157.二人の関係
古びた借家の一室で、マルスは机に向かってノートを広げていた。
不意にギギィという扉の音が狭い室内に響く。何処もかしこも立て付けの悪いこの部屋。不満はあるが魔法学園の寮も下宿も諦めて此処にいる。他人と関わらずに異性と同居するとなると、借家しか方法が無かったのだ。
「おかえりヴィーナ」
「出来た?」
「もう少し」
「はぁ……さっさとしなよ」
「焦って失敗したらやり直しで余計に時間がかかるだろ」
「焦らず早く進めなよ」
「……」
マルスはそれ以上答えず作業に戻った。しかしヴィーナは気にせず話しかける。
「今日さ、また告られてたよね」
「見てたんだ」
「ちゃんと断れて偉い偉い。よくできました」
「……ヴィーナはあの薔薇園の奴のとこ行ってるのに」
「何? 悪い?」
「俺達が恋人って設定にしようって言ったのヴィーナだろ。それなのに他の男のとこ行ってたら、あの二人やっぱり恋人じゃないんだって思った女子がそりゃ告白に来たりもするよ」
「ふーん。モテる人は当たり前のように『告白に来たりもする』なんて言うんだ」
「そういうわけじゃないけど」
「あんたは全員断ればいいだけ。私はもう馬鹿にされるのは嫌なの。レオを落とせなくてもあんたがいれば私は他の女に下に見られない」
「…………あ、そう」
「何処の世界に生まれたか分かんないけど、あんな眉目秀麗な王侯貴族がいるってことは乙女ゲームか英雄譚か何かでしょ。登場人物に関わって邪魔されたらウザいじゃん。だから平民のイケメンにアピってんの」
ヴィーナはマルスの後ろで平気で服を脱ぎ、さっさと寝間着に着替えた。
「だけどハートリー商会のバイトに応募してただろ。あれ採用になってたら危なかったよ」
「王子の婚約者の商会だなんて知らなかったんだから仕方ないでしょ。時給もいいし仕事内容も楽そうだし条件良かったんだから。だけど結果オーライで関わらなくて済んだんだからいいでしょ。文句言うならあんたが生活費稼いでくんない?」
「……俺だって、別に働きたくないわけじゃない」
「はぁ? あんたの一番やりたいことやるためには働く時間なんて無いよねぇ? それでも食べなきゃ生きていけないよねぇ? じゃあ食べ物ってタダで手に入るの? 持ってきたお金だってここ借りるのにかなり使ったんだからね。うちの親が持たせてくれたお金なんだから」
「…………ごめん」
「分かったら私のすることに文句言うな。あんたは此処で集中してさっさと結果出せばいいの」
押し黙ったマルスの後姿を見て、ヴィーナは『また勝った』と気分よく鼻歌を歌い出した。
◇◇◇
塁君に会えないまま、もう日曜日になってしまった。ちゃんと寝てるかな、ご飯食べてるかなって心配になってしまうけど、確認に行くことこそが邪魔をすることだと心得ている。
この不安な気持ちを払拭すべく、こんな時こそ商会運営をちゃんとしようと今週も日曜出勤した私。日曜といえどもシフト制なので出勤してるスタッフが必ずいる。ロビンもそう。
「ロビン、お疲れ様」
「エミリー様、お疲れ様でございます」
「何かあった?」
「色鉛筆十二色セットの発売予告はお得意様各位、全ての提携先、小売店に通知しておきました。早速大変な反響を頂いております」
「わぁ、良かった。いずれ奉仕活動として各地の孤児院に寄贈して回りたいんだよね」
「畏まりました。各地の孤児院に保護されている孤児の人数と性別を調べ、好きなものを選べるよう十分な商品を確保しておきます」
そうだよね。ケースも誰でも好みのものが見つかるように何種類ものデザインで作ってあるから、子供達にも選ぶ楽しみをあげたいよね。
