156.真正ヒロインはなめられている
塁君に会えないままやって来た金曜日。塁君は学園も月曜からずっと欠席している。それは他の攻略対象者達も同じで、日に日に婚約者達が憔悴してるのが見て分かる。
昨日は夕食後にグレイスが私の部屋に来て、色鉛筆が素晴らしいとか日記にお花の絵を毎日描くことにしたとか言ってくれて、何気無い話をしながら季節のお茶を楽しんだ。だけど途中で急にグレイスは言葉に詰まってしまい、その大きな瞳からぽろぽろ涙を零し、塁君から何か連絡があったら少しのことでもいいので教えて欲しいと懇願されてしまった。
私にも何も連絡が無くて申し訳なくなってしまったけれど、グレイスは『貴女はもう妃だし溺愛されているから、こんな状況でも一度くらいルイ殿下はいらしてるのではないかと思ってしまったの。不安なのは一緒なのにごめんなさい』と泣いて謝られた。
渾身の力を込めてグレイスを抱き締めて頭を撫でてみたら、クリスティアン殿下も時折グレイスを抱き締めて頭を撫でるらしく、思い出させて更においおい泣かれてしまった。ごめんよ。
それでも学園に来ればグレイスは何事も無かったように颯爽としている。いずれ王妃となる未来を背負っているグレイス。そんな気高く美しく堂々たる風格のグレイスに感銘を受けた私は、塁君がいなくてもしっかりしなきゃと奮起しながら一人で中庭でランチを食べていた。
「エミリーちゃん! 久しぶり!」
「あ、アリスだ」
「ねぇ、今週医学院ずっと休校なんだけど、どうしたのかな」
「皆忙しいみたいだね」
「鬼畜量の宿題が無くて快適過ぎるんだけど、このままだと人間がダメになりそうで怖い」
真面目に宿題を提出するようになったアリスは、この静けさに一抹の不安を感じているらしい。予習復習をしっかりする人間かどうか試されているのではないかとか、休校明けに抜き打ちテストをやる気なんじゃないかとか。疑り深過ぎるけど、アリスにだけ狙い撃ちの厳しさを知っているから責められない。
「レオとは仲良くしてる?」
「そりゃーもー! と言いたいけど、レオはいつも通り私がベタベタしてもしれっとしてるよ。だけどさ、今年の一年生はレオ狙いが多いから、私のレオだって見せつけなくちゃでしょ? だからいつもの倍レオに付き纏ってるんだけど、私の気持ちも分からず通常運転なんだよ! ほんと分かってないよね!」
「いやいや、レオにとっては職場だからね」
「私は婚約者だよ! フィアンセだよ! 未来の奥さんなんだよ!」
「そっかそっか。可愛いなぁアリスは」
「うん、可愛いの私」
「そういうとこだからね」
恋人がいる生徒は相手とネクタイを交換したり、お互いの瞳の色の宝石を使った装飾品を身につけたりしているけれど、レオは生徒ではないし園芸家という仕事柄一切の装飾品を身に付けていない。だから女の子達からしたら、優しいレオなら頑張れば自分を選んでくれるかもって思っちゃうのかなぁ。でもずっと前からアリス以外には必ず一線引いてるんだけどね。
「彼氏がいるくせにレオに色目使う子もいるんだよ。あぁムカつくぅ!」
「そういうアリスも逆ハー狙ってたけどね」
「それはそれ。私ヒロインだからさ。公式にあるルートなんだから私は悪くない」
「そういうとこだからね」
呆れながら聞いていると、品評会が終わったにもかかわらず薔薇園は未だに女の子で賑わってるらしく、攻略対象者さながらのレオの人気ぶりにちょっと驚いてしまった。
レオは特別クラスの薔薇園専属。それなのに一般クラスの一年生が気にせず入ってくるようでアリスはカンカンだ。自分でさえ薔薇園の入口を出たところで待ってるのにと。
「レオも何度も注意してるんだよ。この前グレイスがやんわり言ってくれたおかげでだいぶ沈静化したんだけど、それでも全然気にしない子もいるんだよね。それが同クラに彼氏がいる子だから余計にイライラするの」
アリスの薄茶色の大きな瞳に怒りの炎が揺れている。
「同級生に彼氏がいるのに学園内でレオにグイグイ行くってすごいね」
「ほんとにヴィーナは恐ろしい女よ!」
「えっ」
ヴィーナ?? 転生者の??
