164.捕まってたまるか
はっ、はぁあ? 実験台だと? 医学院の生徒みたいなこと言うな! そんなの言われ慣れてるんだからね!
一気にダッシュして壁の穴を目指すと、マルスもそれが分かったのか穴の前にダン!と足を置いて穴を塞いだ。い、嫌なヤツ~! ドッジえみりをなめんな! 伸びてきた手を華麗に躱し、家の奥まで走って家具の裏に隠れた。埃がすごいけどむせちゃいけない。居場所がバレる。
足音が近づいてきて『ネズミ~、何処だよ。俺の役に立たせてやるぞ~』とか言ってる声がする。ばーかばーか、この極悪人め! お前の役に立ちたいんじゃなくて塁君の役に立ちたいんだよ!
ミシッミシッと床板がきしむ音。私が隠れている家具の方向へ向かってくる。でも私の頭の中では『こっちから来たらあっち側から抜けて逃げる』『あっちから来たらこっち側から抜けて逃げる』という算段が出来上がっている。ふはは。
よぉし、こっち来た!と反対側へダッシュすると、視界が急に変化し逃げ道が塞がれた。マルスが近付くと同時に家具を壁まで一気に押し、反対側の隙間を塞いだのだと気が付いた。
「ほら、もう逃げられない。デブネズミ、観念しな」
く、くっそ~!
壁と家具の隙間にマルスの腕が入り込んでくる。薄暗い中で微かに見えたのは勝ち誇ったマルスの表情。捕まってたまるか。
捕まえようと伸びてきた腕の上に素早くジャンプし、最高速度でマルスの頭まで駆け上った。頭頂部に着くと思いっ切り後ろ足で頭を蹴り飛ばし、反動をつけて床に飛び降りてやった。この小さい足じゃ全然痛くないかもしれないけれど、これは尊厳の問題だ! ネズミに頭を蹴られる屈辱を存分に味わうがいい! (本当はナキウサギだけどね!)
「こいつ! 待てよ!」
壁の穴を目指して居間へ向かう私の後ろを、バタバタと追いかけて来るマルスの動きを止めたのは、夜中だというのに遠慮のない大きなノックの音だった。
玄関の扉をダンダン!と思い切り叩く音が響く。
「え? 誰? 何?」
マルスが怯んだ隙に私は穴から無事に逃げ出し、外に出てから玄関をチラ見すると知らない酔っ払いが立っていた。
「おぉ~い、開けてくれよ~! 亭主のお帰りだぞ~!」
2㎝くらいドアを開けたマルスが『家、間違えてますよ……』と返事をしても酔っ払いは引かない。
「なんだお前は! 俺の家で何してんだ~! さては間男か~!?」
「いや、貴方の家ではないです……。先月から俺が住んでますから。間男ってなんですか」
「あぁ? ここは俺の家だぞ! ほら扉には俺が付けた傷がだな~、あれ?」
「分かりましたか? 家間違ってます……じゃあ」
「あれぇ? そっかぁ、悪かったな~。じゃあな~」
酔っ払いは千鳥足でふらふらと別の通りに向かって行った。酔っ払いさん、ありがとう。草むらの中で前足を合わせて拝んでいると、後ろからふわりと優しく誰かの両手で包み込まれた。まずい。また別の全然知らない誰かに捕まった。可愛いナキウサギをペットにしようって魂胆か。
恐る恐る振り返ると、神がかり的に美しい顔をした黒ずくめのジュリアンが焦った顔で跪いていた。
「エ、エミリー様、ご無事で……」
「ごめん」
「すぐに戻りましょう。城までそのままのお姿でいて下さい」
元々変化の魔法は1時間52分しかもたなかった私だけど、塁君がくれた指輪には魔法補助と魔力アップを含む七種類の魔法がかかっている。そのおかげでマルスの家に潜入してから既に4時間経っているけれど、私はまだナキウサギの姿のままでいた。
ジュリアンの胸元に大事に入れられて城まで移動している途中、ジュリアンのお師匠さんが合流した。結婚祝いの時に初めてお会いしたその人は、幼い頃から塁君をずっと護ってくれているベテラン諜報員だ。
「師匠、お見事でした」
「あの程度で褒めるな」
なんのこっちゃと思っていたら、どうもさっきの酔っ払いはお師匠さんだったらしい。思わず再び前足を合わせて拝んだ。
「ありがとうございました……間一髪でした……」
