163.脱出せよ
「そういえばこの前、西部のミラーの街出身のお客さんが来たんだけど、最近あそこで酷い肺炎風邪が流行したんだって? うちの村からも近いし心配してたの」
ヴィーナがそう言うとほろ酔いのダンは笑いながら返答した。
「そんなの第二王子が作った薬があるから大丈夫だよ~!」
「第二王子?」
「知らないの? 第二王子が医学に精通してるって」
「知ってるわよ。王立医学院を作ったんでしょ」
「作っただけじゃなくて~、教師でもあるんだよ~!」
「それも知ってるわ。でも薬ってどういうこと?」
ヴィーナとマルスが飲み物を飲む手を止めて耳を澄ましていることにも気付かず、酔ったダンはご機嫌で続けた。
「冬に流行る肺炎の風邪あるじゃん? あれに効く薬を作ったのは第二王子なんだって! 先週初めて第二王子が村にいらっしゃった時に、うちの先生が興奮して言ってたんだよ~! すげぇよな!」
「第二王子って十八歳よ?」
「だからぁ、第二王子が五歳の時に作ったんだって!」
「……ちょっと信じられないけど、でもそんな薬があったって流行してしまえば平民には回ってこないわ」
「うちの村ではあんまり流行ったことないけどさ、たまに患者が出てもすぐ先生がその薬飲ませて入院させてたからみたいだよ? 先生のとこに普通にたくさん薬あるってことじゃない?」
「……そうなの?」
「そうそう、って言っても俺達も一週間前に先生から聞いて初めて知ったんだよ。他にも色んな薬作って無償で国中の診療所に配布してるんだって。そのおかげでうちの国は平民にも疫病が流行ることが他国よりずっと少ないんだってさ。有難いことだよなぁ」
ヴィーナとマルスは絶句して顔を見合わせた。『そんな話を読んだ覚えはない』とお互いの瞳が語っている。
「ミラーであの風邪が流行ったなんて噂聞いてないし、勿論うちの村でも誰も罹ってないから心配いらねぇぞ~! だいいち今は夏じゃん! あれは冬の風邪だろ? ヴィーナスの勘違いだな~」
「そう……それなら良かった」
酔っているダンとウォルトは静かになったヴィーナに違和感を感じることなく、初めての王都と幼馴染との夕食、何よりまだ慣れない均整の取れた両脚にふわふわとした気持ちで過ごしていた。
「俺達の村でも十年前に酷い胃腸の風邪が流行っただろ? あれは風邪じゃなかったんだよ。ポリオっていうんだってさ」
ウォルトの言葉にマルスの眉がピクッと上がる。
「そうなのか? それも第二王子が?」
「ああ」
「へぇ……知らなかったよ。ポリオか」
十年前に初めて自分が創り出し、故意に世に放ったウイルス。それがもたらした感染症を遂に見抜く者が現れた。マルスは昂ると同時に、絶対に邪魔させてなるものかと闘志の火種が灯るのを自覚した。
「もうこんな時間じゃん。俺達そろそろ宿屋に戻るよ」
「ごちそうさま~、美味かったよ~。へへ~」
「二人とも酔ってるから気を付けて帰ってよ」
玄関まで見送ったヴィーナは次の日も雑貨屋に来るよう二人に提案した。
「なんで? 色鉛筆売ってなかったじゃ~ん」
「店長が発売前の予約に出遅れて、すごい後にならないと入荷出来ないの。だけどね、うちの店の向かいが色鉛筆を作った商会なのよ。ご近所のよしみで一緒にお願いに行ってみない?」
二人はヴィーナの提案にまんまと乗って、次の日も店に行く約束をして帰って行った。
扉を閉めた後、片づけをしながらマルスが尋ねた。
「商会行ってどうすんの?」
「邪魔されんのウザいから登場人物に関わらないようにしてたけどさ、こうなったら敢えて関わっていこうと思うわ。第二王子がポリオを知ってたりインフルエンザの薬作れたって、エボラの前では脅威じゃないかもしれないでしょ。聖女もどこまで治せるか探ってみないと始まらない」
「……だよな。流石にエボラと狂犬病には打つ手なしだよな」
「ミラー領のインフルエンザが防がれても、他にも道中色々ばら撒いてきたんだから」
「俺の十年間の成果、こんなどっかの物語の世界で封じ込められるヤツがいるわけないな」
「まぁとにかくあんたは最終兵器さっさと完成させなよ。それさえ出来ちゃえばうちらの時代なんだからさ」
「わかったって」
ヴィーナは早々にベッドに入ったが、マルスはその日も遅くまで作業に取り組んだ。
◇◇◇
不肖エミリー・ハートリー、もといクルス。大変なことを聞いてしまった。
今私はなんとヴィーナとマルスがいる部屋の戸棚の隙間に隠れている。ナキウサギの姿で。
塁君のことを探るために明日うちの商会に来るらしい。いやいや来ないで。
しかもエボラと狂犬病って言ってた。犯人と何処かで関わってしまっただけなのか、全く関わっていないのにバタフライエフェクトで巡り巡って大きな災いになったのか、なんて言っていたのに真犯人じゃないか!