「もしかして彼氏ってマルスって子?」
「なんだ知ってるんだ。あの割とイケメンな子。まぁレオの方が百万倍かっこいいけどね!」
「ただの幼馴染なんじゃないの?」
「違う違う! あの子も結構モテるみたいで告られてるとこ私何回か見たことあるの。その度に『俺にはヴィーナがいるから』って言って断ってたもん」
そうなんだ。前世でも恋人だったのかな。そうだとしたらこの世界に転生して、しかも同じ村で幼馴染だなんて運命的な二人だな。
だけどあの二人がコリンズ村のエボラウイルスに関わってるかもしれないし、警戒しておくに越したことはない。
それにしても転生者で元プレイヤーにしては、攻略対象に近付くことなく、モブであるレオに行くのか。しかも彼氏がいて、一緒に転生までしたというのに。この世界が『十字架の国のアリス』だって気付いてないにしても、どういう子なんだろう。
「ヴィーナってどんな子なの?」
「見た目は地味な感じなんだけど、結構言いたいことはズケズケ言うタイプ。ソースは私」
そう言ってアリスは頬を膨らませた。
「レオと一緒に帰ろうと思って薔薇園出たところで待ってたの。そしたらヴィーナに『また今日もストーキングですか先輩』って言われてさ。ムカついたから『私は婚約者だから待つ権利がある』って言い返したら『権利とか意味不明ですね。結婚したって先輩みたいに付き纏ってたらすぐに嫌われちゃいますよ』って言うの! もう頭来て『私とレオはラブラブですからご心配なく!』って言ってやったら、『でも結局は他人ですからね。簡単に離れられるし離れたらもうそれまでじゃないです?』だって!」
思い出してアリスはまた腹が立ってきたようでプリプリ怒っている。
「アリス、あの子達に気を付けて」
「え? 私負けるつもりないよ?」
「そうじゃなくて、どんな人間か分からないじゃない」
キョトン顔のアリスの後ろ、私の視線の向こうには薔薇園からこっちに向かって歩いて来るレオの姿。初めて会った時よりグッと背が伸びて、力仕事もあるせいか体つきもガッシリしてきた。男らしく成長する途中の少年の魅力のようなものが滲み出ていて、この姿のレオしか知らない一年生はキャーだよね。
後ろからレオが近付いてきていることに気付かず、興奮気味にアリスは言葉を続ける。
「そんなこと言ってたらやられっぱなしじゃん。私二学年も先輩なのに、私のこと馬鹿にし過ぎじゃない? 私のレオだよ? あんな失礼な子がレオの側に行くだけで嫌だもん!」
「そう、僕は貴女のものですよ」
「ひぃい!?」
静かに近寄ってきて後ろからアリスの耳元でそう言ったレオは、アリスの狼狽ぶりに微笑んでいる。案外なかなかの性格をしているような気がする。
「誰がどう近寄ってこようがアリスさんが焦る必要も怒る必要もありません。僕は全身全霊で品評会に全てをかけて貴女に結婚を申し込んだんですから、他の人に気がいくわけがないでしょう」
「レ、レオ~♡」
「それにハートリー侯爵令嬢の言う通り、相手がどんな人間か分かりませんから、絡まれたからといって誰にでもつっかかるのは止めて下さい」
「はぁーい♡」
この二人に注意喚起だけでもしていいだろうか。コリンズ村の件は言えないけれど、転生者の可能性があるって伝えたいと思っていた矢先、レオの方から注意喚起されてしまった。
「あの女生徒は転生者のようです。アリスさんもハートリー侯爵令嬢もどうかお気を付けて」
「レ、レオも気付いてたの!?」
「えっ、そうなの!? っていうかエミリーちゃんも知ってたの? 私だけ気付いてなかったんじゃん! もう早く言ってよ~!」
「確信を持ったのが今日なので。先程ヴィーナさんが特別クラスの薔薇園に入って来たので注意したところ、いつも通り聞き入れてもらえず、それを見ていた特別クラス一年のご令嬢達がヴィーナさんを囲んで責めたんです」
「特別クラスの一年もレオ狙い多いもんね……」
「そうしたら『だる』と一言日本語で小さく呟いて出て行きました」
私とアリスは思わず無言で顔を見合わせた。
「この国の公用語で似た言葉無いよね?」
「無いと思う」
「だるいってことだよね?」
「だと思う」
私はとりあえずマルスも転生者だと二人に告げることにした。




