことだと思いますよ」
私の言葉を聞いたヴィーナの瞳が『しめた』と言っている。
「……そ、そうなんです! だからなんですよ!」
「もしかしてマルスさんはその件で人と関わるのに抵抗があるんですか?」
「あっ、あぁ、その通りです。私達幼馴染相手なら大丈夫なんですけど、警戒心が強くなってしまって……! なのでボランティアの件も不参加で許していただけませんか!?」
必死だね。これは夏休み中に集中して作業する気なんだね。ということは……
――――まだ最終兵器は未完成ということだ。
完成してるならばら撒きさえすれば王都はパニックになるんだから、私の申し出に適当にOKしたっていい筈だ。OK出来ないってことは、ボランティアで時間を取られるのも、無断欠席して家まで呼びに来られるのも困るんでしょ?
「人と接するのは元々苦手なんですか?」
私の質問に答えたのはダンとウォルトだった。二人はヴィーナに怒鳴られるくらい慣れてるようで、睨まれても平気で話し出す。
「マルスは可哀そうな奴なんです。母子家庭だったので貧しくて、隣んちのヴィーナスには召使いみたいに扱われて。でも勉強は一番出来ましたし有望な奴です」
「同じ世代の男相手には割と喋るんですよ? 十年前のポリオに罹らなかった数少ない村人がマルスです。だからあいつは運も強いと思うし、使える奴になる筈です。どうか商会長様、目をかけてやって下さい」
「ポリオに罹らなかったのはヴィーナスもじゃん」
「ヴィーナスは見るからに運も本人も強い」
「確かに!」
二人が笑い合っているのを拳を握り締めながら見ていたヴィーナは、チラチラと私の顔色を窺っていた。勿論今の話にも動揺なんてしてあげない。
マルスとヴィーナだけポリオに罹らなかった? だろうね。
マルスが勉強が出来る? そりゃあウイルス創り出すくらいの知識を持って転生してきたんだもん。前世では優秀な理系の人だったんだろうね。
だけどそんなことで何か気付いたような顔なんてしない。だからヴィーナ、油断していてね。
「不運な出来事のせいで人と関われないのであれば、ボランティア活動で少しずつリハビリするのは最適です。元々は人と話すのが好きなようですし、皆さんの優しさや返される感謝に触れれば心も解れるのではないでしょうか」
女神のごとく微笑むと、ダンとウォルトは拍手して賛成してくれた。ヴィーナだけは死んだ目をしているけれど。
「せっかくですが……予定があると言ってた筈なので無理だと思いますよ」
「では夏休み二週目からはどうですか」
「難しいと思います」
「三週目は」
「さぁ分かりません」
「そうですよね、マルスさんの予定をヴィーナさんが全て把握してる訳ないですし、明日呼び出した時に本人に聞きますね」
「…………っ!」
毎日作業しても三週目までは完成しないということだろうか。じゃあ邪魔をすればもっと遅くなるということだよね。それだけあれば証拠を見つけて捕まえられるかもしれない。
「商会長様、今日は俺達のせいで本当に申し訳ありませんでした」
「俺達は三日後に並んで購入させていただきます。購入出来たら弟妹が描いた絵を手紙を付けてここに送ります」
ダンとウォルトはもう話は終わったと判断したのか、私に深々と礼をして席を立った。
私としてはどんなウイルスなのかもうちょっと引き出したいんだけど、もう難しいかなと思った時だった。
小さな声でヴィーナが吐き捨てた日本語。
「うっざ……さいぼうぼろぼろにしてやるからな」
「何か言ったか?」
「ううん、別に。あんた達のために来たけど、もういいみたいだし行こう」
「全く無鉄砲な奴だな。お前も商会長様にお礼言えよ」
ウォルトに注意されたヴィーナは私に向き直り、まるで淑女のような礼をした。まるで、当てつけのように。
「この度はご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした。お話出来て光栄でした。第二王子殿下のご活躍を心よりお祈りしております」
言い終わって顔を上げた瞬間の『ふん!』という表情。塁君が活躍したら困るくせにね。
それにしても『細胞ぼろぼろにしてやる』か。曖昧な気もするけど塁君に伝えれば何か気が付くこともあるかもしれない。
応接室のドアを開けると、ロビンとサラが待機していた。二人とも会話が聞こえていたようで、ロビンは無礼者をみる目でヴィーナを見下ろし、サラは憎しみをこめた目を向けていた。サラの反応は過剰な気もしたけれど、同級生だし私には分からない何かがあるのかな、と思った瞬間だった。
「ヴィーナス……?」
サラが呟いた。会話が聞こえていて疑問に思ったのだろうか。
「……気に入らない名前だったから変えただけ。何か?」
それだけ言ってヴィーナは二人を引き連れて帰って行った。サラがぶるぶる震えて拳を握っているのに気付いているのは私とロビンだけだった。
◇◇◇
「じゃあ、ヴィーナスまたな。マルスによろしく言っといてな」
「俺ら三日後に帰るわ。適当に観光して帰るからもう会えないかもしれないけど、お前の家族に伝えることとかあるか? お前手紙も碌に書いてないんだろ?」
「あんた達には頼まないからいいわ」
「なんだそれ」
エミリーの商会を出たところで、ダンとウォルトはヴィーナに別れの挨拶をした。ヴィーナは絶不調に機嫌が悪かったが、二人はお構いなしだった。二人が振り返って離れようとした時、思いがけずヴィーナが二人を引き留めた。
「ダン、首に何か付いてるわ」
「えっ? 何? 痛……っ!」
「爪が引っかかっちゃったわ」
「なんだよもー!」
「ウォルトもだわ」
「えっ、いいよ、って……いった!」
「大袈裟ね。ごみを取ってあげたのよ」
「いてぇよ! チクッとしたぞ! 爪切れよ!」
「バイバイ」
何が何だか分からぬうちに、ヴィーナは振り返ることなくさっさと雑貨店へ戻って行った。二人は言われた『バイバイ』の本当の意味にも気付かず、ヴィーナの後姿に手を振った。




