165.治せない聖女
クリスティアン殿下とローランドは真夜中だと言うのに真剣に話し合っていた。
「何でもいいから罪を見繕って引っ張ってこようか」
「ですが万が一その最終兵器が完成していた場合、捕まる前に自暴自棄になってその場で放つ恐れがあります。そうなると捕縛に向かった騎士団から感染が始まるでしょう」
そうか……確かにそうだ。『さっさと完成させなよ』ってヴィーナが言ったから完成はまだ先だと思い込んでいたけれど、ひょっとしたら今この瞬間にも完成させてしまったかもしれない。
ウイルスを持ち歩いているんだとしたら、あの二人の匙加減一つで王都は大きな被害を被る可能性がある。しかも何の躊躇いも感じなさそうなあの二人。
どうしたらいいんだろう。セリーナの時は塁君が身を隠して麻酔を使い、セリーナを眠らせたまま確保した。でもあの時だって心配で心配で仕方なかった。出来れば危ないことはしないで欲しい。
せめて『もう完成したのか』『まだならいつ完成するのか』『どんなウイルスなのか』『王都の何処でばら撒くつもりでいるのか』が分かれば。
潜入はすぐにでも必要だ。また明日の夜に決行しよう。一分一秒でも早く。マルスだって一晩中起きてることは無い筈だ。明け方には流石に寝るに違いない。
そう思って私もとりあえずひと眠りして学園へ行き、アリスと中庭で落ち合い聞いてみたら、なんとマルスは授業中に眠っているらしい。何しに学園来てるんだ! ちゃんと家で寝ろ!
「先生達にいっつも叱られてるみたいだけど、女子達はそれが可愛いとか言ってるんだよね」
「授業中に居眠りするのが可愛い……?」
「母性本能がくすぐられるとかなんとか」
解せぬ。
困惑してたら一般クラスの校舎の方から人影が近付いてくるのが見える。アリスが『げっ』と言ったので首を傾げると『噂をすれば影ってやつね』と溜め息をついている。まさかと思って目を凝らすと、逆光で見えにくいその人影はなんとマルス本人で、あろうことか私達に向かって歩いてきた。
な、何で? 私が昨日のネズミだなんて分からないよね? もしかしてバレた? とにかくこっち来んな!
「アリス先輩ですよね? 聖女様の」
用があるのはアリスにだったらしい。焦った。だけど探りにきてるんだとすぐに気付いた。『聖女もどこまで治せるか探ってみないと始まらない』ってヴィーナが言ってたから。
「そうだけど何か用?」
「さっきそこで具合の悪そうな子猫を見つけたんです。治してあげてくれませんか?」
「子猫? 具合悪いの?」
マルスの手の中にいる子猫は本当にぐったりしていて、もう虫の息に見える。烏や他の猫にやられたのかと思ったけど、外傷があるようには見えない。悪いものでも食べたのだろうか、と考えたところでマルスが何かしたのではと嫌な考えが頭を過る。
「わかったすぐに治す」
アリスが胸の前で祈るように手を組み光の魔法を発動させた。キラキラと金色の光の粒子が子猫に降り注ぐ。
「もう大丈夫。放してあげたら?」
「ありがとうございます。餌をあげてからにします」
そう言って私達に背を向け、何故か子猫を隠すようにしながらすぐにマルスは行ってしまった。僅かに見えたその手の中の子猫は、私の目には回復しているようには見えなかった。
◇◇◇
「な、何だと? エミリーがお前らのところに来ただと?」
朝早うからローランドの野郎が研究室に顔出して、めっちゃ不愉快な報告をしてきよった。えみりの夫である俺が! もう二週間半も愛するえみりに会えてへんいうのに! なんで自分が俺のえみりと喋れとんねん!! なんでや!!
