158.それぞれの一週間
魔術師団がギルモア領の時間を止めて三日経った時やった。まだ完成してへんエボラワクチンrVSV-ZEBOVの代わりに、領民の遺伝子をいじったらどないやって案をヴィンスが出してきよった。
「確かエボラウイルスに感染するにはNPC1という遺伝子が必須だと教えて下さいましたよね。だったらワクチンが完成するまで一時的に領民のNPC1遺伝子を変異させてはどうです?」
ヒトの18番染色体長腕18q11にあるNPC1遺伝子。細胞膜に位置しコレステロールと脂質の移動に関与するタンパク質をコードしとる。エボラウイルスを含むフィロウイルスはNPC1にウイルスエンベロープ糖タンパク質を直接結合させてヒトの細胞に侵入してくる。せやからNPC1は感染を媒介する重要なフィロウイルス受容体いうことや。
確かにNPC1を変異させたら領民はエボラには感染せぇへん。せやけどそう簡単なことやない。
「NPC1は何の責任遺伝子か忘れたか」
俺の質問に答えたのはローランドやった。
「ニーマン・ピック病C型ですね」
ヴィンスもそれは分かっとるようやったけど、致死率と進行の早さを考えて苦渋の判断をしたんやろ。
「そうだ。例え僅かな期間とはいえ難病であるニーマン・ピック病に敢えて罹患させることは許可できない。聖女はまだ遺伝子疾患を治癒出来ないのだから、エボラが終息した後俺達が遺伝子治療したとしても、その僅かな期間で生じた異常が後々どう影響するか分からないからだ」
ニーマン・ピック病C型は12万人に1人の発症頻度の常染色体劣性遺伝。肝臓、脾臓、骨髄の網内系細胞と神経細胞にスフィンゴミエリン、コレステロール、糖脂質などが蓄積し、神経症状、精神症状を引き起こす。何より新生児は予後不良になりやすいし、低年齢であればあるほど神経症状も進みやすい。
「魔術師団の負担は大きいだろうが、もうしばらく堪えて欲しい」
「わかりました。だけどもしまた別の地域で感染が確認された場合、そっちの時間も止めて結界も張らなきゃいけないんです。団員に分け与えている俺と父上の魔力は今はまだ余力がありますが、万が一を考えると第二、第三の作戦も考えておかなきゃいけないと思ったまでです」
ヴィンスの懸念も分かんねん。魔力チートの魔術師団といえども、かなりの負担になっとる筈や。レイノルズ魔術師団長は王都と王家の護りもせなあかんし、常に余力を残したらなあかん。俺の魔力も今は治療薬とワクチンに全振りしたい。
そないな時、俺の向かいにおったネオがあっさりと解決策を口にした。
「アウレリオ様に魔力の提供をお願いしたらいいと思います」
「ネオ、他国の王太子に関与させられない」
「僕はもうこれだけ関わってるんです。だったら婚約者に協力してもらうのは自然なことでしょう。一応こう見えて僕だってベスティアリ王国の未来の王太子妃ですからね」
そうやねん……分かっとるけどネオとアウレリオではまたちゃうやろ、て思てまうのは俺の元同級生への甘えかもしれへん。
「頼れば喜んで下さいますよ。僕ももう三日もお顔を見れてないし、お会いしたいですから」
な、何やと?
「……新妻に会えてない新婚の俺の前でイチャコラしないよな?」
「えっ!? しませんしません!」
「……聞いたからな」
「は、はい……っ」
結局アウレリオは国からの正式な依頼っちゅう形は取らんと、あくまで内密に協力するて言うてくれた。あー、ほんまに有難い。あいつの無尽蔵に湧く魔力やったら、別の場所で感染が確認されても封じ込めなんか容易に出来る筈や。
そうして三日ぶりの婚約者同士の逢瀬がこの俺の目の前で繰り広げられた。
「ネオ、会いたかった」
「アッ、アウレリオ様! ダメですダメです! 離れて! あそこでもの凄い目で見てる人がいますから!」
「え? ほんとだ。ルイ殿下どうしました?」
「羨ましいを拗らせてるだけだ」
心が狭い言われてもええ。イチャイチャすな……!
「ところでルイ殿下、ワクチンの必要性は分かりますが、既に感染している者達は聖女様に治癒してもらうわけにはいかないのですか? 遺伝子疾患は治せなくてもウイルス感染なら治せるのでは?」
アウレリオの質問は恐らくローランド達かて言わへんだけで思てることや。
「聖女の身の安全を第一に考えなければいけない。危険な感染地帯に連れて行き、もし聖女が患者を治せず感染だけしてしまった場合を想定する。感染した聖女にモノクローナル抗体治療をしたとして、それでも死亡してしまう数%に聖女が入ってしまった時、この世界の損失は計り知れない。だからこそ聖女にはワクチンを打ってから治癒に行ってもらいたい。ワクチンと同時に、光魔法が効かなかった場合と、聖女が回り切れない地域のためにモノクローナル抗体も必須だ。だからこの二つが完成するまでは聖女は動かさない」
全員が納得してくれたようや。当然危険なことは分かっとって、聖女とは言うても十八歳の少女にバイオセーフティレベル4の感染地域に行けとはローランドかてよう言えへんねやろ。
「半年かかるものを一週間で作るために今俺も全力を懸けている。あと四日、各自の持ち場で持ち堪えてくれ」
「仰せのままに」
「了解~!」
ヴィンスとアウレリオはギルモア領まで転移して行き、ローランドは兄さんの政策の補佐をするために王城へ戻り、ブラッドは王都までの全ての検問所を強化するために駆け回っとる。
全員が己のやるべきことをやった一週間やった。
◇◇◇
「エミリーちゃん、このエクレア最高に美味しい! 中のチョコレートホイップ最高だよ!」
「良かった! むしゃくしゃしたらスイーツだよね! たんとお食べ!」
アリスは目をキラキラさせてスイーツを食べまくっていた。今この瞬間はヴィーナのモヤモヤとか忘れて幸せを感じていて欲しい。
「ん~! こっちのチーズケーキもトロっとして濃厚~!」
「道産子はチーズケーキにはうるさいよ!」
「確かに北海道はチーズケーキ美味しいもんねぇ。持つべきものは料理上手で食べ物美味しいところ出身の友達だわ~」
調子のいいこと言ってパクパクモグモグ食べてるアリスの膝の上へ、風魔法を付与した封書が風に乗ってひらりと舞い降りた。
「な、なにこれ」
口いっぱいにチーズケーキを頬張ったアリスは、王家の封蝋が押されたその封書を見て凍り付いた。
「こんなの初めてもらったんだけど怖い! 何!?」
ビクビクしながら開いた封書の中身は、『直ちに王城に来るように』という一言だけが書かれた勅命だった。