「エミリー様が出てこないままなのに、マルスの影が不自然に動きましたので」
「私が潜入してるっていつから気付いてました?」
「最初からです」
「…………」
二人が言うには、私や塁君がすることは基本何でも好きなようにさせて見守るスタンスらしい。危険があれば都度護るけど、アクションを起こす前に止める権利は諜報員には無いのだとか。
夜中城をこっそり抜け出してやる気満々だった私。ずっと陰から見られていたのかと思うと恥ずかしい。
「それで何かお分かりになりましたか」
「は! そうです、大変なんです! すぐに塁君に教えなくちゃ!」
「まずは一連の対策本部の指揮を執っておられるクリスティアン殿下とローランド様にお会いになるのがよろしいでしょう」
「この時間ですが大丈夫ですか?」
「お二人ともずっと執務室にいらっしゃいます」
なんてこった。今深夜だよ。皆この疫病の対策に追われ続けてるんだ。早く私が聞いたことを伝えてあの二人を逮捕して欲しい。
城へ着くと私は真っ直ぐに執務室へ向かった。
「エミリー嬢、こんな夜分にどうしました」
「エミリー? あぁ、久しぶりだね。どうしたんだい」
驚いて立ち上がったローランドとクリスティアン殿下は見るからに疲れ切っている。
「一刻も早くお伝えしたいことがあります」
私はさっきマルスとヴィーナの家で見聞きしたこと全てを二人に話した。
◇◇◇
「今は危険なことをしたと咎めることはしません。確かに日本語が分かり、小動物に変化出来るエミリー嬢にしか得られない情報です」
「彼らの村からコリンズ村とレイトン島を経て王都まで、馬で三ヵ月かけて回れる距離にある全ての場所で疫病が発生していないか調査が必要だね」
「それにしても最終兵器とは何でしょう」
「エボラや狂犬病以上に危険なウイルスがあるのかな」
「私がルイ殿下に習った中にはHIVなどがありましたが、潜伏期間が非常に長いので発生したと明確に判断出来るとは思えません」
「いずれにしてもその最終兵器が完成した後は王都で放つ計画なんだろうね」
あの二人が故郷から王都までの各地でばら撒いてきたウイルス。そして王都で作り出そうとしている最終兵器。間違いなく王都で決定的な行動を起こそうとしている。『それさえ出来ちゃえばうちらの時代』とヴィーナは言った。まさかこの王家や貴族社会を覆すほどのものなのだろうか。それほどの死者が出る……?
背中に悪寒が走り、もっとその最終兵器についてのヒントを得なきゃいけないと心底実感した。どんなウイルスをいつ頃放つのか。あと一歩の情報が欲しい。だけどロビンに聞いた話では、二人が留守の時にはラボノートもウイルス自体も何も見つからないのだという。だからいつも持ち歩いているのではないかと。
そして昨日は幼馴染二人が雑貨店に現れて、急遽二人の家に招かれたのだと聞いた。ロビンが窓から唇を読んで書き留めた会話を見せてもらい、何気に気になった言葉がある。
『ヴィーナス』
幼馴染二人はヴィーナのことをヴィーナスと呼んでいた。
転生者は前世の名前をもじったような名前。だからヴィーナとマルスってキラキラネームなのかなって思ってた。だけどヴィーナスだったなら。
キラキラネームといえばそうなんだけど、それよりヴィーナスとマルスなら意味がある。前世でそれはローマ神話の神様の名前。ヴィーナスは愛と美の女神。マルスは戦いの神。そんな名付けで他人だっていう可能性より、血縁の可能性の方がよほど高い気がするのだ。
恋人がいるのに他の男性達にちょっかいをかけるヴィーナス。学生なのに同棲しているヴィーナスとマルス。これって元兄妹なんじゃないのかな。それならネーミングセンスの件も納得できる。
兄妹で転生してまでウイルスなんか作って、たくさんの人の命を奪って。同じ転生者として許せない。この世界は私の大好きだった『十字架の国のアリス~王国の光~』の世界。前世の知識を悪用し、私の大切な人々が住むこの世界を壊す彼らを許さない。
私はもう一度あの家に潜入しなきゃいけないと腹をくくった。