というか狂犬病!? エボラ以外にもそんなのが発生してたの? 塁君とは二週間会えてないし連絡もとってないから知らなかった。アリスが一週間前に王宮に呼び出された後欠席していたから、ギルモア領に治癒しに行ったんだと思ってはいた。だけどアリスが学園に来ても、塁君も攻略対象者達も未だに欠席が続いている。そういうことだったのか。
多分塁君は治療薬とか作ってて、ローランドは対策に奔走してて、ヴィンセントは現地で魔法の調査とかしてて、ブラッドは王都の防衛とかしてるんだ。
ミラーの街のインフルエンザ。どうやら元々あったお薬のおかげで流行しないで済んだみたいだけど、他にも道中色々ばら撒いたって言ってた。道中って王都に来るまでの間にってこと? 西部出身の二人が国の中心にある王都に来る途中、徒歩なのに遠回りになる南西部のコリンズ村に行くなんておかしい。コリンズ村に寄ったら王都に来るまでもっともっと時間がかかる筈。
こうなってくると何もかもを疑ってしまう。徒歩じゃ無理だけど、馬なら可能だよなぁと思ってしまう。だとしたら盗賊云々は作り話なのかな。ロビンが不自然だと感じていたように、借家を借りるためのお金は盗まれてなかったんだ。
先月初めから二人は王都にいたけれど、王都に来るまでの間にばら撒いたなら、もっと早く感染症が発生していたのでは。発生時期が合わないのはどうして?
『色々ばら撒いた』の『色々』も問い詰めたい。エボラと狂犬病以外にも何かあるの? それに最終兵器って何?
とにかく塁君に知らせなきゃ。
出るに出られず夜まで待った。ヴィーナは眠ったようだしマルスも没頭して何かしている。今がチャンスとゆっくりゆっくり移動した。目指すはダイニング兼リビングの壁の穴。借家が古びていたおかげで入り込めた。
だってゼインの部下さん達も、諜報員達も、ここを家宅捜索しても何も見つけられないって聞いたから。
塁君もネオ君も研究室にこもりきりだし、アリスは人の命を助けている。レオはそのアリスを支えている。私だけが役に立っていない。だから私が家宅捜索しようと思ったのだ。
私なら日本語が分かるから。
何処かに小さく書かれた日本語があるんじゃないかと思ったから。二人きりの時に話す日本語での会話の中にヒントがあるかと思ったから。変化の魔法を使えて元日本人の私がやるしかないと、役に立ちたいと思ったのだ。
ゆっくり音を立てないように一歩ずつ手と足を進めていく私。四足歩行だけど手足が短く、一歩がちょっと過ぎで思いのほか時間がかかる。壁沿いに進んであと5mという時に、ギシッという床がきしむ音とともにマルスの声がした。
「ネズミじゃん。デカいし実験台にするか」
ナキウサギの私が振り返って見た光景は、ランプの明かりを背にしたマルスの暗い影だった。