「俺と妹は運良くルイ殿下がお作りになった孤児院に入ることが出来ました。あそこでは孤児院ではあり得ないような心豊かな暮らしをさせてもらいました。自分に合ったサイズの清潔な服も選べ、その時々で読みたい本や遊び道具も選べました。自分で好きなものを選択出来るというのは、孤児にとっては夢のようなことです。生まれも育ちも親も選べず、好物を選ぶどころか食べるものすらなく、ボロボロになった服一枚をずっと着続けねばならない。与えられた選択肢は『かろうじて生きること』か『諦めて死ぬこと』だけでした」
ロビンの口から初めて聞く昔の境遇。塁君がイーサンを死なせないために作った孤児院が、結果的に多くの孤児を救ったんだね。
「ですから奉仕活動の際はどのデザインを選んでも行き渡るよう、十分な数をご用意させていただきます」
「ありがとうロビン。私だけだったら気付けなかったよ」
ロビンを私の元に送ってくれたゼインに大感謝したいくらい、この商会にはロビンは不可欠だなぁと思いながら執務室の窓から外を見ると、視界に入ってきたのは雑貨店から出てくるヴィーナと配達人の姿。
配達人の男性の腕にヴィーナがさりげなく触れると、配達人は照れながらもまんざらでもなさそうに去っていった。
あの配達人はうちの商会の配達も担当してる人で既婚者の筈。若い子に触られたら奥さんがいても喜んじゃうの? ついヴィーナが塁君の腕に触れるところを想像してしまった私。うわぁ嫌だぁと思うと同時にアリスが言っていたことを思い出した。ヴィーナがレオに近付くの、そりゃあ嫌だよね……今度ストレス発散用のスイーツをたくさん作ってあげよう。
「エミリー様、窓の外に何か?」
「ロビン、お向かいのお店のヴィーナに変わった点はない?」
「そうですね、この一週間はマルスは訪れておりません。いつも通りの時間に来て働いて帰るだけです。念のため俺達の手の者に住居も調べさせ、二人が出かける際は尾行させておりますが、マルスは魔法学園と家の往復だけのようです。二人は王都の東の外れにある小さな借家に住んでおります」
ん? 今の言い方だと、まるで一緒に住んでるような。
「二人とも借家なの? 寮とか下宿とかじゃなく?」
「はい。同棲してるようです」
「ど う せ い!」
すごい。私も一年生の時に王城で塁君の隣の部屋に住むことになったけど、それだってドキドキして落ち着かなかった。リリーや侍従さんが居たし、食事もクリスティアン殿下が一緒だったけれど、それでも新婚みたい!なんて思うとベッドで一人うーうー言っていたものだ。それなのに同棲だなんて。
やっぱり前世からの恋人同士なのかな? それなのにどうしてヴィーナはレオや配達人にちょっかいを出すのだろう。癖かな。よくないぞ。
「普通に考えれば学生で借家など、家賃もかかりますし負担の筈です。ヴィーナの短期雇用の収入だけでは到底間に合わない出費だと思いますし、彼らの持ち金は王都に来る時に盗賊に奪われ、無一文で王都入りしたと聞いています。魔法学園には寮もありますし、学園の近くには下宿屋もあります。それなのに何故借家なのかと。どうにも不自然だとは思うのですが、今のところ外から見る分には不審な点はないようです」
「王都に知り合いでもいて援助してもらったのかな」
「それ程世話になっているなら会いに行ってもよさそうなものですが、二人にその気配はありません」
不可解なことが多過ぎて、最初にどこから不可解だったのかさえ分からなくなってきた。あの二人の何がどうやってコリンズ村の件に繋がるのか、何もかも分からないまま一週間。
塁君達には何か情報が入ってるだろうか。私が話したあの出稼ぎ労働者の男性は助かっただろうか。不安を払拭すべく商会のお仕事に集中しようと出勤したのに、結局コリンズ村の件ばかりが頭を占める。
あぁダメだ。私が悩んだところで何も解決しないんだから、私はいつ塁君が戻ってきてもいいように元気でいなくちゃ。
次の日、学園でアリスをランチに誘い、たくさん作ってきたスイーツを並べて一緒にストレス発散しまくった。




