166.招かれざる客
魔法学園の職員棟で、レオはタオルにくるまれた子猫を見つけた。
「この猫はどうしたんですか」
その問いに答えたのは、慌ただしく身支度をしている救護室の職員だった。
「生徒が連れてきたんですけど何をしても回復しないんで、今から動物専門の治療師の元へ連れて行こうと思ってるんです。だけど動物に関しては私は疎いもので……誰か腕のいい治療師をご存知ありませんか」
そう言われて思い出すのは当然婚約者のアリス。
「一人知ってますけど診てもらいましょうか」
「本当ですか! あぁ助かります。かなり弱っているからすぐにでもお願いしたいのですが、レオ君はお時間大丈夫ですか」
「品評会も終わりましたし大丈夫ですよ」
今にも命の火が消えてしまいそうな子猫を抱いて、レオはすぐに一般クラス三年の教室へ向かった。
「わぁ、アリスちゃん! レオ君が来たよ!」
「ぇええっ!?」
三年間で初めて教室に来たレオを見て、慌てたアリスは立ちあがった拍子に派手に椅子を後ろに倒した。ガターン!という音が教室に響き渡り、クラス中が一斉にアリスを見る。
「アリスちゃん、落ち着いて」
「だだだって、レオが会いに来てくれるなんて、こ、これは夢? ちょっと私のほっぺ叩いて」
「わかった」
クラスメイトに思い切りバシンと叩かれて夢じゃないと気付いたアリスは、あちこちにぶつかりながら入口に急いだ。
「レオー!」
「あ、アリスさん。今少しいいですか?」
「いいよ! いいに決まってる!」
レオの腕に抱かれた子猫を見て、アリスはほんの数時間前にマルスが連れてきた子猫だと気付いた。全く回復していない様子を見てサァッと血の気が引いていく。
「この子……! レオ、この子どうしたの!?」
「救護室の職員から預かったんです。生徒が連れてきたそうですが、何をしても回復しないらしくて。それでアリスさんにお願いしたくて来ました」
「かけたの! 光魔法! さっき私もマルスに治してって中庭で言われて、その時この子に光魔法使ったの! なのに全然良くなってない……!」
「マルス君ですか……?」
みるみる顔色が悪くなるアリスを見て、レオは推察した。
「アリスさん。ひょっとしてアリスさんが遺伝病を治せないことを何処かから知ったマルス君が、事実かどうか確認に来たということですか」
「わか、分かんない。けど、治ってないってことは、この子は遺伝病なんだと思う……」
「遺伝病の猫をこのタイミングで偶然見つけたとは考えにくいですね。八取芹那と同じように、マルス君自身が遺伝子に何かした可能性がありますね」
「どうしよう、バレちゃった。バレたらまずい相手にバレちゃったよ……!」
アリスはセリーナの事件を思い出して恐怖が蘇ってきた。芽吹かない作物も、病に苦しむ人達も、自分の光魔法じゃ救えなかったあの無念さ。
しかも今回はウイルスを創り出すような相手。セリーナの時はルイ王子とヴィンセントが被害者の遺伝子治療をしたけれど、今回の対象はウイルス感染者で、その数は桁違いなのだ。
感染者が出てから治療薬とワクチンを作るやり方では後手になり、その間時間魔法を使い続ける魔術師団の負担もある。これ以上新しい感染症が拡がったら追いつけなくなるのではないだろうか。
今現在、この世界でそれが出来るのはルイ王子たった一人。補佐としてネオがいるけれど、最初にそれを成し遂げるのはいつもルイ王子だけ。
アリスはマルスが作ろうとしているウイルスが何なのか分かった気がした。もしも自分の予測が当たっていたら、光魔法で治せる気がしなかった。
「ウイルスで遺伝子を変化させることは可能なんですか?」
「……うん。自分の遺伝子を感染者の遺伝子に組み込むやつがいるの……」
そんなものをマルスが創れるのだろうかと疑念が湧きかけたが、きっと創る気だから子猫で確認したのだろうと確信した。
遺伝子に影響しない感染症なら光魔法で全て治せる。聖女でも治せない感染症じゃなければ被害は拡がらない。大きな厄災をもたらすためには宿主細胞に遺伝子を組み込むウイルスを使うしかない。自分の理解が足りないせいで穴がある光魔法。
「レトロウイルスを創るんだと思う」