「私どもに嫉妬するのはおやめ下さい」
「うるさい。俺はもう限界に近い」
「ルイ殿下のご尽力には本当に頭が下がります。国民の健康はルイ殿下のお力に他なりません」
「感謝なんていい。エミリーに会いたい」
「会わせて差し上げたいのは皆同じ思いですが、先にご報告しなければならないことがあります」
なんやねん。もうすぐ全部の作業が終わるとこやっちゅうのに邪魔くさいな、なんて思うとったら、俺のえみりがめっちゃ危ないことしとって俺の作業の手は止まってもうた。
「な、な、なんて?? エミリーが、せ、潜入???」
「はい。ご自分で使命感を感じて行動したようです。ですが日本語が分かり、小動物に変化出来るのはエミリー嬢だけですので、危険ではありましたが貴重な情報に感謝してもいます」
「俺だってネオだって出来る!」
「お二人は国民の命を守るために、全ての時間を治療薬の開発に費やして下さっていたではないですか。だからこそエミリー嬢は自分も役に立ちたいと思われたのでしょう」
「諜報員は何をしてた? 何故みすみす危ない目に合わせた?」
「諜報員は危険からは身を呈して守りますが、護衛対象の行動を左右する権限はありません」
「くそっ!」
えみりがそこまでして得てくれた情報。いったいどないなことを見て聞いてきた?
ローランドの報告を全て聞き終えた俺は、平静を装うので精一杯やった。マルスがえみりを実験動物にしようとしたやて? 何に感染させる気やった? 俺の知らんとこでえみりが苦しむ姿を想像して、腹の底からの怒りと胸の痛みが沸きあがってくる。クソウイルス野郎、ぶっ殺したらなあかんな。だいたいあないに可愛らしいエゾナキウサギがネズミに見えるか? えらい節穴な目や抉り取ったろか。捕まえようとした腕も斬り落としたる。まぁ、俺があげた指輪えみりがしとったら、捕まえられる寸前にマルスが吹っ飛ぶんやけどな。
それにしても……。
「聖女が遺伝子は難しいって言ったのをマルスは知ったんだな」
「はい。ルイ殿下とアリス嬢を探るつもりのようです」
「俺がどの感染症の治療薬まで作れるか、聖女が本当に遺伝病を治せないのかってことを探る気なんだな」
俺の件はギルモア領とレイトン島について探れば分かることや。せやけどアリスが遺伝病を治せへんのを調べるには、誰かの遺伝子いじってアリスの前に連れてくる方法しかあれへん。嫌な考えやけど実際マルスはそうするやろう。
俺が治療薬を作れへん感染症で、遺伝子をいじるウイルス。
あぁ、そうか。分かったで。
「――マルスは未知のレトロウイルスを創る気だ」
それに気付いた俺は、またしばらくえみりに会えへんことに絶望した。
◇◇◇
「ふっ、はははっ、『遺伝子は難しい』か。本当に治せないんだな!」
マルスは手の中の子猫を眺めて満足げに破顔した。子猫の状態は一向に良くなっていなかったからだ。『敵じゃない。相手にならない』と確信してマルスは笑いがこみ上げるのを隠せなかった。
その時、同じクラスの女生徒達がマルスを見つけて駆け寄ってきた。
「マルスだぁ~。こんなとこでどうしたの? あ、猫ちゃん。可愛い~♡」
「病気みたい。世話してあげて」
「いいの? こんなに可愛いのに可哀想〜。救護室に連れて行ってみようかな」
「そうだね。そうしてあげて」
「一緒に行こ♡」
「俺は宿題やらなきゃ」
「またやってきてないのー? 私の写す?」
「ヴィーナに怒られるから自分でやる」
「もう。ヴィーナなんて薔薇園のレオ君狙ってるし気にしなきゃいいのに」
「いいんだよ」
女生徒達を置いてマルスは一人教室へ戻った。そこにヴィーナは居なかったが、レオの元へ行っていようと気にもならない。聖女の婚約者であるレオに近付くのは、今となっては聖女を探るのに都合がいい。
『だけど聖女が遺伝病を治せないなんて重大な情報は、ヴィーナじゃなく俺が先に確認したんだ』
ヴィーナがレオに媚を売って聖女の情報を引き出そうとしても、自分は誰に媚びる事もなく少しの労力で価値ある情報を掴んだ。そう思うとマルスは優越感で気分がよくなった。
『俺の最終兵器は聖女様でもお手上げ。皆死ぬ。ヴィーナもね』