アリスはすぐに早退して、子猫を抱いて王城へ急いだ。
◇◇◇
放課後、私はそのまま商会へ顔を出した。だって今日はヴィーナが幼馴染二人を連れてうちに来るって言ってたから。その時に備えて皆に指示を出しておかなければいけない。
気軽に話しかけられないよう私は執務室に籠る予定。対応はロビンにしてもらうよう手筈を整えた。
「エミリー様、ご心配には及びません。何一つ探らせないよう対応しますので」
「ロビン、よろしくね。ロビンもくれぐれも気を付けてね」
外がだいぶ暗くなった頃、一階から騒がしい声が聞こえてきた。耳を澄ますとヴィーナとサラが言い合っている声が聞こえてくる。
来た。遂に来た。
「だから、ここでは小売りはしてないの。お店に並んでる商品を買ってもらえないかな」
「サラ、同級生のよしみで何とかならない? お店だって正面のご近所さんじゃない。色鉛筆をたったの二箱融通してくれればいいの。ここの商品なんだし在庫あるでしょう?」
「そういうことしてたらキリがないの。それに私は単なる短期雇用の職員だから、とてもじゃないけどそんな権限ないから」
「じゃあさ、商会長のエミリー様を呼んでよ」
「はっ、はぁあ?」
「先輩後輩のよしみじゃない。直接お願いする」
「なんて無礼なの!」
来た来た無茶苦茶なリクエスト! そうやって私と接触してあの手この手で塁君のこと探る気なんでしょ! どこまで薬で治せるのか誘導尋問する気でしょ!
そうはいくか。出でよロビン。
「サラ、何の騒ぎだ」
「あ、ロビンさん!」
私の指示通りサラは対応をロビンに任せ、それ以上ヴィーナに絡まれないよう奥へ引っ込んだ。
「君は向かいの雑貨店の店員だね」
「はい。ここの面接にも来たことがあります。残念ながらご縁が無かったんですけど、今は向かいの店で働いています。今日は遠くから来た幼馴染二人のために、色鉛筆二箱を何とか都合していただけないかと思って来ました。あの、エミリー様とお話しすることは出来ませんか?」
「何故会長が君と話さねばならない?」
「同じ学園でずっと憧れていました。一度お話したいと思ってたんです」
「それとこれとは別問題です。会長はお忙しく、軽々しくお会いできる方ではありません。ここで販売を行わないのも当商会の決まりですので、何を言われても売ることは出来ません。お引き取り願います」
感情のこもっていないトーンでロビンが淡々と言葉を発する。
「ヴィ、ヴィーナス、もういいよ」
「諦めるから無理言うのやめろよ。失礼だよ」
ダンとウォルトが戸惑っている声も聞こえてくる。そうだよね、あの二人はヴィーナの企みに利用されているだけなんだ。ここでロビンへの指示が活きてくる筈。
「君達はいつ王都を出るんだ?」
「あ、俺達は三日後に王都の南から出る乗合馬車を乗り継いで帰る予定です」
「そうか、ちょうど三日後に南にあるスペンサー商店という大店で、色鉛筆が200箱発売される。開店は朝十時だ。そこなら手に入るかもしれない。行ってみるといい」
「……はい! ありがとうございます!」
「よかったぁ。ヴィーナス、俺らそこに並んで買うよ。だからもういいぜ。ありがとな」
そう、王都一帯の色鉛筆発売スケジュールを完全に把握しているロビンだけに可能な作戦。彼らが立ち寄れて手に入りやすい店を、ヴィーナが茶々を入れてくる前に即座に紹介すること。
これでこの商会に居座る理由は無くなった。さあどうするヴィーナ。帰れ帰れ。
「……今ここで都合していただければ、脚の悪い二人が無理する必要もないんです。どうかエミリー様に直接お願いさせて下さい」
帰らないのねー……。
逆に言えばそれだけ塁君の情報が必要で、あっちも脅威に思っているってことだ。薬やワクチンを開発されちゃ困るんだね? 嫌がらせや脅迫じゃなく、大勢の王都の人間に被害を与える気なんだね?
今夜また潜入しようと思っていたけど、こうなったら今お望み通り対決してあげよう。私から情報を引き出したいようだけど、私が情報を引き出してやる。これは私に与えられたチャンスなのかもしれない。
私は意を決して階段を降りて行った。
「私をお呼びですか」
さぁヴィーナ、かかっておいで!




